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阿蘇神社北の宮 大樹と鯰の社     ィイ・ヤシロ・チ vol.81

阿蘇神社の輝かしい一の宮参拝を終えた一行は、その北の宮とされる国造神社に向かった。それほど遠くない其処に、あと数分で到着というところまで車を進めていくと、社までの一本道がぐるりと山に囲まれた平地に自分たちがいることに気づいた。

↑のヘッダー写真が、北の宮への道の前方である。

お天気も良く、なんだか青いドームの中にいるような感覚になった。フラットアースという言葉がちらりとわたくしの頭の隅に浮かんだ。
前後左右、360度全方位が丸く囲われている、不思議な風景。
こんな場所にいたことは多分人生の中で一度もなかったのではないか?
建物がないので、その自覚がスムーズなのかもしれないけれど。

左手やや前方
左手後方
後方も

改めてマップで確認すると、阿蘇神社からの道が平地をまっすぐに伸びて国造神社に向かっている。

まさに北の宮

この平野はかつて全て湖だったという伝説を北の宮の記事でしっかりと確認したのは、参拝旅を終えた後だった。↓

そういう話も知らぬまま、美しい見晴らしを無邪気に喜んで、目的地をただワクワクと目指していった。

難なく神社の駐車場に到着すると、四時近くの時刻で、目の前の社務所はすでに閉じられていた。ガラス越しに見える中には、中央に巨大なご神木の根元部分が異様な存在感で展示されていた。以前も参拝したという旅友Aさんが「すごいよね。」と教えてくれた迫力満点さに、あとの二人はただただ驚いて覗き込んでいた。

ご神木は畏怖が生じる巨大さ

御朱印は先ほどの阿蘇神社で授けていただいていたので、幾分気温の低い境内へ兎に角そそくさと向かう。時刻も夕方に差し掛かり、わたくしたち以外は誰もいない、例によっての「貸し切り」参拝だ。

趣のある鳥居前

鳥居をくぐると、豊かな水音と鳥の鳴き声だけが響き渡り、厳かな雰囲気が満ちていた。

手水舎から振り返る

小川に架かる石橋を渡って御神域に入ると、手水舎には氷が張っていた。日陰の場所であるのも相まってのことだろうけれど、此の地の厳しい冷え込みを改めて実感した。冷たく清冽な水で手口を清めて、後方の水神さんにご挨拶する。

北宮水神社にご挨拶

いよいよ参拝。御神気が豊かで、懐かしい雰囲気がする境内へ。

厳しい気配も漂わせて
鬼門封じのロケーションと伝説を感じる佇まい
霜柱の残る地面に建つ本殿は 優美な建築

本殿に祀られている神様は、やってくる前にあった湖を決壊させてその主である鯰を追い出し、干拓を進めて稲作を広めたといわれる健磐龍命の息子神

一方、退けられた鯰の霊を慰めるために、鯰を祀る社も拝殿の右手に設けられていた。わたくしはふいに「鯰って、鹿島神宮でも地震の元凶として踏みつけられていたなあ?」と、思った。確か、鹿島神宮の鯰は、江戸時代前には龍と言われていたという話だった、とすればこの鯰も?とちらりと頭をよぎった。

社の下には鯰の像

鯰社にご挨拶してみたら、その下部に置かれたご神体?依り代?の石の上に鯰の焼き物?があった。と、その裏側に赤いしっぽがちらりと見えた。「まさか、鯉だったりね。」などと独り言をつぶやいて後方に回って覗き込むと、アニハカランヤ鯉だった。

赤い鯉がいた!

ああ、鯉は滝を登ると龍になるという話もあったのだから、実は此処は龍を祀っているよという誰かのメッセージなのかもしれないとわたくしの妄想スイッチが入ってしまった。

退治された鯰とは何者だったのだろうと、さらに考えているとやはり討たれた先住民について触れられている偲フ花さんの記事があった。↓

『建磐龍命は、湖の精霊である鯰の霊を慰めるために、鯰を祀ることにしました。同時に、鯰を捕ることを厳しく禁じました。人々は、健磐龍命の深い慈悲と、自然への敬意に深く感銘を受けました。以来、阿蘇神社では鯰を神として祀り、人々は感謝の気持ちを込めて鯰の絵を描いて奉納する風習が続いています。』という伝承に、わたくしはなんとも物悲しい気持ちにさせられるのだった。

ところで、当社の最も注目される事物は、なんといってもかつてご神木として立っていた、巨木の展示である。前述のものの上部が境内にあるが、とにかく大きい。

幹と根の間の部分

度外れたスケールに感じ入った旅友Bさんが、「こんなにすごい木が育つこの場所のパワーは、まさにイヤシロチですよね。」と言葉にされていた。

北の宮は、阿蘇神社と比べると随分とひっそりとした社であるけれど、植物たちの旺盛な生命力がその分ダイレクトに体感できる場所であることは、間違いなかった。連日の冷え込みで地面は一部凍っているけれど、植物から発せられる気持ちの良い香りが濃密に漂う心地よさは格別である。

その感覚に心身をゆだねていると、この場所にある記憶のようなものにアクセスしたような光景が脳裏に浮かぶ。湖が養う水産物や葦などを生活の糧として分かち合い、必要な分で充足して暮らしを営んでいた、龍神を敬う先住の人々。

ある日他所からやってきた「米を栽培することを推し進める」人々は、その豊かな水辺を形成する水を何処かに流してしまった。光る湖は開拓されて、米の生産地に変容していった。何ものからも自由に暮らしていた人々は、農地に定住し、食料と税金の二重の意味を持つ「米」を毎年育てる務めを背負った。

定住する働き者は「正しく」、そうでない漂流する者たちは低く扱われるようになる。その後数千年を経た今、わたくしたちの目の前に広がっている長閑やかな平地は、そのようなストーリーの結末の光景なのかもしれない。

歴史の大きなうねりは人々を力強く巻き込み、押し出していくもので、決して善悪を問うべきものではないとわたくしは了解している。けれども、美しい話の後ろに隠されている出来事に、わたくしの視線はどうしようもなくスコープしていくのだ。それは、北の宮に鎮魂の気配を感じてしまったから。気のせい、妄想と言われることは承知の上で、古の光景か人々の情動に共振するような感覚に陥ってしまったことを記した。

人の仔たちは、かつてここで何らかの諍いを起こしていたのかもしれないけれど、森閑とした空間にはただ穏やかな時間と植物の香気があるだけだ。

出来得るならば、この平和な空間の社と人の仔たちの暮らしの営みが此処にそのままで在り続けてほしいと願うのだ。

春のデトックスは苦味で 蕗の薹

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。






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