安全な枠と引き換えにしているもの コーチ・クライアントという関係の中で
ずっと葛藤していたものの正体を言語化してもらった。
春の日差しでありたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、ころん、と生きる。
きらきらしたら、ぷかぷかに戻るリズムの中で、私のままで、もうすべてそろってる。
コーチングを受けたことはありますか?
言葉くらいは聞いたことがある。
受けている。
コーチやってます。
私は、コーチング沼にはまっているので、クライアントでもありコーチでもある。自分もコーチングを受け続けている。
互いにコーチ・クライアントという役を引き受けて対話するのは安心をもたらす。他方、その枠を取り払って人と人としての関係を濃くする時、本当に深い部分にふれる。
どちらにも優劣はない。
私のふれてきたコーチ・クライアントという関係
コーチは何かを教える存在ではない。
あなたの中に答えはあると信じて関わる存在です。
もうすでにあるから、ともに見に行くだったり、光を別の方向から差し出したりしている。
コーチとクライアントは対等で、先生と生徒というような上下の関係ではない。
「伴走者」という表現がされることもあります。
私がスクールで教えてもらったのは、セッション(コーチと2人で対話する時間をこう呼びます)は、2人で一緒にダンスするようなもの。
コーチがリードする時もあるし、クライアントさんがリードすることもある。一緒に踊る。
音楽のセッション(合奏)にたとえられたりする。
一緒に1つの音楽を奏でていく。
また、アートだとも教えてもらって、そうだと思う。
今の私とあなただから、その瞬間にしか生まれ得ない対話、変化、気づきが生まれていく。
昨日の私でも今日の私でもない、体調も精神的な状態も今この瞬間の私というのは、もう二度とない。
また、セッションにおいて、コーチは評価・判断をしない。
これが前提にあります。それは心理的安全性のために必要なことです。
だから、コーチも人間なので自分の価値観があるけれど、それを横に置いて、あなたのそのままを受けとめて、そこでジャッジしたりしません。
その場で話されたことに対する守秘義務もあるし、無理に話を聞き出そうとしたりしないし、話したくないことは話さなくていい。
そんな場です。
人としての信頼関係を育みながら、お互いが対等にこの対話を作っていきましょう、という関係において、話されるし、きかれる。
お互いに、コーチ、クライアントという帽子をかぶって対話に臨む、というのが私の思うコーチ・クライアント関係でした。
この枠があるからこそ、安心して話せるし、クライアントさんの主体性を奪わないことにもつながっていると思う。
そして、もちろん人としてお互いに尊重しているはある。
「人として向き合ってもらっている」
コーチングと呼ぶのはもしかしたら少し違うのかもしれないけれど、コーチングと重なりのある対話を私はコーチングマインドを持つ人としている。
それをし始めた当初、私は困っていた。
クライアントであらねば、という感覚。
というか、私の今までふれてきたコーチング観というものがあるから、それと違うことが起きていて、戸惑っていた。
コーチ・クライアントという関係で始めましょうとは確かにした。
けれど、コーチの思うその関係と私の思う概念がずれていた。
私は前述のような概念で動いていて、けれどコーチは、私を1人の人間として向き合うをしてくれていたから。
私の感覚からすると、それは私以上に私を大事に考えてくれているのではないか、と感じさせるものだった。
だから、私は「人として向き合ってもらっている」と何度も書いている。
それは、私の思うクライアントとして接することと違ったから。
私は自分から人と関係を作るということに対して慎重で臆病だった、特にその時は、ここまでは近づいていいけどそれ以上は近づかないという線を引いて自分に課していた時期だった。
依存するかもしれない、相手から拒否されるかもしれないって思っていたからだ。
だから、混乱していたのだと思う。
クライアントという呼び名は確かについているのだけど、私の思うクライアントという感じを逸脱していたから。
これに、どこまで近づいていいの?とクライアントであり続けなきゃと思いながら、少し困っていた。
この「人として向き合ってもらっている」を言語化してもらった。
人と人という関係の「一部」にクライアントという部分がある。
それだ!ってなりました。「コーチ-クライアント」という関係性の部分は一部に過ぎなくて、それよりも大部分を占めているのが、人と人としての関係性の部分。
だから、クライアントさんを選ぶということになる。
人と人として共鳴するか、重なりがあるか、ということをとても大事にしているコーチだから。
私もクライアントさんとは選び、選ばれる、互いに出会うのだと思っている。コーチを探していた時、「選ぶ」という言葉にとても抵抗感を覚えたことがある。
そうじゃない、選ぶじゃない、出会うなんだよって思ったから。
だから、出会いたいなーって思う。
私のことを好きだと感じたり、ちょっと似てるかもって思ってもらえる人と出会いたい。
私のコーチング観でも、土台に人として互いに尊重し合うはもちろんある。
互いに協働してその場の対話は作るものだから。
だから、コーチという帽子、クライアントという帽子をかぶる。
けれど、帽子を脱いだ状態の人そのものとして関係を築く、その部分を見せる、関わるを私はしない、というかしてはいけないとすら思っていたのだと思う。
私の中では、土台に人と人として信頼できるはあったけれど、実際に関係性としては、「コーチ-クライアント」という部分にだけ光が当たっていて、その帽子をかぶっていない所にあるフラットな人としての関係の方を見ないようにしていたのだと思う。
気軽にコーチング以外の場面で関わらないことは、倫理という所とも私の中ではつながっていたし、また人間関係の築き方に恐れを持っていたということも関係していると思う。
はじめてコーチングを継続的に受けた時、「いつでもLINEしていいよ」とおっしゃってもらっていたけど、一度もしなかった。
というか、出来なかった。
近づくのが恐いでもあり、クライアントとしての枠を守るが私にとって、気軽に連絡しないだった。
安全な枠と引き換えにしているもの
私の思っていた、人としての信頼が土台にあると分かりつつ、「コーチ-クライアント」という枠の中でコミュニケーションをとることを基本とする。
ここにおいても気づきが起きて、行動が変わっていくということは起きていく。
これは私が自分で体験しているから、そうだと言い切れる。
けれど、限界のようなものが存在している。
そう教えてもらって、そうだと感じた。
どうしても、その帽子をかぶっていると、ふれられない領域が生まれる。
安心と引き換えに、本当に奥深くの所で、光が届かない部分ができる。
感覚だけど、分かると思った。
私は、愛の扉が私の中にもある、ここにあるよって見せてもらって、開けることをした。
だから、人生で一番大きなインパクトのあることが起きて、私は愛がない設定から、愛があるにOS更新した。
この先、ずっと愛がある人生を生きられるになった。
その上、ただふれるだけじゃなくて、愛されているが体で分かるになれたのも、ずっと私をクライアントとしての部分だけじゃなく、1人の人間として向き合ってもらっていたからだ。
今、私は愛そのものだった、まで思い出した。
これは、コーチが私をクライアントとしての部分でしか関わらない、その視点で見るだと起きなかったと思う。
コーチとして生きたいがカチッとしたのも、誰よりも信じてもらっているから。
人と人という関係の一部として、クライアントという名前のついている部分がある。
それがうまく私の中ではつながっていない、私のふれてきたコーチングと違っていたから、最初何が起きているのかよく分からなかったのだと思う。
分からないけど、感じてはいるから、「1人の人として向きあってもらっている」という言葉にはなっていて、それはクライアントという域を越えていると解釈していたけれど、違った。
越えているじゃなくて、一部。
始めから、クライアントとしての部分だけで関係性を築くというのは、コーチにはなくて、人と人として関係を築きましょう、その一部に「コーチ-クライアント」という呼び名もつけておきましょうだった。
まとめ
関係を始める時に、どの視点で関わる、始めるを共有しておくことが大事だ。
安全な枠と引き換えにしている、という捉え方で書いてきたが、これに優劣はない。
どちらもあっていいものだ。選んだらいい。
今思い返したら、コーチはそもそもこの人とコーチングしたい、と思う人にしか伝えないと最初から私に伝えてくれていたので、人と人として合うなって感じていて、そこがスタートだよ、って伝えてくれていた。
けれど、私も私がふれてきたコーチングの世界があったから、それと同じ、それが私の常識だったから、うまく理解出来ていない部分があったのだと思う。
人と人として出会うがあって、その先にコーチングというツールで対話してみる選択肢が生まれる。
今の私の人との関係、コーチングを通した関係を見ても、本当に「コーチ-クライアント」という関係性にしか光を当てないということでもないかな、と思う。
それが大事ではあるけれど、人と人としての部分もちゃんと大事にされていて、帽子をかぶらずに関わるもある。
感じていて、言葉にはなっていたけど、何が違うのかが言葉になっていなかった。それをさらっと教えてもらったことで、一気に風が通りました。
あなたにとっては、当たり前のことなのだとは思いますが、目を開かされました。体験していてもうまく言葉になっていなかったです。
ありがとうございました!
今日もここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この場所に、その日の気づきを静かに置いています。
また、書きにきます。
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