思考の庭で「事実」と「信じたいもの」そっと分けてみる
ちゃんと書けるか自信がないので、自分の理解をはかる目的のnoteとして書きます。
秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。
窮屈さを感じたら、より自由を感じる方へそっと転がって。
私にとって、書くことは呼吸で、自己対話、学びの再体験で再構築、あなたとの共有で、循環、感謝の気持ちで、記録、自己表現、私が私に注ぐ愛。
そして、自分の理解度をはかるものさし。
「思考の庭」としてのnote。
「事実」と「信じたいもの」を分けて見ることがみんな出来ていないんだよ、と教えてもらった。
さて、私はどこまで理解できてるかな?
相手の事実にふれる時、透明なレンズで見ること。そこで見えたことに対して踏み込む時は、愛を持って関わるだけでいい。
信じたいことを見ることも否定しない。けれど、分けて見ることが大事。
事実と感情・解釈
関連して思い出したのが、このワード。
事実と感情、または、事実と解釈は分けて考えましょう。
これ聞いた事ありませんか?
もやもやしたら感情の因数分解をしますが、その時にするのが、事実とそれに対してどう思ったの?感じたの?の解釈や感情を分けるということです。
悩みは大抵、自分が歪めて解釈していたり想像が入ったりして起きる。
変えられない過去、またはまだ起きてもない未来を勝手に想像して作り出して、悩む。
だから、今を生きることが大事。
それの1つの解決策が、「分ける」。
分けると、今起きている変えられない事実と、自分がそこに何を見て、何を感じていたのかが冷静に見られるようになる。
私は、頼りたい時によく断られる前提で世界を見ていて、その自動思考を止めるおまじないが、「それ、想像じゃない?」という言葉です。
何かを相手に頼む時のハードルが高くて、ジャンプ出来ませんってなった時に、この言葉をかけたら、悪い想像はぴたっとやむ。
本当のこと(事実)として接するが出来ない
怪しくなってきます。
現実を受け入れるということかな?
認める?
さっきは、事実と感情や解釈の切り分けについてつながったから書いてみた。
重なる所はありそう。
本当のこととして接することが出来ない。
というのは、踏み込むことという話だったと思う。
人に寄り添う、受容するということは出来る。
根がやさしいのと(自分で言っちゃうけど汗)、私は自分がそうされたいと願ってきたからそれをそのまま相手に接する態度に反映してきたから。
やさしさがあることは良いことのように思う。
けれど、それがある故に、踏み込むことが相手を傷つけることになるのではないか、という思考になって、尋ねることが出来ないになる、という話だった。
また、核心を突くことが恐いことだと思っている、と。
けれど、事実は恐いものじゃない。
分かる。
その感覚が分かる。
傷つけるかもとまでは思っていないけれど、私がもっと成長する伸びしろがあると思っている所。
踏み込む力。
そして、相手の人も、本当のことを話せる場を探しているんだよって話だった。
踏み込まれたがっていると言うと、言い過ぎだけど、話せる場所を探しているんだよって。
愛を持って素直に尋ねたら、本当のことが相手も話せる。
書いていて、リピートされた。
同じことを私は教えてもらっている。ラジオの学び。
踏み込まないことがやさしさと思われがちだけど、そうではない。
傷つける意図がなくても傷つけることはある。
それは承知しながらも、素直に愛を持って尋ねたらいいだけ。
というのを教えてもらったな~と思い出した。
大事なことだから、何回も言っているのかな?と思うからそれも書いておく。
愛を持って尋ねて、断られたり自分にとってネガティブと思える反応が返ってきても、それも世界に愛されちゃっている中で起きていることだから大丈夫。
信じたいこと
もうだいぶ怪しいです。
なので、私が思う解釈、考えを書きます。
理想とか、こうであったらいいなという淡い期待のようなものだったり直視したくない現実の逃避先のようなものかな、と思います。
こうだったらいいのになというちょっとした希望や願い。
手が届かないほど離れていなくて、手が届きそうなもの。
あるいは、いい感じに解釈して見ている現実。
行動することが大事だと分かっている。けれど、ダイレクトに結果につながるような行動ではなくて、枝葉のような部分の行動ばかりしている。
一応、行動している。
だけど、肝心な部分を外している。
こういうのも信じたいことなのかな?と思ったりした。
歪めるとまではいかなくても、客観的に事実としての現実を見ることから目を反らしている感じ。
まとめ
私の中でつながったのは、私というフィルターをいかに挟まずに世界を眺めるか、ということです。
主観の私を透明にする感覚。観察する。
事実として見えたことを客観的に伝える。
それだけでもクライアントさんにとっては十分な鏡になり得る。
これを私はつむじ風のような人から教えてもらったことがあって、思い出しました。
人は見たいように世界を見る。
この言葉もつながった。
果たして、教えてもらったことの真意だったかは分からないけれど、正確さはそんなに重要じゃない。
教えてもらったことを呼び水にここまで考えて、学びになっているからOK。
私が私の現実に信じたいことじゃなくて、冷静に事実として接するがまず大事。
その次に、クライアントさんの事実を透明なレンズで見る。見えたことをそのまま反射する。
さらに、知る必要があると思うこと、好奇心がわくことには、愛を持って踏み込めばいい。
凪いでる海だけど、港から見える海ではなくて、もっと沖で眺める海に印象が少し変わったあなたに感謝です。
ありがとうございました。
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