【短編】“ひとりごと”の行き先
「“ひとりごと”って、自分に向けた言葉?それとも……」
銀のチェーンで首から提げた眼鏡を外しながら、彼女が呟いている。頭に乗っけるよりも彼女らしいな、といつも思う。高校生の頃もしていた。
「どうしたの?」
「ごめんなさい。そっか……これが“ひとりごと”だね。ねぇ、“ひとりごと”って、ひとりごと?あ、違う違う、“ひとりごと”は、自分に向けた言葉かな?何か考えていて、誰に宛てるでもなく、声に出ること?」
「んー、どうかなぁ……自分の感情が声に出ているだけで、自分に聴かせたいことでもない場合もあるんじゃないかな」
「たとえば?」
「たとえば……ジョン・マクレーンが、カナダとの国境沿いで武装ヘリに銃撃されながら、“カナダってとこが、こんなに楽しいところとはね”と毒づいていたり、玩具みたいにちっぽけなリボルバーの残弾を数えながら“どんどんツキが落ちてくる”って嘆いているのは、自分に向けて話しているわけじゃなさそうだ」
「うん。あなた、ダイ・ハード好きね」
「一番好きなのは、ラスト・ボーイスカウトのジョー・ハレンベック。吹替は野沢那智さんの。で、この場合、マクレーンは自問自答しているのでもなくて、毒づいたり嘆いたりしながら、次どうするかを考える、逆転に向けて、リズムを取っている感じかな」
「ふうん。今度、ラスト・ボーイスカウトも観せてね。野沢那智さんの吹替で」
と言いながら、もう僕の真横にいる。この距離感にやられて、もう30年以上が過ぎた。
「じゃあ……じゃあね、あなたが車を運転しているときに、向かい側の車線で右折待ちをしているバスに向かって、“はい、お先にどうぞ”と声に出して言ったり、ユラユラ寄せてきた車に“あっぶねぇな”って言ったり、“君はダメ、後ろの人に入れてもらってね”って言ってるのは“ひとりごと”?私に話しかけているのじゃないよね?」
「あぁ、それ。多い?煩いかな?」
「“ハンドルを握ると性格が変わる”系の言葉ではないから、煩いなぁと思ったことも、嫌でもないわ。相手には聴こえてないし、答えを探しているわけでもないでしょう?」
「んー、あれは……何やろう?頭ん中に地図、いや違うな、配置図かな?が浮かんでいて」
「配置図?」
「そう、自分の車をね、真上というか、そのもう少し後ろから眺めていて、次に何が起きるかなぁ、周りはどう動くかな?とか、自分がこう動いて、相手がこう動いてくれたら、スムーズで気分好いんやけどなぁ、とか思ってて、それを声に出してる感じ。阿吽の呼吸で頼むよ!ってのもあるから、リズムも多少はあるかな。マクレーンのとは、またちょっと違うけど」
「ふうん。それも“ひとりごと”?」
「右折待ちのバスの運転手さんには、パッシングで知らせたり、手招きしてるし、運転手さんの方でも、手を挙げて応えてくれるから、あれは“ひとりごと”じゃないな。合流も、そうかな。他は、こちらの願望、期待を口にしているだけだから、“ひとりごと”かなぁ」
そう考えると難しいな、“ひとりごと”って。
「あれ好きよ。助手席に乗っていて」
「ん?道を譲るの?後ろからクラクション鳴らされることがあっても?」
「それは鳴らす側の問題。クラクションを鳴らした車の助手席に乗っている人、奥さんだか恋人と私の気分を比べたら、私の方がきっと気分が佳いもの」
そう言って、“うんうん”と頷いている。
そういうもんかな、と僕は思う。
案外、助手席の女性がイラっとして、ドライバーに「あなたっ!鳴らしなさいよっ!」って言ってるのかもしれんし、と思っていたら、
「でも、そんなことでクラクション鳴らす人の助手席にいるってことは、その奥さんだか恋人も、ドライバーになったら怒って鳴らすのかしら?それで気が合ってる、とか?やだなぁ」
と思案顔で、僕を見つめて言った。これは“ひとりごと”じゃない。
「“直進優先の原理主義者”が結婚の決め手だった、とか」
「私には、バスの運転手さんが白い手袋を挙げて挨拶をしてくださったり、合流できなくて泣きそうになっていた若葉マークの男の子、女の子の嬉しそうな、助かったぁ、って笑顔がたくさん見られる特等席だわ、あなたの隣」
と言って、彼女は柔らかく笑った。
「そりゃどうも。どうぞ末永くご同乗を願います。一つ、いい?」
「なぁに?」
「“ひとりごと”の意味?が気になったのはどうして?」
あぁ、と言いながら、彼女は“シャララン”とチェーンを揺らして胸元にあった眼鏡を再びかけ、タブレットを操作して僕に差し出し、
「“ひとりごと”から始まる文章を、詩でも小説でも、エッセイでもいいんだけど、書いて発表しませんか?っていう企画なの」
と教えてくれた。
「ひとりごと、あなたと暮らす前、一人でいた頃はたくさん言ってたと思うの。好いことも悪いこともね。だから簡単に書けそうだな、と思ったのに、最近のことを書こうとしたら、思いつかなくて」
「うん」
「以前なら“ひとりごと”になっていたような言葉に、あなたが返事をしてくれるから、“ひとりごと”が“ふたりごと”になるのね」
「そこから話が旧い映画の話に転がり、助手席からの風景に脱線して長くなる」
「“ふたりごと”は、長くても佳いわ」
彼女が微笑み、銀のチェーンが“シャララン”と鳴った。
(了)
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