心は体のどこにある? 心と体はつながっている
コーチングに全振りしているnahoです。
有償でコーチングを提供するに挑戦中です。
心は体のどこにあるのかという話、面白そうだと思いませんか?
「心って体のどこにあると思う?」と聞かれたらなんて答えますか?
毎日が同じことの繰り返しでしんどいな、仕事面白くないなというのは、どこで感じますか?
頭で考えたことですか?
それとも仕事帰りの疲れた体全身で感じますか?
仕事はお金を稼ぐためにやっていて、本当は違うことがしたいのにな、もっと生き生きと働きたいのになという気持ちはどこで感じますか?
私なら、脳か胸のあたりと答えます。
看護師をしていたので、脳が思考を司ってるし感情も脳だよねという感じはあります。
一方で胸があたたかくなる、胸がいっぱいです、胸が痛みます、胸きゅん、
などの言葉があるように、心は胸の辺りにありそうだということも分かります。
感じる所、心ということと完全にイコールではないかもしれませんが、言葉で考えるのが脳だとしたらそれ以外の非言語の世界、感覚の世界は体の丹田にあるという考え方を教えてもらいました。
心と体はつながっている
これは、なんとなく分かると思ってもらえる話だと思います。
明日は仕事で大事なプレゼンがあるという日の前夜はなかな寝つけなかったり、当日は緊張でお腹が痛くなったりすることは、似たような経験をお持ちの方もたくさんいると思います。
それが行き過ぎると、心身症や自律神経のバランスを崩したり、慢性的な不眠などいろんな心と体のトラブルに発展することもあります。
精神的なプレッシャーが体に影響を及ぼす話をしましたが、逆もあります。
体をケアすることで、心(マインドや精神的な面)が整うということです。マッサージを受けて血の巡りやリンパの流れを整えることで体だけではなく心も整います。
ヨガやピラティスもそうなのかなと思います。
看護的には、「手当て」という言葉があるように、痛んだ部分に手を当てる、体をさすることで痛みが和らぎ、それは痛みだけではなく心もケアされているから体が楽になるのだと思います。
細胞に記憶があるという話も教えてもらいました。これも解剖の知識からいくと、人の体の細胞は常に生まれ変わっていて、完全にすべての細胞が入れ替わるまでのサイクルはそんなに長くありません。
けれど、体が覚えている
ということは理解できます。感覚です。
自転車に乗れるようになったら、あとは体が覚えているという話ではなく
今でもあの時に握ったおばあちゃんの手の感触が忘れられないという感覚や、初めて我が子を抱いた時の赤ちゃんのあたたかさや重みが今でも残っているというような感じです。
呼吸を整えることで自律神経のバランスを整えるというのも、心と体はつながっているということを説明するのに聞いたことがある方もいるかもしれませんね。
丹田に感覚や言葉ではない感じる世界がある
というのは、腸や子宮のあたりで、その感じるの世界で何かを感じて、良くないものだと、お腹が痛くなるのは体もつながっているからという話でした。
これ、分かる。腸に記憶があるという話を聞いたこともあるし、腸を整えることが重視されているという話題にふれたこともあります。
私は思考(言葉)の世界で生きているに重心がある
考えることが大好きなので、言葉があることが前提です。
だから、感じることや非言語の感覚の世界よりも言葉の世界、思考が私の生きる世界では大きい部分を占めています。
他方、最近の私は好奇心や直感をフルに活かしていて、それは思考よりも感覚の世界だと思います。
どうして受けたのか?しようと思ったのか?
と問われて、
直感です。
と説明になっていない返答をすることがあります。
これを私は全然良くないこととは思っていなくて好奇心で行動できることが嬉しいです。
もしかしたら、本来の私は直感型で思考する私は後天的に身につけたのかもしれません。
言葉は使うこと、読むことで身についたと感じます。
思考と感覚に優劣はないと思います。
けれど、自分の考えを伝えたり、人とコミュニケーションをとる時には言葉に頼ることが多いので、わりと重宝しているというのはあると思います。
感覚の世界で生きている人との出会い
私と反対で、感覚の方に重心がある人と出会うことが最近は多いと感じます。
これ、多くなってるのってそういうタイミングなのかな?と感じます。
ぱっと思い出すだけでも5人くらい、感覚で生きている、感受性が高い、体で感じることが自然なんだなと思う人が浮かびます。
そういう人と出会うとどうなるか。
まず、私は言葉の世界の比重が大きいので、よく分からないが起きたりします。
説明してくれるのだけど、それは感覚を言葉で説明してくれているので、分かったような分からないようなということです。そして、その感覚をうまく共有出来ないことがあります。
けれど、相手が言葉以外のものを感じているというのは分かるのでそれを共有させてもらえた、私も分かる、と思える場合もあります。
この感覚の世界を見せてもらえる、共有させてもらえる瞬間が私は好きだ、と思いました。
体で感じること、それを言葉にしてもらうことで、よく分かんないも起きるけどそれ以上にこんな世界が広がっているんだね、私にもちょっぴり見えるかもとなる相手の世界に入れてもらっている感覚?が私は好き、と書いてて気づきました。喜びの方が近いかも。一緒に感じるをしようよって言ってもらってるように思います。
そして、言葉にならない感情を汲み取る、感じる力の高さに驚きます。
私も相手の表情や雰囲気など言葉ではない部分を察知することは出来ますが、それをそんなに感度高くは受けとっていないと思います。
感情が伝わってきて、相手より先に泣いてしまうということは私には起こらないし非言語の世界って言葉の世界よりも繊細で、それは急に身につけようとして身につけられるものでもないのかなと思います。
けれど、私も感覚や体、心が感じることに対して純粋になっていきたいと思います。
まとめ
書いてみると理解度が浮き彫りになるのですが、私はやはり感覚の世界や感じる事、非言語の世界をまだあまり分かっていないと思います。
だけど、分からないからもういいやとは思っていなくて、知りたいと思っています。
思考の世界に重心があっても私にも感じることや感覚で受けとるということはできるし、考えることからなかなか離れられないので、それを手放して、感覚の世界にどっぷり浸かってみたいなと思います。
好奇心や直感をコンパスに感じる、感覚、言葉のない世界を探索したいです。
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