夢中になるとき、私の愛の光は強くなる
春の日差しでありたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、ころん、と生きる。
きらきらしたら、ぷかぷかに戻るリズムの中で、私のままで、もうすべてそろってる。
あなたが愛をあふれさせちゃう瞬間はどんな時?
私は、大好きな人の魅力について探求している時だ。
とても楽しい遊びだから、夢中になって見えるものを言葉に変えていく。その時間はとてもあたたかくて幸せな時間。
夢中になるとき、世界は静かになる
一番はじめに「この人の魅力を言葉にしたい」と思った時、私は自分に挑戦するような感覚だった。
胸の奥に灯る小さな青い炎。
メラメラという熱さはなく、温度は低い。冷たい炎だ。
とても素敵な人だから、その人の魅力を言葉にできるのか、私の持つ言葉で表現し切れるのか、そもそも私はその人の魅力を感じて理解しているのか。そう思いながらも、私は言葉にして伝えたかった。
魅力について問われた時に、うまく答えられなかった。
こんなにも大好きで素敵な人だと感じているのに…。
それが心残りだった。悔しいという感情。
何か相手に気づきを与えたい、という意図はない。
ただ、私の目から見えるあなたを言葉にしたかった。
あなたの魅力を世界に存在させたい。
こんなにも美しい人がここにいる、そう叫びたい。
文章が長いので、「こんなに書くのは大変だったでしょう?」
と声をかけてもらった。
けれど、それは私の感覚とはズレている。
大変じゃない。
ただただ、楽しい時間だから。
書いて考えて、あなたの魅力について思いにふけっている時、ぴったりの言葉はどれかしら?を探している時は、本当にうっとりする時間なのだ。
時間は簡単に溶けていく。
あなたについて考えて、思い出して、ふれて、イメージしている、静かで音のない、私しかいない世界。
甘い、半分夢の中にいるような時間。
けれど、私は消えていない。
私は、あなたを見ている
大好きだと感じる人の、私の目に映る魅力を言葉にしていく。
それは、あなたのきらきらした瞬間を思うこと。
たとえば、まあるい愛があるあなた。
その柔らかで力の抜けている笑顔を見せてもらった時、私はその笑顔が大好きだと感じる。その小さなちょっとした瞬間のあなたはとてもまあるい。
私には、そんなまあるさがないのでは?と、ふと対比が起きる。
月のように静かでそっと照らしてくれるあなた。
あなたが言葉を探して悩んでいる時、私はかわいいと感じます。
この場をどう進めたらいいのかな、と真剣に思いをめぐらせている。
だから、そんなあなたの様子を見て、「かわいい」と形容するのはちょっと失礼かもしれない。
私にも悩むことや困っていることをそのままに顔に出す瞬間があるから、これは私にも重なる揺らぎ。
とんでもなく深い愛、愛のかたまりだと思うあなた。
私も、「私は愛だった」を思い出したけれど、あなたの光は本当にあたたかい。
だから、これはあなただけのあたたかい、いや熱い光だ。
私の目からあなたを見ていて、ただ表面的にぼんやりと見ているのではない。
そこには、「私」がいて、あなたの光を照らしているようで、私も照らされている。
あなたが当たり前のようにしている行動に、表情に、まなざしに魅力があふれている。
あなたの魅力を言葉にすること、それは私にとって無敵の趣味で遊びです。
「こんな風に私にはあなたが見えているんです」と伝えた時に、「感動しました。友達にも見せていいですか?」とにこにこして伝えてもらって、私はちょっと戸惑いました。
え?感動してもらえちゃうんだ。
嬉しいです。ありがとうございます。
私のまなざしを通すから、言葉になる
もしかしたらあなたは、「分かっているよ」と答えるかもしれない。
自分の光は、自分でちゃんと自覚しているよって。
私はあなたを見ている時間、あなたとの時間を思い出している時、まだ形を与えられていない魅力を言葉にしていく瞬間、とても楽しくて幸せな気持ちになる。
この言葉だと少し違う、近いけれどまだぴったりではない、そんな風に言葉を探して思いをめぐらせている。
その旅の中で、これだ!という言葉になる瞬間、秘密の宝物を探し当てた気持ちになる。
片っ端から目に見える世界を言葉にしたい。
そんな私は、そうやってあなたの魅力を言葉に出来た時、これで世界に存在させられる、と思う。
「あなたはこんなにも美しいんだよ」って私の言葉で伝えられる喜び。
もし、誰の目にも同じように映っているなら、私の言葉は生まれない。
私の感性だから、私の言葉だから、照らせるあなたがいる。
私の感性とは何か。
私は自分の好きのアンテナをとても信じている。
きらきらする方へまっすぐに。
私の言葉とは何か。
それは、友だちになれている言葉、自分が心地いいと思える言葉を使うこと。言葉で思考している私は、言葉を大事に扱っている。
受けとりたい所だけ、好きなタイミングで受けとってもらえたらいいな。
好奇心がコンパスで生きること、私が私に好きをたくさんさせてあげること、そう生きようとしている私がまなざしている。
私はそこに誇りを持っている。
私のまなざしを通すから、言葉になる。
夢中は、愛がめぐる時間
半分夢の中にいるような、甘い時間だと最初に書いた。
けれど、集中を欠いているのではない。
逆だ。
半分覚醒、半分まどろみのような時間の中で、私はあなたの魅力を言葉にしていくことに夢中になっている。
どんどんイメージの翼の力を借りて、どこまでも飛んで行く。
夢中になっていて、集中している。
私が消えていく。
けれど、それは本当に私が消えているのではない。
あなたという人をまなざす時、同時に私が照らし返されているからだ。
そこには、評価や損得の感情が消えていて、ただあなたの美しさに惹かれて、まっすぐに見つめている私のまなざしだけが残っている。
私が見つけたあなたの光。
それをあなたが受けとってくれる。
そうすると、光が言葉になって帰ってくる。
そこに循環が生まれている。
私は何かを与えているのではなく、ただまっすぐに見ているだけだ。
あなたにそれが届かなくても、そこには循環がある。
言葉にすることは私を満たす愛だから。
あなたの魅力を言葉にする、そんな甘い時間を溶かしながら過ごしている時、私の中にはすでに循環が生まれている。
だから、ふわりと風に乗せる。
私は大好きだと感じるあなたの魅力を言葉にしていく。
夢中になるとき、私の愛の光は強くなる
私は最近、私は愛だったんだと気づいた。
「私にも愛があるよ」、と私の中にある愛に自覚的になる、認めようと思っていたら、そうではなかった。
私自身が愛でした。
それに気づいてから、私はただ見ている。
大好きな誰かの光を見つける時、そこで起きているのは健やかな対比だ。
私と共鳴する部分があるな、これはあなたにしかない光だな、私にはまだよく分からないな、いろんな光にふれている。
それは同時に、私の中にある光を照らしてくれる。
「あなたはどんな風につくられたの?」という問いを持っているから夢中になる。
そして、この問いは私自身にも向けられている。
見ようとはしているけれど、そこには努力というエネルギーは入っていない。
私という生き物の持っている仕組みだ。
ここにある愛の光は、優しさでも誇張でも美化することでもない。
あなたをあなたとして、ただ私のまなざしから見える姿を映し出すこと。
見えた美しさをできるだけそのまま言葉にのせて差し出すこと。
それが出来た時、私の愛の光は強くなっている。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
私の愛の光をやわらかく反射してくれた大好きな人たちに、感謝です。
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