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「自分のことは自分で決める」を深掘り

「自立」したいとう価値観は、外側の声を内側の声と思い込んでいただけだったという気づきを得て、衝撃→受容くらいの段階にはこれたと思います。

さて、「自分のことは自分で決める」についても無視できない所にきていると思うので、「本当の価値観は何か?」を探すのを再開する前に考えておきたいと思います。

「自立」以外にも、価値観にする候補の言葉の中に似たような言葉はたくさん出てきていて、責任、自己表現、自己決定、自己発信、自律など。
「自分のことは自分で決める」=自己決定は、特に私がこだわってというかほとんど信念のようにして、生きてきた価値観です。
なので、それを大切にしているという自覚はあったし、実際にそうして生きてきました。ただ、「自立」が環境からの刷り込みだったよねと気づいた今、これも刷り込みからきている可能性大なので、掘り下げて考えておく必要があります。
めちゃくちゃ大切にしていることが自明だった故にそこまで深く考えずにきてしまったという逆説。
またもや、なぜなぜ分析を活用。


「私はどうして自分のことは自分で決めたいの?」

①自分の決断に責任を持ちたい→責任感
②人に決められたくない→A子供の頃は決められなかった→引っ込み思案/親の期待にこたえたい
B怖い→安心できない/臆病だから
今は意思表示も、自己決定もできる→そうしていくことが当たり前?→できるのにしない選択はない→自分に「正直」に生きたいから
③私の人生だから(私の存在意義)
④自己表現の1つ→「自由」にしたい/私のことを分かってほしい/人に伝えたい

①自分の決断に責任を持ちたい

責任感が強いので、自分の決断に自分で責任を持つには①人の意見に従って行動に責任を持つのと、②自分で決めて行動して責任を持つのだったら、自分で決めたという前提の方が断然、責任感的には良い。
人の意見に従ったけれど、行動したのは自分なので自分が責任を持つということも出来なくはないけれど、自分で決めて→自分で責任を持つの方がストンと腑に落ちる。
責任を持つという視点から遡って考えてみても、「自分で決める」ということが1つのカギになっていたんだと思います。納得感を得るためという所に帰着します。

②人に決められたくない(自己決定の対極)

私は、自分のことを人の指示に従ったり、人に決められるのがいやだから、自分で決めるということに執着していたのだと考えました。これは、当たっていると思います。
幼い頃は、引っ込み思案でおとなしくて、なかなか自分のことを周りに伝えられない子供でした。また、親は教育熱心でピアノや公文を習わせてもらったり、塾に行かせてもらいました。水泳が出来ないとなると、夏季短期講習の水泳にも通わせてもらいました。ただ、そこに私の意志は反映されていたのかと考えると、親がそうさせたかったという方が強かったのだと思います。
ピアノも最終的には先生が嫌いだったし発表会に出るのも嫌で辞めてしまったし、公文は宿題のプリントをやらされるのが苦痛でした。水泳もただただしんどくて、やらされている感がありました。
マイナス面だけを書きましたが、ピアノを習わせてもらったおかげで楽譜が読めるようになったし、公文や塾に通わせてもらったおかげで確実に学力はつきました。嫌いなものばかりだった訳ではなく習字は好きでした。
親や先生の期待にこたえようとしてきた子供時代だったので、それへの反発ではないけれど、自分のことは自分で決めたい、人任せにしたくないというのが強いのかなと思います。
人に相談したり、意見を求めたりすることはしているので、その上で「自分で決めた」という証が私には必要です。

今、大人になって自分で決めることも表現することもできるのにそれをしないのは自分への裏切りのような気がします。
自分に正直であることが「自分で決めること」につながっていると書いていて思いました。できるのに、しないという選択はない。

②´人に任せるのが怖い

「人に任せるなんて怖い、怖くないの?」という気持ちが根底にありそうです。人を信頼していないのか?自分は人に信頼してほしいと思っているのに。自分が自分をそんなに信頼できる人間と思っていないから、人を信頼できない?
うーん、それは違うような気もする。人を信頼できるし、されていると感じたこともあるんだよな~。
自分のことを信頼していないなら、その自分が決めることだって信頼できるに値する決断かは分からないはずだし。
と書きましたが、自分が決める場合は十分に考えて出した決断だからOKなのだと気づきました。しっかり考えたから信頼できる。

私が臆病だから、人に任せるのが怖い。これはあるかもしれない。自分でちゃんと検討していれば安心できるけれど、人に決めてもらったり、その意見に従う場合は、十分に検討されたか分からないかもしれない。この考え方だったら、しっくりきます。

③私の人生だから

人に自分を奪われるみたいな、自分の手綱を人に握られることへの恐怖があるのかなと思います。具体的に何か怖い経験があったとかは思いつかないですが、私の中では、私が私を手離すような感覚=自分のことを人に委ねるとほぼ同義です。

④自己表現の1つ

怖いのもあるけれど、自分の意志を表現できないことが息苦しいのかもしれない。人の意見に従う=自己表現も意思表示も出来ない状態。
「自己表現」に対して私が書いた感情って「渇望」なんだよね。その位必要としているってことは、やっぱり私からそれを取り上げることは、けっこうキツイことだと思います。
「自己表現」は「自由」に含めるように統合したので、深掘れたと思います。

まとめ

「自分に正直であること」と、「自由でありたい」と言うことは、価値観になる得る言葉に出してきていました。「そこにつながるんだ」ということが発見できたことは予想していなかったので、根っこが少し見えて良かったです。
責任感についても、自分の人生だから自分で責任を持つ分には良いと思いますが、責任を持ちすぎなくても良いということは心に留めておきたいです。
怖いのは安心したい、不安とつながっていると分かったことも良かったです。


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