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かわいい妹をとられて寂しい? 寂しくていいよね 感情を受け入れる

春の日差しになりたいライフコーチのなほです。
私は私のままでいい。ちゃんとあるから委ねてみて。
私の中にふかふかベッドはあるし、今日も光を放ちます。

大事な人がとられちゃった。
そういう感覚になったことってありますか?

仲の良い友達が、別の子と仲良くしているのを見ちゃった時、恋人が自分以外と笑顔で電話している時、ペットが自分以外の家族に甘えている時。

私の大事な人なのに。

嫉妬というよりも「寂しい」という感情です。

どうですか?そんな感覚になったことがあるなぁと思われるでしょうか?

私には3つ下のかわいい妹が1人います。
何者にも代えがたいです。
妹ではなく、「かわいい」妹です。ここ大事なので強調しておく笑

そのかわいい妹が彼女の子ども達にとられちゃった。
私はそんな風に感じているんだなぁに気づいたので、眺めてみます。

私にとってかわいい妹である以上に大事な存在。
失う恐れ、安全基地だという認識、頼らないを選んだこと。
双子の出現により私は甘えるも頼るもしてはいけないと感じていた。


存在そのものを失うのが恐い

彼女は5月に双子を出産しています。
その時に私が感じたのが、恐怖です。

ずっと私はその恐怖を彼女の妊娠期間中に感じていた。だけど、見ないように目をそらしていました。

「ある」って認めたらそれが現実になっちゃいそうだし、リスクはリスクではある。
だけど、双子であること、帝王切開であることは変えられないし、私が不安を見せてはいけないと思っていた。

帝王切開に理解があるからこそ(オペナースだったからね)、「大丈夫」って伝えることにした。

安全100%の手術も出産もない。

だから、失うかもしれないわずかなリスクが私は恐くて、術後ほんとうに大丈夫だって分かったら泣いてしまった。

家族だから心配するのは当たり前だけど、こんなにも私にとってかわいい妹が大事な存在なんだと分かった出来事だった。

かわいい妹という役割を越えて

今までも私にとって彼女は特別な存在だった。

私にとって数少ない甘えられる居場所
家族の中で、唯一かわいい妹には私は甘えられた。

両親に甘えることが出来ないから、貴重な存在。
甘えるとは、弱い私を見せられることで、こんなことで悩んでいるだったり、疲れているだったりを話すことが出来た。

姉としてではなく、子どもの私に近い私を見せられたし、彼女は私の話を聞いて、的確なアドバイスをしてくれた。

彼女はとても大人なのだ。

かわいいと思っているから、べたべた私が構うこともあったけど、悩んで身動きがとれない私を冷静に受けとめてくれる存在です。

安全基地になってもらう

何となく心の拠り所だ、という認識はあった。
今までも私は彼女に頼ってきた。

頼られることもあったけれど、私が支えてもらうこともあった。

父親に手紙を書いた時、私は彼女にもしも辛いことが起きたら、私の話を聞いて欲しいとあらかじめ話してお願いしていた。

1人でやらなければ、と思っていたけれど頼ったらいい。コーチングでそこにたどり着いた私の安全基地として浮かんだのが彼女だった。

その時も、彼女は冷静に私の話を聞いて自分の意見を伝えてくれた。
私が明るい未来を歩くために必要だということも分かってくれた。

頼らないを選んだ私

彼女の人生のタイミング的に、絶対に今じゃないことは承知していた。

私が手紙を出したのは産直後で、潰れそうになったのもその時。
この心を彼女に聞いてほしかったけれど、産後1ヶ月も経たない彼女にそんなことは話せなかった。

今は絶望してたが分かるけれど、当時はいろんな感情に振り回されて、もう感じないってゼロにした。

安全基地だとちゃんと認識していたけれど、実際は頼れない、そんなことをかわいい妹に望んではいけないと思った。

大変な時期に、私の「潰れそうだ助けて」はただ負担を増やすだけだ。

今も彼女には話していない。
「手紙を書こうと思う」までは伝えているから、聞かれたら話すけれど、聞かれなければ今後も話すつもりはない。

かわいい妹と子どもたち

その後、私は彼女の子どもたちに会いに行った。
子どもたちに愛を注いでいる姿が目に焼きついた。

ばりばりに手伝うつもりだったから、全力で手伝った。

双子をかわいいと思えるかしら?という不安があったけれど、かわいかった。
早く話せるようになってお話ししたいって思ったし、私に笑顔を向けてほしいと思った。

母親になったかわいい妹を目にした私は、これから育児が大変になることは容易に想像できたし、双子の育児がどれほど大変かもほんの少し体験してふれた。

私に構う余裕は当分ない。

かわいい妹をとられちゃった感

この気持ちそのものをあまり感じてはいけないものだと思っていた。

私は、彼女の子どもではない。
彼女は、私のお母さんではない。

なのに、「とられた」と思う私。

かわいい妹の子どもたちに、私のかわいい妹をとられたと思うことは、思ってはいけないと思っていた。

かわいい妹の「妹」じゃなくて、「姉」の立場の私がそんなこと言っていいの?みたいなことを思っていたんだろうなと思う。

私が妹ならば、「お姉ちゃんをとられた」と感じることは許されるように思う。

私はかわいい妹にもともとケアされる立場では基本的にはない。

だけど、ないものとしない
だからここに書きました!

感じちゃいけない感情も気持ちもない。
私の心は、私のもの。

私にとってかわいい妹で、かわいい妹である以上に私の甘えられる居場所で、大事な存在だから。

関係性の変化を突きつけられたように私は受けとっている。
それに対して、寂しい、不安って感じるのは自然なことだとも見られるから。

時間的にも愛情的にも、かわいい妹のそれらは子どもたちに向かう。

それは喜ばしいこと。
それがなくなれなんて思わないし、私にも構ってよとは思わない。

距離は離れるんだろうし、これからはもう私の安全基地じゃなくて、かわいい妹の子どもたちの安全基地になるんだなー、と思った。

寂しいなーと思う。

心のエネルギーが切れそう

切れそうだと感じたから、おやすみモードで基本的には過ごしている。

どうして切れそうになったの?

を考えると、かわいい妹の出産も無関係ではないのかなと感じた。
私にとって大事な存在であるとともに、数少ない安全基地がなくなったって受けとっていたから。

それって心の安定的にはマイナス要素だと思う。

存在そのものを失うかもしれないという恐怖、それに加えて安全基地だと思っていたけど、それは失うという感覚。

感情にふれるイベントが起こり過ぎた。

安全基地としての彼女が、完全になくなった訳じゃない。
けれど、もう頼ることも甘えることもしてはいけないって私は思った。
実際、頼らないを選んだ私がいたから。

だけど、その頼り方や甘え方を変えたら大丈夫なんだと思う。

何でも0か100かで考えない。
グラデーションだよ。

今までは100で頼っていたなら、ほんの一瞬肩を貸してもらえばいい。

育児で精一杯なら、私が支えとなり、頼られたらいい。

私が甘えることばかりを書いてきたけど、いつでも私は彼女の助けになりたいと思っている。

この気持ちに嘘はない。

「姉として頼ってね」というよりは、1人の人間としてそう思っている感覚が近い。

寂しいなら寂しいでいい

今寂しいなら、寂しいでいい。
「とられた」って感じてもいい。

もう甘えられない、頼れないじゃない。

安全基地だって感じていたけど、その前に私のかわいい妹だから。
そこが変わることは永遠にない

私の小さな安全基地だって思っていていいし、姉妹という関係も、家族という関係もあり続ける。

とられたんじゃなくて、私に新しい家族を連れてきてくれたかわいい妹に新しい大事な存在が増えただけ。

私はかわいい妹の中からいなくなってない。
優先順位が変わるだけ。

私にとっても新しい家族は、大事な存在になっていくと思うから。

寂しいも、とられたも違う見方はなくはない。

けれど、やっぱり寂しいから、寂しいよね~でこのnoteは終わります笑

自然とこの感情とも付き合えるようになると思うから。
流れに任せていれば、ゆっくりと心地よい関係性に変容していくんだろうと思う。

急に変わるではないと思う。

このまま「寂しいよね、私」を眺めていく。

私の心の中の安全基地を育てていくことと、かわいい妹以外にも私の心の安全基地はちゃんとある。

これも忘れない。
私に手を差し伸べてくれる人はちゃんといるからね!私の大好きな人たちに感謝です。

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▼私のかわいい妹について言葉にしたnote✨


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