私、愛でした。だから無敵でした。 魂の私が知っていたこと
春の日差しでありたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、ころん、と生きる。
きらきらしたら、ぷかぷかに戻るリズムの中で、私のままで、もうすべてそろってる。
1記事1テーマを基本にしているのだけど、本当に心のままに話したことを書きまーす。
私のままでやっぱりもうすべてそろってるんだ。
私、無敵でした。
というのも、私にも愛はあるんだよね、を受け容れようと思ってたので、意識的にそれを自分でふり返って指差し確認をしていたけれど、しなくても良くなった。
私には愛があるの次元から飛び越えちゃって、「私は愛だよ」って、伝えてもらった。
ん?
ってなっていて、嬉しいけど、
ん?
ってなった。
いやいや、「あなたが愛ですよね?」ってなった。
愛のかたまりって思う人だから、「あなたが愛だよ」は、そうですねってうなずけるけど、「私が愛だよ」は本当にん?ん?ってなった。
嬉しいよ、とは思ったけど、いやいや…となって、だけど、私は愛なのかぁって思ったら、
じゃあ、私は無敵です。と思った。
そんな感じです。
言葉を足さない。
頭の私、人間の私には理解されてなかったけど、存在だったり魂の方の私は知ってたんだ。
なほ→ヒト→いのち・魂 みたいな感じの、いのちとか魂の私(抽象度を上げる)。
あなたと私の間で、あなたは愛で、私は愛ではない。
それは差別だよ、とも言葉を渡してもらっていて、私には光と陰があって全体性、両方あって私なのに、陰の部分はネガティブに見がち、等しく大事な私とは思えていない所がある、の話とおんなじだよって。
頭では、両方あって私というのは承知していても、見たくないな~ってなるんだよね。
人間だから。
絶望の私
そして、絶望の私。
彼女と最近会っていない、会いに行ってなかったのだけど、ちょっと場が変容するかもしれないなって思った。
1つは、私は私のままで愛されているが、体が分かるようになったから。
結構私は彼女といることが精一杯で、ぬいぐるみを呼んで3人でいるようになっていた。安心。
無意識の知恵なんだろうと思う。
だから時間的にも短め。
彼女には言葉は音として届くけれど、言葉をかけることが出来なくて、ふれることも叶わない。ふれたら壊れてしまいそうな彼女だから。
そして、絶望だからともにいることがストレス、しんどいことだった。
ただともにいることだけでいい。
それも真実だけど、彼女は私がいる、一緒にいることに気づいてくれるけど、涙は流したままだったんだよね。
このまま彼女にずっと涙を流させておくのか。
これは、私が人間関係を自分から築いていくにあたって、慎重、近づいていいの?って恐さを持っていることから思い当たっている暗い所にいる私の話。
すぐに仲良くなる、社交的であることがいいことのように思っていて、クライアントさんと出会うの前に、普通に人と自分から関われること、関係を築けることが大事では?って思って努力している。
今書いてみたら、そもそもそんなことはしなくてもいいのかも、気にしなくてもいい。
私は今幸せだ。
友だち100人作らなきゃいけないこともない。
けれど、人と関わっていくにおいて力を入れてエネルギーを使っているのは確かだから、彼女に会いに行くことはやっぱり大事。
自然な私に還っていく。
彼女と話せないから私は困っていて、泣き止ませることを目指すではないけれど、涙をただ流させたままにしておくことは心が痛くて、ただともにいる以外にどうしたらいいのかな?があったことも事実。
絶望だとはその時は気づいていなかったけれど、私はその感情を感じることをやめたことがある。
防衛反応がおそらく起きていて、もう何も感じませんってゼロにした。
だから、あの時のもう無理だ、私が壊れるという感覚はやっぱり恐くて、彼女と会うことは、それを想起させていたのかもしれない。
トラウマって感じの体験だから。
私もぎりぎりだから、ぬいぐるみを呼んでいる訳で。
感情を完了させるなのか?と思っていたけれど、引き受けることだと教えてもらった。
私が使っていた言葉だと、ともに行け。彼女とともに行け。
絶望を愛すること。
彼女も愛の一部。愛に含まれるもの。
彼女=絶望も愛だよ、は教えてもらわないと、きっと分からなかった。
私が今見ている愛の景色の中に影はあるとは分かっているけど、頭で認識しているだけだから、認知できなかったと思う。
そう言われると、私はまだその愛にふれていないと思った。気づくの私にとっては難しいんだ。
私は「愛って何?」を探求していて、思い出す道を歩いていて、気づいている。
けれど、意識的に光の面にふれるようにして歩いてきた。
それが楽しいし、軽やかに愛を知りたいって思っているから。
だから、愛の影の部分にはほぼふれずに歩いていて、彼女を愛するとは、絶望を引き受けるで、それは愛の影の部分。
今すぐやらなきゃでも、すぐにやらなきゃでもない。タイミングがある。
私は、やっぱり今までが厳しかったから、イヤだって反応をしていた。
今振り返ると、タイミングとしてまだ早かったのかもしれない。
ぎりぎりともにいるだったのは、彼女の問題ではなく私の方の準備が整っていなかった。
私は私のままで愛されていいって分かっていない私が、絶望そのものの彼女とともにいるのは、負荷が高い。
けれど、私は「愛に愛されている」が分かったから、彼女に会いに行ってもそんなにストレスを感じないかもねって思った。
おしゃべりしてみて、って言われて、私は彼女には言葉は理解されないんだって答えた。
けれど、エネルギーにふれるとか、テレパシーとか、そういう感じでも話すは出来るよって言われて、確かにって思った。
言葉じゃなくて、ただエネルギーのようなもので、「大丈夫」って伝えてくる私というのに出会ったことがある。話さない私。
だから、言葉をかけなくていいし、本当に今までと見かけは同じ、ただともにいるをするのだと思うけど、私のあり方とかエネルギ―が変わる。
私、愛だから。
覚悟を持つ。
彼女を愛する覚悟。
「私は愛されている」が分かっていて、「私は愛」って思い出せたら、ともにいることは出来そうじゃない?
ぬいぐるみを呼ばないと安心して場を保てない程の絶望だけど、いられそうよね?
ともにいることがかなり精一杯の状態から、「大丈夫だよ」って「私がいるよ」って余裕があるというか、もう少しラフに会いに行けると思った。
ただともにいることだけでも愛なんだけどね!
これ、とても大事。
人との関係を作るにおいて、暗い所にいる私、「彼女とともに行け」が本当に出来るようになったら、人間関係の作り方に難があると理解する私は自然とときほぐされていく。
「行け」、って言葉になってるあたり、やっぱり無理してたんだと思った。
一緒に行こうでも、連れていってねでもない。命令だから。
「純粋にふれる」が、もう私が今体験させてもらい過ぎていて、ぴったりの言葉だった。
そう、それ!って感じだ。
透明ゼリーで、真っ白なにゃんこなのは、きっと純粋だから。
あなたはどんな風にして変化してきたの?
をとても知りたくなった。
他に面白かったことは、
✅自立は引き受けること
✅沈黙は嗜むもの、有がある
✅許可とはどんな状態もありと思えること=全部あり
✅純粋にふれる=今私が体験
✅関係性は変わらない 海に出されるではない→けどプールがあったから泳いでみたいになる・タイミング、可能性を信じる
✅余白は必要なの?遊び、全部の状態を許す、自己否定、型にはまりに行く
→すべての可能性を練習するに関連
✅周りの人が助かる?その視点ない
✅シャドウ=会うのは恐いじゃない
・人間にコーチングしない=ヒトでもなく、魂とかいのち、抽象度
・初めから分かっていた→魂を見ている
・2択思考の再燃、余白の話の転用
・その期間で結果×、種を渡す、ふれる体験そのもの
・頭→感情(神経)→お腹、魂?
・言葉はその瞬間に生まれている
・影があるから光がある=全体性
とりあえず私を褒めとく(緊張したから)
ちゃんと待ってくださいって言えた。
コーチングで生きていきたいも、言えた。
言葉にしきらないも選べた。
会いたいですも言えた。
はなまる!
【メモ】
おさんぽして海→セッション→ちょっとだけ書く(出し切るをしない)→また海を眺めに行ってぼーっとする
が私にとっての最適解かもしれない。
今日もここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この場所に、その日の気づきを静かに置いています。
また、書きにきます。
もし、この文章を読んで少し話してみたいと思うことがあったらプロフィールnoteに静かな入口を置いています。
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