持つ者と、持たざる者と
天才は、孤独だ。
天才の独自の視点や思考の速度を常人は理解せず、己とは異なる世界に生きる者として遠ざけるからだ。
しかし、孤独というのは選ばれた者の宿命のようにも思えた。誰にも理解されなくとも、誇り高く、たった一人で生きることが天才である証なのだと信じていた。
私は、天才だ。
私にはその自信があった。誰も私の本質を理解できないと信じていたし、それが私を一層強く、孤独にさせているのだと確信していた。
私は天才であり、だからこそ孤独で、他の誰にも干渉されず、ただ自分だけの世界に浸るべきだと思っていた。
孤高の天才と呼ばれる日を目指して、前だけを向いて走っていた。
けれどそれは、結局のところ思い込みだった。自己暗示だった。
天才でありたいと願うあまり、無意識のうちに自分で自分を閉じ込めて。
私はただの、天才になりたいだけの人間だった。
それに気付かされたのは、病院のベッドの上だった。
目を開けて見知らぬ天井を見た私は、まず自分を見下ろす母の姿に驚いた。
ほとんど家出同然の勢いで家を出てから数年、両親とは会っていなかった。私の目覚めを喜んだ母が父を呼び、弟を呼んだ。
自分に何が起こったのかすら正確に理解しているとは言い難かった私に、母が経緯を説明する。
どうやら私の姿をしばらく見ていないと違和感を覚えた友人(私の認識では顔見知り程度の関係性だと思っていたので、母から友人という単語が出てきて驚いた)が、大家と共に家に入り、私を発見して救急車を呼んでくれたのだそうだ。
いつから食事と睡眠を取っていなかったのかと問われ、すぐに返答できなかった私に母は泣いた。
私が目覚めたと聞いた友人が、私を心配したという人間を数人引き連れて病室を訪れ、それほど大きくない個室は人でいっぱいになった。
そうして、私は思い知らされたのだ。
私は、孤独ではなかった。
天才であることに疑いを持たぬために、孤独だと思い込もうとしていただけだった。
私の周りには、私を想ってくれる人間が思ったよりもたくさんいて、私は。
私は。
ずっと、天才でありたかった。
天才であると認められたくて、結果を出そうと躍起になって。
そんなことをしている時点で、天才ではないと分かりきっているのに気付かぬフリをして。
私は、決して孤独ではなかった。私がそう思い込んでいただけだった。天才であることに固執するあまり壁を作り、自分で自分を孤立させていたのだ。
そうして、私は気付いた。
私が求めていたのは孤独ではなく、ただ自分を理解してくれる誰かだったのだと。
私は、ずっと天才でありたかった。
天才という枠の中にいられれば、誰に認められなくとも、ただ結果を出すことで満足できると思っていた。
孤高の天才として立っていれば、己の全てが揺らがぬと思っていた。
そんなことをしても、私の隙間を埋めることなどできないのに。
隙間は大きくなるばかりであるのに。
私は、泣いた。
いまだかつてないほど、泣いた。
孤独ではないと自覚した喜びと、天才ではないと自覚した悲しみと、一言では言い表せない感情の渦に飲み込まれて、私は、泣いた。
泣いて、泣いて、泣いて、そして最後に。
心の底から、笑った。
