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【短編】親愛なるYuming 様

 サンダルでエスカレーターに乗るのが、ちょっと危なっかしい。

 いつもとは少し違う雰囲気の彼女を見て「綺麗だな」と思い、その次にそう思った。

「待ち合わせは、“千成びょうたん”のオブジェのところで」

と言ったのは彼女だったのに、当人はそれを見たことがなかったらしい。
 約束の時間になっても彼女は現れず、代わりに「千成びょうたん、ってどこ?」というメールが来た。

「迎えに行きます。今いるところから何が見えますか?」

と返信して、オブジェを離れながら考える。

 環状線を経由してJR大阪駅から京都線に乗ったのか、地下鉄御堂筋線で梅田を通ってきたのかどちらだろう?

「多分JRだな」

 そう推測して東改札口に向かう。返信が来た。

「まだ改札を出てないの。中央改札口に行きたいのに。人多すぎ」

 当たりだ。

 「新大阪駅で待ち合わせるなら中央口の千成びょうたん」と教えてもらったんだな。
 少し安心して人の波から離れ、立ち止まって返信する。

「東改札口を探して。すぐ行くから」

 また人波に合流し、東改札口に急ぐ。改札内に彼女を見つけた。手を振るこちらに気づき、ホッとした表情で改札を出てきた。

 彼女は綺麗だった。

「ごめんなさい。待ち合わせ場所を決めたの、私なのに」

 涼しげな生地の白いワンピースで、細身の彼女が着ると神戸のお嬢様学校の夏の制服っぽい。けれど、ノースリープと半袖の間のような袖と、フレンチクラシックなサンダルが華やかだ。

 肌の白さにドキッとするのに、ペディキュアを施さない爪先は少女みたいに素っ気なくて、如何にも彼女らしい。

「もしもーし?怒ってます?」

 見惚れている僕に、普段のペースを取り戻した彼女が言った。こちらはクリティカルヒットを喰らった。

「え?いや、全然怒ってません。会えてよかったです。悪いのは新大阪駅の構造と、君に“千成びょうたん”を教えた誰かと、この混雑です」

「そうなの?若林君と新大阪駅で待ち合わせる、って話したら、真知子が“じゃあ、中央口の千成びょうたんを目印にしたら”って教えてくれたのに」

「“中央口の”っていうのがあかんかったなぁ。この駅、在来線の改札口は東改札口の一箇所しかないから。こんなに大きな駅なのに」

「じゃあ、中央口っていうのは?」

「立派なのがあるけど、それは新幹線のコンコースへの改札なんやな。在来線からは行けない。で、千成びょうたんは中央口に向かって右、南側に割とひっそりとあんの。けっこう地味に」

「ふうん。せっかくやから見たいな」

「まぁ、メルパルクホールに行く途中やからいいけど。札幌の時計台並みに肩透かしとちゃうかな」

「いいやん、若林君は見たんでしょ」

「わかりました、じゃあ行こう」

 彼女を促して並んで歩き、「これ」と言って“千成びょうたん”のオブジェを指し示すと、「派手だけど地味」と呟いた後、僕の肩を叩きながら笑い出した。

「真知子、なんでこんなん知ってたんやろう?」

「いや知らんし」

「あぁ、なんかこのフォルムが面白いわ。写真撮って真知子に送ろ。文句言ってやろ」

と肩を震わせて笑いながら写真に収めている。

 いや、彼女は見たことあるから君に教えたんやろ?と思ったが、何だか上機嫌なのでそれには触れず、

「そろそろ行こか。こっち」

と言って北口に歩き出す。まだ思い出し笑いのようにクスクス笑っている彼女の手を引くどころか、肩に触れて誘導することもできない。

 彼女と手を繋いだのは、高三になる春の、桜が咲いていたあの時だけだ。正確には、彼女が僕の左手を取って、二人で花びらを追いかけていただけなんだけど。

 高校を卒業して別々の大学に進み、それぞれの大学にあったマンドリンオーケストラに入部してからは、お互いの定期演奏会のチケットを渡して行き来し、他の大学や社会人団体の演奏会を一緒に聴きに行った。高校のOB演奏会やステージがあれば、その練習では顔を合わせた。

 三回生になると、各々のオケで僕は指揮者になり、彼女はコンサートミストレスになった。やっぱり互いの演奏会に招待しあって、アンケートに感想を書き、卒業前の最後の演奏会では“お疲れ様”と労いの言葉を贈った。

 あちこちの演奏会に連れ立って出かける姿を見た高校の同級生たちは「ようやく付き合い始めたのか」と言っていたが、僕も彼女もそうは思っていなかった。

 ただ一度、彼女がコンサートミストレスを引退する最後の演奏会、アンコールでヴィヴァルディの『冬』が演奏されたとき、彼女の独奏があまりに美しくて、それはもう、マンドリンという楽器の限界を超えた感情表現を聴いて、なぜ僕はあの舞台で指揮者をやっていないのだろう?と独り客席で思ったことがあった。

 それは多分、指揮者の男への嫉妬だったのだと思う。

 僕がチーコン、チーフコンダクターを引退する最後の演奏会のアンケートに、彼女が「大学では良いコンミスに恵まれて良かったねー」と冗談めかして書いたのが、あの時の僕と同じような気持ちだったのかどうかは尋ねたことがない。

 今日の待ち合わせは、高校で一年上だった優美先輩から彼女が参加している社会人団体の定期演奏会のチケットをもらい、ふと思い立って誘った結果だった。

「もちろんご一緒しますよー」

とカジュアルな返信の後、彼女が待ち合わせ場所を指定してきた。

 下りのエスカレーターに乗る際、自然と彼女に前を譲ったが、彼女はエスカレーターのステップに一歩踏み出す直前に躊躇したように見え、下に着いて降りる際も、ステップに残した方の脚を気にする素振りを見せた。ちょっとユラユラしている。

「?」

 何となくわかったような気がして、そこからはなるべく段差のない道を選び、エスカレーターに乗らずに済むよう、エレベーターを探して移動した。

 今日の“綺麗”の代償かな。

「何だかご機嫌さんね。優美先輩の演奏を聴けるのがそんなに楽しみなん?」

 開演までの時間調整のために入ったカフェで、彼女がそう言った。

「今日、めっちゃ綺麗やなぁ。サンダルも似合ってる」

 問いかけと全然合っていないことを承知でそう言ってみた。

「はい?会話がかみ合ってませんけど・・」

 あはは。色白な彼女が桜色に染まる。

「三回生のとき、チケットをもらって聴きに行った君んとこの定演のパンフにさ、コンサートミストレス紹介が写真付きで載ってて。襟付きの白いシャツとアースグリーンのショートキュロットにベースボールキャップを被って木に登ってる・・いや、ジャングルジムか何かだったのかもしれんけど、それを下から撮った写真。少年みたいやったけど“可愛いな”と思ったんやなぁ。さっき改札口に迎えに行って君を見つけたとき、その写真を思い出した。今日は、その可愛さはそのままで大人になって、綺麗になった。それがご機嫌さんの理由」

「若林君、大丈夫?余命半年とか宣告されたんちゃうよね?何を急に・・」

「死なへんし。ええやん、そう思ったんやから」

「どうせ、少年みたいなまま凹凸はないし、足は大きいし・・」

 桜色を超えて胸元まで紅くなっている。さっき喰らったクリティカルヒットのお返しやな。

「足が大きいのはスタイル美人あるあるらしい。あれ?アイスティー、お代わりする?」

 合奏の練習で、僕のおしゃべりが長過ぎるのを注意するときの眼になった。

「あ、そろそろ開演の時間やから、行こっか」

 伝票を手に取ってそそくさと立ち上がった。

        〜♫♩♫♩~

 二人で並んで聴いた久しぶりの演奏会は、大編成の音楽の厚みと社会人団体らしい落ち着いた演奏で、とても佳いものだった。

 終演後、優美先輩がロビーに出てくるのを待ってチケットの御礼を言い、二人で用意した差入れを彼女が先輩に渡した。

「二人とも来てくれてありがとう。差入れまでいただいちゃって」

「久々に佳い演奏を聴いて楽しめました。やっぱりここは上手い」

「あー、半分は年の功で、あとの半分は人数の力かも。あら、あっくん、顔紅くない?熱ある?」

“あっくん”というのは、高校の時の彼女のニックネームだった。男子でも彼女をそう呼ぶヤツはいたけど、僕は呼べなかった。

 先輩から額に手を当てられ、「なんでもありませんっ」という返事とは裏腹に、“あっくん”はさらに桜色を濃くしていた。

「大丈夫かしら・・気をつけて帰ってね。若林くん、お家まで頼むわね」

「だ、大丈夫ですっっ!家の方向も全然違うし」
「わかりました。この後は打上げですよね、先輩もお気をつけて」

 二人が全然違うことを言っているのを見て楽しげに微笑みながら、先輩はオケのメンバーのところに戻っていった。

「さ、帰ろか」

「そっちは奈良線やし、こっちは大阪線やから一緒なんは鶴橋までやん。鶴橋まででいいし」

「優美先輩からのお願いは絶対やからなぁ。帰りは地下鉄で難波まで出て、難波から近鉄に乗り換えて上本町に行こう。そしたら上本町駅始発の急行に乗って座れるし、特急があるかもしれない。この時間、週末でも大阪駅と鶴橋駅はカオスやからやめとこ」

 両方の駅の混雑は彼女も知っているようで、クルリンと目を回し、天を仰いだと思ったらうなだれて、

「降参。ありがとう」

と言った。

「じゃあ、まず絆創膏を貼ろう。サンダルのストラップが当たってる足首のとこ」

 そう言って少し大きめの絆創膏を2枚、彼女に差し出した。以前、新しい革靴が微妙に合わなくて難儀し、出張先で買って以来、いつも持つようにしているものだった。

「気づいてたん」

「さっきね。最初は爪先が不安なんやな、と思ってて、そん時に今日は家まで送ろうと決めたんやけど。貼ったろか?」

「自分でできますっ」

 今日一日、調子が狂いっぱなしの彼女は絆創膏を貼って立ち上がり、何度か足踏みをして表情を和らげた。

「あーもう、サンダルはこりごり」

「えー、それは勿体ないなぁ、綺麗なのに。また履いて欲しい」

「またそんな・・・会社でもだれかれ構わず言うてんの?」

「それは心外。“あっくん”だけです。なんなら“おんぶ”か“お姫様抱っこ”しよか?」

「アホ!ホンマにもう、今日はどうしたん?」

 答えずに笑って、彼女の手を引いて歩き出した。

 神様

 どうか、彼女がこれからもサンダルを履いてくれますように。

 そして親愛なるYuming 様

 サンダルが“悲しいDESTINY”の象徴(どうしてなっ の~♪)じゃなく、幸せなステップを歩むような歌も、ぜひ歌ってくださいませ。


(了)

こちらの企画・お題に参加しました。

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