見出し画像

それは誰に向けられているのか

前を走る車に、犬が乗っていた。

後ろの窓には、犬に関するステッカーが貼られている。

「I love dog」

そう書かれたステッカーもあった。

犬が好きなんだな、と思った。

そこまではいい。

その車には、犬のイラストシールもたくさん貼られていた。
それも、まだ分かる。

犬が好き。
飼っている犬がかわいい。
その気持ちを車に少し出したくなる。

そういうことはあるのだろう。

ただ、後ろの窓にかなり大きな丸いステッカーが貼られていた。

ピザのMサイズくらいはありそうな、大きな丸いステッカーだった。

そこには、おそらくその人が飼っているであろう四匹の犬の顔写真が並んでいた。
顔だけを切り取った写真。
それぞれの名前。

つまり、オリジナルで作った特大ステッカーだ。

もちろん、いいのだ。

自分の車に、自分の飼っている犬の写真を貼る。
名前を載せる。
誰かに迷惑をかけているわけではない。

車は個人の持ち物だ。
どう飾るかは、その人の自由だ。

ただ、私はそこで少し考えてしまった。

本当に自己満足なら、車に貼る必要はあるのだろうか。

家の中に飾る。
スマホの待ち受けにする。
アルバムにする。
部屋に写真を置く。

それでも十分なはずだ。

けれど、その人は車の後ろの窓に貼った。

つまり、それは外に向けられている。

信号待ちの後ろの車。
駐車場で通りかかる人。
たまたま後ろを走る私。

そういう誰かの目に入る場所に、犬たちの顔と名前が置かれていた。

これは何なのだろうと思った。

ただの自己満足なのか。

それとも、かわいいでしょう、という気持ちの表明なのか。

あるいは、犬を家族として扱っていることの宣言なのか。

自分の生活の一部を、世界に少しだけ開いているのか。

もちろん、答えは分からない。

車の持ち主に聞いたわけではない。
その人にとっては、何も深い意味などないのかもしれない。

かわいいから作った。
貼りたかったから貼った。
それだけかもしれない。

けれど、私はこういうものに引っかかってしまう。

何かが悪いわけではない。
不快だったわけでもない。
ただ、なぜそれをそこに置いたのかが気になる。

好きなものを、どこまで外へ出すのか。

自分の中にしまっておく好き。
家の中で共有する好き。
SNSに載せる好き。
車に貼って、知らない人にも見えるようにする好き。

同じ「好き」でも、置き場所によって意味が変わる。

内側にある時は、ただの愛情かもしれない。
外側に出た瞬間、それは少しだけメッセージになる。

見てほしいのか。
知ってほしいのか。
共有したいのか。
ただ自分の世界を、移動する車にまで広げたいのか。

分からない。

前を走る車の後ろ姿を見ながら、そんなことを考えていた。

犬の顔写真と名前が並んだ、大きな丸いステッカー。

きっとその人にとっては、大切なものなのだろう。

ただ私には、そのステッカーが少し不思議に見えた。

好きという感情は、内側にあるだけでは足りないことがあるのかもしれない。

そして、それを外に貼り出した瞬間、誰かの違和感にもなる。

答えは出ないままだった。

いいなと思ったら応援しよう!