【ログ】私の歩く道はあった
あたたかいクライアントさんと出会うを実験中のなほです。
毎日楽しいが向こうからやって来るし、もっと楽しいを私にさせちゃう。
楽しくすぐに幸せになっていいよって私が私をぎゅってする。
コーチには守秘義務があり、コーチングセッション(コーチと2人で対話する時間をこう呼びます)で話したことが外に出されることはありません。
このnoteは、私がクライアントとしてコーチングセッションを受けた記録です。
はじめに前回から今日までを振り返ったのだけど、私は今まで走っていたけれど、歩いて行くみたいなことを話していて(ちゃんとログみたら言ってないかもかだけど、私の脳内ではそうなっている)、駆け出してきたんです。
好奇心の呼ぶ方へ。
だけど、価値観を「歩く」だわって修正していて、歩こうとしたけれど、全然歩いてはいないことを話した。
今をもってしても走っているレベルの状態。
けれど、走らされるから、走ろうの能動に振り切った。私、走れるんで!
ちょっと息切れして、けれど何が起きているのかを分かっているから体感としては何とかなっている。
もう今月は手遅れで、ぎゅうぎゅう感が否めない。
「第2の私」と呼んでいる私との距離感が思ったほどうまくはとれていなくて、という話もした。
封じていたけど、呼んでみた。呼んでみたからこそ分かったことでもある。
かつて、3年前くらいの時は、乗っ取られていた。第2の私にね。
現実的に予定をどのくらいまで許容するのか、の対策も取りつつはある。
走る根源は何?
2つあった。
1つは、過去の私に振れている説。第2の私は、全力で走ること、最短を効率よくいくことを良しとしていて行動力があるから。
もう1つは、きらきらちゃんです。好奇心あふれる私に名前をつけた。
この私が予定をどんどん入れてくる。入れてくるから、ぎゅうぎゅうになる。妨げてくるではなくて、暴走している感。
だけど、私が生きる上において、彼女が「つまんなーい」って言わないように生きることはとても大事。
好奇心が呼ぶ方へ、これがコンパスだっていうのは分かっているのだ。だからそれを手放すようなことはしない。
前回、開けている、地平線までもが見えるくらい開けていて、とても嬉しかった。
嬉しかったのも本当だけど、どこに行けば?感も少ししていた。
道はなくて、全方位に踏み出すことができる。
テーマ、何にしたら良いの?って思っていて、これまでを振り返るのか、ビジョン探求をする機会があってそのかけらを見つけたので、自分では言葉にしたけれど、これを深めるのか、人間関係の作り方みたいな話か。
人と自分から関係を作っていくこと。
これが私にとって取り組んでいるテーマだから。
けれど、コーチングで向き合ったり、実験したり、人からこんな考えがあるよって教えてもらったりしながら、進んではきている。
どのテーマでも良いなって感じのテンションでした。
テーマ、決まっていなくてコーチと一緒に探すもありです。
私は、困っていることを基本的にはコーチングで話すことが多くて、何を話しても良いのだけど、悩みを話すものって思い込みはあったなって気づきました。
前回、私はとても開けた所に立っていることが分かった。
地平線までも見えてる砂浜。
道はなくて360度開けている。足元しか見えていなかったからこんなに開けていたかの発見はとても嬉しかった。
制限されている所から選ぶではなく、私は何でも選べる。
だけど、したことがない。
こんなにも何でも選べる可能性から選ぶをしたことがなくて、戸惑っていた。
好奇心がコンパスだからそれに呼ばれていったら良い。
冷静な私というのがいる話をした。これ、パーソナルセルフについて学び直したからかもしれないけれど、それに近い感じの質感だった。
けど、困っているんだねって感じで見てくれている感のある私だった。
開け過ぎているから、どう進んだら良いのか分からない。けれど、今の時点ではそれが見えていなくても良いでは?の私もいるけれど、目指す先が欲しい感じもしていて。
どこに歩いて行ったらいいの?みたいになっていた。自由過ぎて、どうしたら?の感じ。
せめて東なのか西なのかくらいは知りたい感じ?と聞いてもらっていて、そうだって思った。
目印も何もなくて、地平線まで開け過ぎていて、どっちの方向?が分からない。
今書いていて思い出すのが、こっちだって歩いて行って、違うってなったら選び直したり、引き返したり、私はそんな風にしたいって前回話したように思う。
今日は、予定が今月イチ詰まっていた日でうまく思い出せない。
(きらきらちゃんが活躍したよね…、え、私めちゃくちゃ活躍できて嬉しいわ。そうだよね?って振り向かれたら、そうだねって返したいし、やっぱ楽しいからぎゅってしたい。)
暴走しているのでは疑惑だったけど、今書いてみたら違うかも。
忙しいではあるけれど、ストレス感はない。
話がそれちゃうので、これはちょっと置きます。
俯瞰の私みたいなのが、存在していて、1枚すっぽりと何かをかぶった感じの私が見下ろしている感あった。ちょっと上の方から見ている感。
おそらく私は気づいてなかっただけでずっと見ていたんだろうなって感じ。
私がどっちの方向よ?って迷っていて立ち止まっているから、声をかけてきた感。
東か西か方向が分かれば、私は安心するということを答えたと思う。もはやうろ覚え。
冷静な私は、意見を聞いて見分してる感じがした。バランスをみている。
けど、正しいとかこうあるべきに引き寄せられている感もしていて、それが何とも言えない感じだった。
止まるってどういうこと?みたいな問いだったと思う…。
私が私のままでいること、みたいな答え方をしたように思う。私を許容する感じ。
止まる私も私、みたいな…。
自己受容について話した。
というか、自己受容の話だったんだって、なった。
人と関係を作るをしている話をしていて、そもそもは私は人から受け容れてもらえない設定で生きていたけれど、そうじゃない、受け容れてもらうじゃなくて、私が作っていくをやり始めた。
私はとんでもないレベルで人と同じになりたいって思っていたが分かったことがあって、それは同じになれないと受け容れてもらえないって思っていたから。人と違うことが怖い。
けれど、止まるだったり、今歩いている道は、人と違うになる。
可能性だらけで、あまりにも広過ぎる、したことないことをしようとしている。
最終的に、私は困っているではなく戸惑っているだけって分かった。
けれど、受容されたいの最たる存在が父親で、そこでは私の思う受け容れられるは起きなかったことを話した。
けれど、私が球ならば、その欠けているように見える父親に受け容れられるがなくてそれが欲しいは起きないから、埋まらないけれど、それ以外の部分はちゃんとある。
そう気づけたから、という話をした。
人から受け容れられなくても私には影響はなくて、私のままでいられる。
私が私を受け容れた話だった。
他者受容を私は求めていて、一度はそうじゃないよ、自分が人と関係を作るだよに修正したけど、父親に対しては受容して欲しいになっていて、それが得られたら良かったのかもしれないけれど、得られないが起きたことで、私は、それがなくても大丈夫、に気づけた。
このプロセスについてハイライトは?
という問いをもらっていて、まさにこの問いがハイライトだったんだけど、
父親に受け容れられる、拒否されていないから、それを「受け容れてもらった」ととってもいいけど、私はそうは思っていない。
もう私が私の望む形で父親に受容されることはないってことが、ハイライトって思っていて、単に願ったことが叶わなかったけれど、行動した私がいたこと自体が尊いっていう定義が変わった。
尊いには違いない。けれど叶わなかったの見方が変容した。
人に受容されるかどうかは分からないを学んでいて、だから人に受容されなくても揺らがなくていい。
私が私をそこにある、もっと言うと「いるだけで私には価値があるよね」、って受け容れるに分岐した点であった、と意味が付与された。
そこから何を話したかあまり覚えていない。
コーチとして生きたいって話していて、それはもう決まっていることだから、そんなに抵抗感はなくて、私の歩く道はちゃんとあるんだって分かった。
好奇心の呼ぶ方へ行くとは、コーチとして生きる道。
それは、お金を稼ぐということも入ってはいるのだけど、決まっていて、それは決めるをした瞬間が私にはある。
看護師として働いていなくても、そのマインドがちゃんと私の中に息づいているように、コーチとして生きるは、仕事とは思っていなくて、私のありたい姿という方が近い。
だいぶ不明瞭なログになってる感がする。
コーチングを受ける、コーチをする、別の人と話す、さらにまた別の会に出る、みたいに4回人と話すというとんでもない予定を組んでしまっていた私のせいなので、自業自得だ。
好奇心のあふれる私(きらきらちゃん)の成せる業でした!
この内容が少しでも心に響いたなら、ぜひ『スキ』ボタンを押していただけると、とても励みになります!
最後までご覧頂きありがとうございました。
いいなと思ったら応援しよう!
あなたと私の間に愛が循環していきますように。いただいたチップは、私が健やかに生きられるようにチョコ次郎を買うために使わせて頂きます。