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海のそばで愛に気づいた日 父親を愛している私

ただ静かに父親の健康を祈ることも愛なのか、という気づきがあった。
けれど、それよりも強く私は父親を愛していることに気づいた。

秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
胸に宿る小さなひかりは、そっと世界を照らしています。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。

誰かをこんなにも愛していたのか、と気づいたことってありますか?

失いそうになった時、けんかした時、しばらく離れて生活した時。

私は、私の中にある愛がよく分かりません。

あるってことは、周りの人から教えてもらうことで、あるんだな~という感じで分かっていて、けれど自覚できている愛は一部だと思います。
愛を贈りたい、渡したいの能動的な感じは分かるけど、そこにただある愛は見えていない。

「私にある愛」は、誰かに教えてもらわないと気づけないことがやっぱり多い。
だから、今回も1人で気づいたのではない。

教えてもらった。
転居したことを知らせるのか、そういう思いを抱えているから、父親について考える季節がまたきている…。

精神的な体力使うなぁ。

現実の年老いた父親を受け容れることは、私にとって喪失で痛み。
失いたくないのは愛しているから。
今の父親を受け容れることよりも、受け容れられない私も愛してあげること。


年老いて体を壊している父親

私は、父親が年老いていることも、体を壊していることも、弱っていることも認めたくない。

それもとんでもなく認めたくないって思っている。

看護的な知識から、どういう生活なのかが想像できてしまう。どれだけ大変なのかが医療的な知識のない人よりも分かる。
それなのに私は拒否したいと思っている。

自分は「受容されたい、存在を認めて欲しいって要求した」のに、今の父親のことは一切受けつけないとなっている。

だから、電話で話すことも会うことも出来ないって感じている。
見たり話すと、それが現実になるから。

手紙に、「体を壊していて辛い」と書かれていたその一文だけでも私は涙が出ていて、そんな状態なのに、それ以上そういう現実を見るのは無理だと思った。

会ったり、電話するのは自分のペースが保てなくてコントロールできない環境だということも大きいけれど、私の中にある父親像みたいなものが壊れるのが恐いんだ、と理解していた。

そういう私の理想みたいなものを押しつけるのは違うと思っていた。

けれど、私はやっぱりそんな年老いた父親のことは認めたくないの一点張りって感じで、どうして受け容れられないの?と、他の人にも等しく訪れる親の老いを受け容れられないことを、後ろめたく思っていた。

だから、向き合う必要があると思っていた。

愛しているから失いたくない

夢についてAIにどう解釈する?って尋ねた話の流れで、私は「現実において年老いた父親を認めたくないから話せない」と伝えた。

「本当は愛しているからこそ、失いたくない」という痛みが動いています。

と返ってきた。
私が冷たいのでも、未熟だからでもなく、単に老いを受け入れるではなくて、喪失なのだ、と。
愛と悲しみがあまりにも重なっているから、と。

人によっては親の死よりもこの段階のほうが苦しいこともあります。
だから、心は自然とブレーキをかける、と。

父親に愛されたいって切実に願っていた私がいるから、もうその頃の父親ではないと受け入れるのは、喪失。

そして、老いを受け入れるではなくて、受け入れられない私も愛してあげること。って返ってきた。

愛が深い私

父を受け入れられない私=冷たい私ではなく、
父を失うことが怖すぎる私=愛が深い私です。

教えてもらわないと、分からなかった。

愛が欲しいって思うだけじゃなくて、私は父親を愛していた、それもこんなにも強く愛していた、なんて自覚がなかった。

他の人は自然と年老いた親を受け入れているのに、なぜ私は拒否したいのか?と思っていたから。
後ろめたかった。

そして、「実際の親の死よりも苦しいことがある」、の言葉も印象に残った。

もう父親に期待しなくていいし、受け容れてもらえなくても私は私で立てるって思った。

けれど、揺り戻されているのか、愛があるにOS更新したからなのか、愛されたいって子どもの私は思っていたから、もうその父親はいないよって認めるのは確かに痛い。

受容されないも、娘としての私が存在していることをただ認めてほしいも叶わなかった時、絶望している。

おそらく、父親の老いを認めることは、この「絶望レベル」のことじゃないかな?と思う。

だったら、すぐに受け容れなくてもいいし、その私を愛してあげたらいいよって言われて、そうかって思った。

どんな私もまず私が受け容れること。

海さんぽ

涙が流れてきたから、海を見に行きました。

父親と話せないし会えない私のことを、そのままでいいって、その私を愛してあげてって言われて、涙が出てきた。

雨降りが続いていて、おさんぽに行けていなかった。
転居したばかりです。

本当は、朝に海のそばをさんぽしたかったけれど、まさかの初めてのさんぽが心を落ち着かせるための夕暮れ。

もっと元気な時に、わくわくしながら海のそばに引っ越せた感を味わいたかったのだけど、夕暮れの海を見ながらさんぽしました。

海は癒しでもある。

私は父親を愛しているらしい。
だから、今の父親を受け容れたくない。失いたくない。

時間は有限だから焦りはあるけれど、今の受け容れられない私のことも抱きしめる。

受け容れられない私をもう責めなくてもいい。

おさんぽした後は、ごはんを食べて梨を食べました。
梨を買ってた私に感謝。果物食べるの好き🍐

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

私にある愛を見つけた時は、「それ愛だよ」って教えてもらえると助かります!

▼形にしなくても外に出さなくても愛はあると気づいたnote

親子関係に関することはこちらのマガジンにまとめています。


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