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『父という病』岡田尊司 感想

コーチングに全振りしているなほです。
有償でコーチングを提供するに挑戦中です。

同じ著者の『母という病』を読んでいて、こちらも読みました。おすすめしてもらった本です。

『父という病』岡田 尊司
ポプラ社 ¥890+税 2015年

私は母親との関係に少し問題があったというか、私の受けとり方もあるけれど幼少期の関係において孤独感や受けいれてもらってなかったと感じていて、『母という病』を読みました。

父親との関係に特別問題があったとは感じていません。しかし親子関係において、母親とだけの関係を見るのではなく、父親もそこにはいた訳で、両親がいて私がいるので読みました。

両親がいて私がいる

皆に両親がいる

この感覚、私は持ち合わせていなかったなと思います。

こういう言葉をかけてもらって改めて気づきました。
大人になって私が結婚していない(私自身が親になってない)ことも関係するのかもしれませんが、両親に育ててもらって私が存在するのに、当たり前過ぎて忘れてしまっていたと思います。

私の父子関係はどうだったのか?
がぼんやりしていて、関係が薄かったように思うので、解像度が上がれば良いなという目的で読みました。

やっぱり、親子関係は母子関係だけで語ることは無理があって、父親との関係も影響しているということが分かりました。

私にとっては父親の存在は、最近急に意識されるものになってきました。
幼い頃の親子関係を、母親とはどうだったか、父親とはどうだったかと分けて考えた時に、私は父親のことが大好きだった。けれどその思いに蓋をしてないものとしてきたんだ。ということに気づいて涙が出たからです。

 父親のことを愛おしく思うことをあなたがいつのまにか自分に禁じているとしたら、その禁を解けばいい。あなたの中には、父親を憎む気持ちとともに、父親を愛する気持ちがひそんでいるのではないのか。その気持ちがとても大切なのだ。それは父親のために大切なのではない。あなた自身のために大切なのだ。なぜなら、その気持ちが、あなたの人生に、あなたの周りの人との関係を良い方に導くからだ。
 父親のことを肯定的に思えるようになったとき、あなたはもっと自分を肯定し、他人を信頼し、身近な人を思いやれるようになるだろう。

p331

両親は私が大学生の時に離婚し、それ以来父親とは1度も会っていません。
けれど、離婚して欲しくなかったという思いはありました。
父親を憎いという気持ちはありませんが、上記に引用した文章が私の状態と近いと感じました。

『母という病』と同様に多様な父子関係や父親像が紹介されており、自分と似た父親との関係や、こんな父親だったなというのが見つかるのではないか、と思います。


母親が父親をどう扱うかの影響

読んでみて分かったのは、母親の父親に対する評価の影響を子どもの私は受けていたということです。

否定的な父親への評価をそのまま私が父親を見る目としていた、という気づきです。
母親が父親のことを重要視しない態度は、そのまま私が父親を軽んじることにつながっていたと思います。
中学生くらいの時には、家庭内がぎくしゃくし始めていたので、尊敬したり敬う対象としては父親のことを見ていない側面が母親を通して生まれていたと思います。

今なら冷静に親を1人の人間として見ることができるけれど、子どもにとっては親は特別な存在で、世界の中心だから何でもできるし正しいって思いがちだと思いました。

だから母親の態度が自分の態度や判断になるのは仕方がない。

 母親の嘆きを前に、子どもは父親に対する愛着を捨て、嫌悪や憎しみに変える。世間に蔓延している父親に対するネガティブな感情は、ほとんどすべて母親由来のものだ。父親に対する母親の嘲りや愚痴や敵意を、子どもはそっくりそのまま貰い受けてしまう。母親に同調するがゆえに、母親の父親に対する嫌悪感や反発にも同調するのだ。

p272

存在感が薄い

母親よりも圧倒的に私にとって父親は存在感が薄かったという印象でした。
だから、楽しく遊んでもらったという記憶はあるけれど、逆にそれ以外の思い出がないというか美化されてるのかな、と思っていました。
叱られたという記憶も忘れているだけかもしれないけれど、ありません。

だから、とりたてて問題はないように思っていました。
思春期以降の父親との関係は、問題だったのだろうと今は分かりますが幼少期に関しては特に問題はないのでは?と感じていました。

けれど、本書を読んで分かったのが、父親が不在であることもまた、何かしらの問題を生むということです。
両親は互いに補い合う存在です。

父親が私と母親の関係に立ち入ってこない状況が、母子2人きりの関係を作り出してしまう。
が私には起きていたのではないか、と思います。

「母子カプセル」という言葉があって、そんな感じだったんだろうなと思いました。しかも私には自覚がなかった。
過保護だという指摘を受けたことからも、私と母親がお互いに依存していたんだろうなという自覚からも「密着した関係が生まれる」と書かれていましたが、そうなんだろうなと思います。

母子の強い結びつきがあるのは、良いことのように思われるけれど、本書を読んでの最大の気づきが、父親が不在(私の場合はいるけど、薄い)でも問題は起きるということでした。
父親不在症候群という言葉で紹介されています。
父親がいるのに影が薄い、「父親が機能的に不在の場合」に当たると思います。

母子の結びつき、強過ぎるというか近過ぎてもダメ。
父親という存在にも母親と同じく役割があって、それが果たされないと成長やのちの人間関係に影響がある。

父親は母親よりも育児に関しては影響ないのかな、と思っていたけれど、そんなことはない。

母親との距離が近過ぎた私は、そこで安定した関係があったかと言えばなくて、
「父親を締め出した母親と子どもの関係は、所詮、母親による支配という関係だ。母親は子どもを独占することによって、思うがままの支配を手に入れるのだ。(p271)」

すごく理解できました。
私が親の価値観から出られないと思っていたのは、母親の価値観から出られないで、見方を変えると支配されていたになる、と思いました。

依存するリスクが高い私

私は、母親に依存していたことと、資格や肩書に依存していたという気づきがあってから、
自分が人に依存しやすいと認識して人間関係において注意しています。

この依存しやすいも、両親との関係が影響している、が分かりました。

相手に依存される・自己犠牲で頑張る

 親の顔色や気分に支配された子どもは、自分の気持ちや事情よりも、相手の都合を優先しやすい。いわゆる依存性パーソナリティと呼ばれる特性で、頼られると、自分のことは措いておいても、相手に尽くしてしまう。理性で考えれば、割に合わないような犠牲を払ってまでも、相手を支えようとしてしまうのだ。

p233

私の潰れるパターンが、頑張って頑張って頑張って潰れてしまうことです。自分よりも相手を優先して、自分を優先出来ませんでした。
子どもの頃は優等生でした。親の期待にこたえる私でした。
今は自分を最優先することがだいぶ出来るようになりました!

どんな父親であってもそばにいて欲しい、父親を見捨てられないが離婚するまでの私にはあって、それが影響していそうです。
母親のことは支えないとって思っていて、父親のことは同じことを繰り返していると思いながらも助けないとって思っていました。

しかも看護という仕事においては、「この奉仕的なパーソナリティは、良き支え手として活躍できる(p235)」と書かれていて、
職業選択においてどれほど影響があったかは分からないけれど、仕事における自己犠牲のような感じって私は当時は気づいていなかったけれど、自分が損なわれるくらいにはやっていました。

甘えたいのは父親に?

人に甘えないようにを最近注意していて、それはフラットな私を保つ、大人になるということが目的です。
いつまでも子どものような私を出すのではなく、大人になりなさいと伝えてもらったからです。

そういう意識で自分を観察してみての気づきは、年上の男性が苦手だな気持ちもありますが、逆に年上の男性には甘えたい私が出やすいという気づきです。
だから、特に年上の男性と接する時は注意するようになりました。
年上の人に甘えやすいというのはあると思いますが、もしかしたら影響があるのかなと思います。

父親に甘えたい気持ちがうまく処理出来ていなくて、だから甘えたい?
うーん、それでいくと母親にも私は甘えたかったという気持ちがあったという自覚はあって、両親に甘えたかったということなのかな、と思います。

甘えたい気持ちはあるけれど、これほんとにうまくこれから付き合っていけるのか?
甘えると依存の近さもあって、どうしたら良いのか、と思っています。

引き続き甘えたい私が無自覚に出ないようにコントロールするを意識することは必要だと考えます。

けれど、甘えたいという気持ちは私の中に確実にあるので、それを満たせる時間や相手が欲しいと思います。

子どもの私の未完了のような気配もします…。
寂しいは、終わらせたけどこの気持ちも同列に扱うやつかもしれません…。

甘える、依存、人に頼ることの3つが絡み合っていて、すぐには解決できないけれど、これを持ちつつ生活しようと思います。

社会的なコミットメントによる昇華

理想的な父親ではなくて、どういう父親だったかというと優しいし暴力を振るったりということはなかったですが、私が中学生くらいの時には借金を作っていてお金にいつも困るような人でした。

 父親という理想像を回復させようと、懸命の戦いを繰り広げる人は、その自己犠牲的精神構造もあいまって、困っている人のためや社会のために働くことで、心のバランスをとろうとすることが少なくない。
 社会的に意味のある仕事をすることで、自分の抱えた葛藤を、より高く、大きな視野を手に入れることで解消しようとする試みでもあるということだ。

p255

を読んで、仕事で自己実現したいを目指していたことに影響があったと感じました。
私が自己実現や仕事がすべてだという生き方をしていたのは、父親の機能的な不在の影響を受けてそうだと思いました。

まとめ

思っていたよりも父親との関係が薄かったからそんなに影響なかったのではないかという読む前の気持ちは見事にひっくり返されました。

ここに書いたことすべてが父親や母親との関係だけが原因で起こっていたとは思いませんが、私の生き方に影響はあったのだろうな、と思いました。

また、父親の影が薄いことによる弊害が私の場合は起きていたと思います。

完璧な人間はいない、それは両親もそうで子どもの頃にはそれが分からなかったけれど、今はそれがよく分かりました。

また、特別悪い関係だったとは思っていなくても両親の影響は絶大で、それがまったくないことはないということを改めて感じました。

父親との関係の解像度が上がればと思って読みましたが、私の生き方に父親の機能的な不在が与えていた影響、もっというと私自身を振り返ることになりました。

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