見出し画像

「コーチの私」が「私」の一部になるにはどうしたらいい?(クライアント) コーチング

革命が起きたなってレベルで見え方が変わりました!
もう大丈夫になった。

あたたかいクライアントさんと出会うを実験中のなほです。

毎日楽しいが向こうからやって来るし、もっと楽しいを私にさせちゃう。

楽しくすぐに幸せになっていいよって私が私をぎゅってする。

コーチには守秘義務があり、コーチングセッション(コーチと2人で対話する時間をこう呼びます)で話したことが外に出されることはありません。
このnoteは、私がクライアントとしてコーチングセッション(練習でした)を受けた記録、それをさらに深めた内容です。
※noteをご覧になったコーチからのコーチング相互セッションはお受けしていません。

私が幸せに生きるに近づくこと、それとコーチとして生きることがうまく結びついていない、私の幸せに「コーチの私」が入っていないな~って思っていました。

これをちゃんと接続しないと、私はコーチとして生きることが難しいと思ったので、テーマにしました。

わりと緊急度も重要度も高めだと思っていたテーマ。

私に見えている世界をコーチに話しました。

私の最近の気づきは、「コーチの私と私自身がぴったり一致しているのが最も望ましい状態なのでは?」ということでした。

私のままで話してもコーチングみたいな感じ。
Life as work.みたいな状態。
溶け合うというか、境目がない感じ。

今までの私は、ずっとコーチの私を私の一部にしたい。そう願っていました。

けれど、そうは今なっていなくて、コーチの私と「私」がほぼ重なる状態が理想だけど、さすがにそれはかなり遠いし、まずは一部にすることじゃ?って思っています。

「コーチの私」は手のひらにのせたボールのような感じで、ボールを手のひらにのせたり、投げたりしながら、こういう感じなのね~って観察していて、ボールだからある程度はさわれるし、使ったりも出来る。けれど、私の一部にはなってない感覚。

▶いつからコーチの私を私の一部にしたいと思っていたの?みたいなことを聞かれていて、

私は「コーチとして生きる」を決めた瞬間というのがある。
その時点からは、コーチの私を私の一部にしたいと思っている。まだ1年は経っていないけれど。と話しました。

誰が何と言おうと、私がそれを決めるだけでコーチとして生きることは出来るって思った。

さらに、コーチとして生きることはしたいけれど、
コーチになりたいの?って問われたら、それは「いいえ」になる。

コーチになりたい、ではなく、「コーチとして生きたい」

「コーチを仕事にしたい」も違っていて、そうなんだけどそうじゃない。

コーチとして生きるの中に、仕事としてのコーチが内包されている状態。
だから、生計を立てたいは思っている。順番が違う感。

コーチとして生きたい。

わりとはっきり言っていたみたいで、コーチからのフィードバックで私はそこに迷いはないんだなって感じました。

コーチがとても好奇心を寄せて、私にとっての「コーチとして生きる」とはについて話を聞いてくれました。

おそらくコーチにもどんなコーチになりたいかなどがあったはずですが、ジャッジせずに聞いてもらったこと、私を理解しようとして下さいました。

私は、今コーチに「なる」をしているということも話しました。

コーチとしてクライアントさんの前にいる時には、帽子をかぶっているのだ、と話しました。
これも、コーチにとっては面白かったようです笑

スクールでそんな風に教えてもらっていて、切り替えなのだ、と話しました。
さらに看護師の時は、白衣に着替えることで看護師の私になっていて、それと同じような感じだ、と。

コーチにかなり粘り強くきかれたのが、
▶その帽子いるの?

いるよね?えーっ、絶対いるよって感じだった。いずれはコーチの私が私の一部になるって思っていてそうなればいらないのかもしれないけれど、今は帽子いるって感覚。

何回か同じ問いを聞かれていて、
本当にいるのか?って思考がめぐっていて、なんでいるの?って聞かれると、私そのものに自信がないからって答えました。

これ、看護師の私と同じことが起きているんだなって思いました。
ありのままの私に価値があるってあんまり思えていないからその肩書きに頼り切っていた。

本当は、そのままの私が看護スキルを携えている、コーチングスキルを携えている状態で関われるのがベスト。

顔の見える双方向の関係。
看護よりもコーチングの方が、ありのままの私で関わることが出来そうって私は考えている。それを思い出しました。
noteにもちゃんと書き残している。

だから、帽子だったら顔が見えるってすごく素敵なことだって感動したの覚えている。

看護師、看護師スーツを丸っと着ているような状態でやっていた。
場合によっては仮面だったかも。
けど、心の通い合った瞬間もあった。

帽子かぶってるのは、私だよねって感じで、気づきが起きたのだったか、ちょっと脳のリソース的にあやふやになってきている。

▶コーチの私を私の一部にするために何かする必要があるの?

って問いをどこかでもらっていて、何て答えたかは覚えていない。
けれど、何かをする必要はない気がします。これを書いている今ここの話です。何て答えたかは覚えていない。

そのままでもコーチじゃない?
っていうことが分かりました。

「なる」をしなくても私のままでもコーチとして存在することはできる。

コーチの私と私自身は別、分かれているって捉えていたけれど、私の中に「コーチの私」が内包されているって分かった!

一部になっていないではなくて、もう私の中には「ある」。捉え方の違い。

だから濃淡みたいな感じで、コーチングをしている時に、その内包されているコーチの私を色濃く出してきたら良いだけだ。

始めから別々のものって思ってたけど、違った。

私として生きることの中にコーチとして生きるは内在されている。

私のままでコーチとして立つのは、今は不安定だから、やっぱり「なる」意識の切り替えは必要だけど、がちがちにコーチの私という人格を作ってしまわなくても良い。

フラットにその場にいることが難しい場合は、がちがちに作った方が良い時もあるんだろうけど、ちょっとその感じを手放してみる。

どんな私であるかが一番大事で、私が帽子をかぶってコーチになるなら、やっぱり素のままの私はコーチとして関わるにしてもちゃんといる。

「私が私を信じる力」を持って歩くって決めているから、私自身を育むことを少しずつ続けていく。

まとめ

コーチが面白いねって感じで聞いて下さったのが、とても嬉しかったです。

若干、こじらせたことを言っていたようにも思うのですが、私の中では、責任を果たすために、ちゃんと切り替えられる、コーチの私としてそこに存在するために努力してきたことでもありました。

切り替えるは大事にしながらも、コーチとしての自信も、私自身への自信も強くしてきます。

コーチとして生きることと私の幸せはつながってないことはなかった。
私が私らしく生きようとすることが、コーチの私を育んでいくから、大丈夫。

私が幸せに生きることは、コーチとして生きる上でも幸せになるにちゃんと循環していく。

好奇心を持ってきいてくださったコーチに心から感謝です。ありがとうございました。

この記事が少しでも役に立った!面白かった!と思ったら、ぜひ『スキ』ボタンで応援してください(ログインなしでOK)。

あなたの感想もコメントで教えてもらえると、とても嬉しいです!

これからも「私のコーチングクライアント体験」についてたまに書いていくので、フォローして楽しみにしていて下さいね。

読んで頂き、ありがとうございました!

いいなと思ったら応援しよう!

なほ|照らし、照らされるライフコーチ あなたと私の間に愛が循環していきますように。いただいたチップは、私が健やかに生きられるようにチョコ次郎を買うために使わせて頂きます。

この記事が参加している募集