【短編】シャボン玉は好き?~青春の幻影Ⅲ~
「シャボン玉は好き?嫌い?」
来月から高二になる娘さんが指揮者を見つめて楽器を奏でているのを観ながら、尾崎さんが問いかけてきた。
シャボン玉?
「急に何?」
「ちょっと思い出したことがあって。ねぇ、シャボン玉は好き?」
好きも何も、最後にシャボン玉を見たのはいつだろう?虹色に輝きながら、フワフワ風に吹かれて、パチンと弾けて消えるシャボン玉。
そんな記憶を探しながら、
「好きか嫌いかの二択なら、“嫌い”かなぁ」
と答えたら、尾崎さんは何故か微笑み、頷きながら、
「どうして?」
と、さらに尋ねてきた。
「小さい子が、自分が息を吹き込んで作ったシャボン玉が空に舞うのを見上げて、ずうっと目で追いかけていて、それがパチンと弾けて消えてしまったら、泣いちゃうと思って」
「なるほどなぁ……そのシャボン玉は一つだけで飛んでるのね。そして、それは夕暮れ時で」
楽しげに、そして得心がいった様子で彼女が話すので、これは心理テストか何かなの?と尋ねようとしたところで合奏が終わり、彼女の愛娘、舞子ちゃんが駆け寄ってきた。
「こんにちは!明子先輩、差入れありがとうございます。シュークリーム、美味しかったです!お母さんも来てくれてありがとう、どうだった?」
「頑張ってるなぁ、とは思ったわよ。演奏の出来栄えは、明子先輩に聞いてね」
母親にそう言われ、真っ直ぐな視線がこちらに向けられる。
「あなたが楽しそうに弾いているのが、よく伝わってきたわ。合奏では、それが一番大切」
「ありがとうございますっ!」
輝く笑顔を見て、尾崎さんと私もつられて笑顔になり、互いに顔を見合わせた。
考えていることもきっと同じだ。
私達にもこんな頃があったんだなぁ、と。
それがわかり、今度は二人で吹き出した。
舞子ちゃんは、母とその同級生が手を叩き合って笑っているのを不思議そうに見ている。
「始めまーす。調弦してください」
と、こちらも女子の二年生指揮者の声を聴くと、舞子ちゃんはペコリと一礼して1stマンドリンの三列目、自分の席に帰っていった。
隣の尾崎さんと交互に見ると、なるほど親子だなぁ、と感心する。
それよりシャボン玉だ。
改めて、何かの心理テストなの?と彼女に尋ねた。
「あなたと同じ口調、同じ理由でシャボン玉が嫌いだと言った人がいたなぁ、と思って。パチンと弾けて消えてしまうと、小さな子が泣いちゃうから、って」
それで?と聞く前に、
「その人は、もっと理由が長くて」
と笑いながら続けた。
「好きか嫌いかの二択なら“嫌い”かなぁ……女の子が、親から吹き方を教わってさ、小さな身体からありったけの息をそうっと吹き込んで、何度も失敗しながら、やっと大きなシャボン玉を一つ、彼女の世界に創る。
それは、小さなトロンボーンの先っぽみたいに広がったストローからフワリと離れて、夕暮れ時のオレンジの光の中を舞い上がる。
フワフワ、ユラユラ、キラキラってさ。
女の子はシャボン玉から目が離せなくて見上げて、見つめたままなんだけど、隣にいるはずのお母さんが一緒に、自分が創ったそれを見てくれているか確かめたい。自分を抱き上げてくれているお父さんがどんな顔をしているか知りたい。
そうして、幸せな迷いごとに惑っているうちに、夕陽を受けて輝いていた大きなシャボン玉は、不意にパチンと弾けて消えてしまう。
せっかく創ったのに。
それを見てくれているお母さんを見たかったのに。
抱き上げてくれているお父さんの顔を見て、褒めて欲しかったのに。
どれも叶わなくて、急に寂しくなって泣いちゃうやん。
女の子にさ、生まれて初めてか、何番目かの寂しさとか、大切な、大好きなものが不意に消えてしまう痛みを教えるんだから、シャボン玉はなかなか罪作りやって思うなぁ」
と、思い出しながら再現する彼女の言葉を聴き、
「……長っ」
と呆れた後、こんなことを照れもせず、いや、照れていたかもしれないけれど、誰かに話すのは一人しかいない、と気づいた。
「それって……」
「そう、若林くん。高二の秋、期末試験期間中、図書室で自習してから帰るときに、靴箱のところで一緒になって。駅まで一緒に帰ったの。佐保川沿いを、試験どうだった?とか、冬休み中は部活休み?って話しながら。でね、遊歩道のベンチに、小さな女の子とそのご両親、だと思うんだけど、シャボン玉遊びをしていたの。お母さんが吹いた、たくさんのシャボン玉が、こう、フワァーッと舞い上がって、私たちも足を止めて見蕩れていて。で、女の子が“自分も吹きたい”っておねだりしてる感じで」
「その子がシャボン玉を一つ、飛ばすのね」
「そう、何度か失敗するんだけどね。若林くん、優しげな顔して見てるんだなぁ。だから、好きなの?シャボン玉、って訊いたらね」
「長い長いお話に付き合わされたのね」
「そのとき、あぁ、この人と結婚したら幸せだろうなぁ、と思ったの」
「え、そっち⁉︎」
「ちょっと大人補正?かかってるかもしれないけどね」
あれから時を経て、娘が自分と同じ高校に入学し、思いがけずマンドリン部で楽器を弾き始めた。夏合宿から帰ってきた時に、現役部員の応援、激励にきた先輩、あなた達二人の話を聴いたの、と尾崎さんは言った。
「あなた達、同窓会に全然参加しないでしょう?遥香から、春の定演前にはOB・OGが練習を観に来てくれる、って話を聴いて、二人を捕まえるために練習の参観に来たのよ。“部員の親”特権で、ね」
姉御肌で、生徒・教師の双方から信頼厚く、人気者だった彼女は、クラスと学年の両方の同窓会の幹事だった。私と彼、若林唯織は、彼女にとっては永年の逃亡者だったらしい。
「舞子がね、まぁ楽しそうに話すのよ。“現役とOB・OGの合同合奏の練習で、若林先輩の指揮とお話が素敵なの!それに、明子先輩とのやりとりが可愛くてキュンキュンする”って。遺伝子感じたわ、高二の私と同じこと思ってるやん!って」
「合奏で気づいたことを言ってるだけで、キュンも可愛くもないと思う……」
「わ、それもあの頃のまんまやん、腹立つー。で、“被害者同盟”の設立メンバーとしては、今度の同窓会にはあなたと若林くんに出席、いや、出頭してもらって、青春時代の“謎”を明らかにしたいわけよ」
確かに、クラスも学年も、同窓会には久しく、いや全然出ていない。
「被害者同盟って何?設立メンバー?」
「あなたと若林くんの曖昧で煮え切らない関係のおかげで、恋する気持ちを不完全燃焼させられ、若林くんに淡い想いを告げられなかったかつての乙女たちと、明子に振り向いてもらえなかったかつての少年たち」
「いやいやいや、何で私?若林くんはともかく、私はクラスでも影薄かったでしょ」
実際、高校生の記憶、想い出の大半は、この講堂と演奏会の舞台にある。“かつての乙女たち”は、先ほどの話の尾崎さんをはじめ、幾人か浮かぶけど、“かつての少年たち”なんて、記憶にない。
「あー、無自覚はさらに罪。なんて可哀想なあの頃の私たち。シクシク」
「ますます行けないわよ、そんな話聴いたら」
「本当にあの頃、二人は付き合ってなかったの?それが皆んなの“青春の謎”。あの頃の二人は以心伝心かっ!ってくらい同じこと言ってて、好みも似ていて。被害者達はその様子を見て「あぁ、これは勝てない」と思ったのに」
確かに、あの頃は好きな音楽、アニメのキャラクターから、喫茶店でオーダーするメニューまで被った。
それがこそばゆくて喧嘩になって、それでもまだ被って、二人で笑うことがあった。
それはずっと続くような気がしていた。
そうじゃなかったのだけれど。
「二人にも色んなことがあったのは知ってる。真知子からも聴いてる。すれ違って、誰かを傷つけて、それで自分も傷ついて。もう今更、って思ってるって」
真知子め。
「それでも、さっきのシャボン玉。“被害者同盟”が認定してあげる、あなた達は多分、他の誰かとは生きていけない。合奏している間、音楽が聴こえている間だけじゃなく、大切な人の傍に、ずっといなきゃ。私はもう17歳の娘の母親で、あなたも彼も同い年。これからの時間、もう遠回りしたらあかんやん」
しっかり者の、旧い友人には敵わない。一つため息をつき、深く頷いた。
「来た甲斐があったわ。さて、後は……」
講堂の入口に、彼の姿が見えた。
「相変わらず“間が佳い”わね、彼」
と、尾崎さんが微笑む。
私は、あの頃と変わらずに美しく、優しく、気持ちの良いこの友人と、そのシャボン玉を吹いてくれた女の子に、心からの感謝をしなきゃね。
今日ばかりは、“間が佳い”のではなく、“飛んで火に入る”何とかの、笑顔の君と一緒に。
(了)
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