生者のいらない夜 第8話 呪物
私は、呪物である。
人間から見れば触れてはいけぬ物。
持っているだけで、不幸になる物。
私は長い間、誰にも触られず古い蔵の奥で眠っていた。
平和だった。
あの男が来るまでは。
「うわあ……!」
男は、私を見るなり目を輝かせた。
「最高だ!」
嫌な予感がした。
男は私を持ち上げた。
「本物だ。すごい呪いがかかってる!」
違う。
私はただの古い人形だ。
「絶対、持って帰ろう。」
やめてくれ。
私は心の中で叫んだ。
もちろん、聞こえるはずがない。
男の家には、呪物が山ほどあった。
日本人形。
古い鏡。
曰く付きの指輪。
正体不明の箱。
壁には、呪物の写真まで飾られている。
「今日から仲間だ。」
男が私を棚に置いた。
隣の日本人形が、こちらを見る。
「……また増えた。」
「よろしくお願いします。」
「気をつけて。」
「何を?」
日本人形が小声で言った。
「ここの男。」
夜、男が寝室へ行く。
部屋が静かになる。
「新入り。」
鏡が話しかけてきた。
「はい。」
「もう知ってる?」
「何をですか?」
「ここの男の怖さ。」
私は首を傾げた。
「夜中に起きるの。」
「それくらいなら普通では?」
「違う。」
鏡が震えた。
「俺たちを並べ替える。」
「……。」
「毎晩。」
日本人形が続けた。
「しかも、1センチ単位。」
「昨日なんて、私を3回動かした。」
鏡がため息をつく。
「呪物を何だと思ってるんだ。」
午前2時、男が起きてきた。
電気をつける。
そして私を持ち上げた。
「うーん……。」
棚の中央に置く。
少し右へ。
「違うな。」
少し左へ。
「こっちか。」
また右へ。
私は思った。
――呪ってやろうか。
生まれて初めてだった。
私が人間を呪いたいと思ったのは。
翌日、男が友人を連れてきた。
「これ、全部呪物なんだよ。」
「怖っ。」
「触ってみる?」
「絶対嫌。」
男は嬉しそうに笑った。
「この人形なんて、持ち主が3人死んでる。」
日本人形が小声で言う。
「2人。」
「……。」
「1人は病死。もう1人は事故。」
鏡が続ける。
「3人目は?」
「引っ越した。」
私たちは黙った。
男は何も知らず、得意げに説明を続ける。
「この鏡は、夜になると女の顔が映る。」
鏡が呟く。
「俺も初耳だ。」
「この箱は、夜になると声がする。」
箱が震えた。
「それ、お前が録音した声だろ。」
私は思った。
人間とは不思議な生き物だ。
呪物を怖がる。
呪物の話を作る。
そして、それを集めて喜んでいる。
その夜、男はスマートフォンを眺めていた。
「おっ。」
嬉しそうな声。
「これ、欲しいな。」
鏡がため息をついた。
「またか。」
「もう置く場所ないわよ。」
日本人形が言う。
男は迷わず購入した。
「届くのが楽しみだな。」
私たちは顔を見合わせた。
新しい仲間が増える。
それだけなら、まだいい。
問題は、その後だった。
男が棚を見た。
「そうだ。少し整理しよう。」
私たちは凍りついた。
「……来た。」
「始まるぞ。」
男が私を持ち上げる。
「ここじゃないな。」
右。
左。
少し前。
少し後ろ。
「……違う。」
また動かす。
私は叫びたかった。
もういい!
私は呪物だ。
人間を怖がらせる側だ。
なのに、今、私が一番怖いのは――。
この男だった。
午前3時、ようやく男が眠った。
私たちは、ほっとした。
「なあ。」
鏡が言った。
「俺たち、呪物だよな?」
「そう。」
「人間を呪う側だよな?」
「そうだ。」
「……なのに。」
日本人形が呟いた。
「なんで私たちが、こいつを怖がってるの?」
誰も答えなかった。
そのとき、寝室から物音がした。
ガタン。
男が飛び起きる。
「……今、何かいた?」
私たちは黙っている。
男は青ざめた顔で部屋を見回す。
「やっぱり……この家には霊がいる。」
鏡が小声で言った。
「いるよ。」
日本人形も頷く。
「全員いる。」
男は私たちを見た。
そして――。
笑った。
「最高だ。」
私たちは一斉に思った。
最悪だ。
翌朝、男はまた呪物を探しに出かけた。
扉が閉まる。
静かになる。
日本人形が呟いた。
「ねえ。」
「何?」
「本当に、あいつを呪えないの?」
鏡が答えた。
「無理だ。」
「どうして?」
「もう十分、呪われてる。」
「何に?」
鏡が男のいない部屋を見つめた。
「呪物コレクターっていう病気に。」
私は、なるほどと思った。
呪物は、人間に災いをもたらす。
そう思われている。
でも、本当に怖いのは――。
呪物を欲しがる人間なのかもしれない。
その日の夕方、玄関が開いた。
「ただいま!」
男が帰ってきた。
両手には、大きな箱が3つ。
「仲間を連れてきたぞ!」
私たちは黙った。
箱の中から、何かがこちらを見ている。
新入りの呪物だ。
私は、その箱に小さく声をかけた。
「……気の毒に。」
箱の中から返事がした。
「やっぱり、ここも?」
「うん。」
「この人?」
「そう。」
男は嬉しそうに箱を開けている。
私たちは全員、同じ顔をした。
そして、新入りに告げた。
「ようこそ。」
少し間を置いて。
「地獄へ。」
