あなたを見送るという、一番静かで大きな愛。1日でも長く生きること。
私には分からない。分からないけど言葉にしてみたい。
冬の静けさと灯りになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、ころん、と生きる。
きらきらしたら、ぷかぷかに戻るリズムの中で、私のままで、もうすべてそろってる。
無償の愛というものに近いのかもしれない。
そもそも名づけようとすることが違うのかもしれない。
あなたには、無償の愛を注いでくれる人はいますか?
お母さん?
両親?
パートナー?
子ども?
無償の愛を私は分かったと思ったことがあります。親になったことはないけれど、小説を読んだ時に、母親の子どもへの無償の愛が分かったになった、と感じた。
存在そのものを受け容れて、相手よりも長生きすること、相手のいない世界を生きる未来を引き受けること。
そこにある愛に私はふれさせてもらった。
存在自体を受け容れる
印象的な話があった。
相手が感情をぶつけてきた時に、それにされるがまま、というか痛いな~というような不快な感覚は感じるけれど、そのままに感情をぶつけられることを受けとめている、と私は受けとりました。
私もただただ相手の感情を正面から浴びるようなことはある。
けれど、それとは違うと思った。
自分が不快だったり、イヤな感じを受けとることそのものを引き受けている所が違いました。
拒否したり、相手に感情そのものをぶつけてくるな、と伝えない。
私は、相手から感情をぶつけられた時に我慢して嵐が過ぎ去るのを待つというスタンスで対処しているからです。
相手の感情そのものが表現されることも抑えないし、受けとめている。
それによって自分が多少なりとも感情を乱されることも受け容れている。
それは、相手の存在そのものを受け容れているからだ、と思った。
ここに愛がなくて、何があると言うのだろうか。
1日でも長く生きること
ご夫婦が、相手に対して「私よりも長生きしてね」と話すというエピソード自体は聞いたことがある。
連れ合いに先立たれること、その喪失感や悲しみはとても大きい。
だから、「私よりも長生きしてね」。
「あなたのいない世界に耐えられない、だから私よりも長生きしてね」と伝える言葉にも愛はあるけれど、それを受けとった側の人に私はふれさせてもらいました。
1日でも長生きする側、その言葉を伝えられた方に、愛は量ではかるものではないけれど、より大きな愛があるのでは?と思った。
そう伝えられているから、当たり前に自分は相手よりも長生きするということを引き受けているように私には見えました。
そう思うまでに、もしかしたら何か葛藤がおありだったのかもしれない。
けれど、自分が相手よりも長生きすることはもう確定している未来、そう私は感じた。
そんな風に相手を思いやる人がいると知っていることと、実際にそう生きようとしている人から言葉を受けとる、ふれさせてもらうのでは、全然ちがう。
だから、健康を気遣うし、相手を見送った後で自分が死ぬ時のことも現実的な問題として冷静に考えておられるように見えました。
相手を見送るということは、自分が相手を失う痛みを引き受けること。
そこから先の人生を、相手のいない世界を、未来を生きていくことも引き受けること。
引き受ける、とやわらかい言葉で書いてきたけれど、覚悟だ。
自己犠牲なんかじゃなくて、生きていく中で一番悲しくて辛いかもしれないことを相手に経験させるのではなく、自分が引き受けること。
伴侶の死は人生における最大のストレス、と研究などでも言われている。
そこには、やっぱり愛があるよね?
私は、自分以上に愛する相手という存在もよく分からないし、誰かに特別に愛されるということもよく分からない。
だから、あまりにも幼い考え方で受けとめ方かもしれないけれど、愛はあるって感じるから、分からなさの中にいても書こうとする。
静かな愛
静かな愛を私はそこに感じていて、けれど到底私の理解などは及ばない愛だとも感じています。
だから、何と表現するのか、この愛がどんなかたちをしているのか、全部は見えていない。
もしかしたら、そもそもふれてもないのかもしれない。
長くともに生きてきたから生まれたでもないと思うし、そこにはお互いにしか感じられない、見えない愛があるんだと思った。
すべてのご夫婦にあるでもないと思うから、尊いものだと感じた。
まとめ
いろんな愛を私は日々発見したり、気づいたりということをしている。
その中でも、全然分からない境地だと思った愛でした。
けれど、その分からなさのままに、分からないなりにも「ある」って思ったから、今の私が感じることを書きました。
書いてもいいのか、書けるのか、という気持ちがあったけど、愛にふれさせてもらっているから書きました。
私は、この方のあたたかい愛にふれさせてもらっている。
ふれさせてもらって、愛を贈ってもらっていて、照らしてもらっている。大好きだ。
何でもないことのようにお話しして下さったけれど、とんでもなく大きい愛だよね?って思うので、言葉にしてみることにしました。
愛をちゃんと存在させたかった(書かなくてもあるんだけど、ふれさせてもらった私がそうしたかった、エゴ)。
名づけようのないこの愛を、あなたはどんな愛だと感じますか?
それとも、かたちはないのでしょうか?
私と出会ってくれたこと、ご縁をつないで下さっていることに改めて心から感謝です。
言葉にしきれないくらい感謝です。
今日もここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この場所に、その日の気づきを静かに置いています。
また、書きにきます。
もし、この文章を読んで少し話してみたいと思うことがあったらプロフィールnoteに静かな入口を置いています。
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