衰退しているのはクラシックか、日本か。
少し前のことになるが、九州交響楽団の経営立て直しのニュースが話題を呼んだ。
九州唯一のプロオケである九響は深刻な経営危機に陥り、六期連続の赤字となっていた。そこで立ち上がったのが、地元金融機関の頭取を務める五島氏である。昨年(2025年)、理事長に就任し、抜本的な経営立て直しを図っている。その効果は着実に現れているようで、今期は黒字の見込みだという。オーケストラをなくしてはいけないと、一丸となって取り組む関係者の熱意に触れ、動画を見ていて思わず落涙してしまった。実に素晴らしいことだと思う。
だがその一方で、昨年、ネットで盛り上がった「クラシック音楽業界は衰退産業なのか」という議論を思い出さずにいられなかった。
議論の発端は、新日本フィルハーモニー交響楽団の採用情報サイトに掲げられたキャッチコピー「衰退産業へようこそ」である。
刺激的なワーディングゆえに予想通り炎上したが、クラシック音楽業界が置かれた現状を冷静に見つめれば、冒頭で挙げた九響だけでなく、全国の音楽家や音楽団体が厳しい局面に立たされていることは否定できまい。
コロナ禍明け以降も、聴衆は十分にホールへ戻っていない。世代交代も進まない。人気ソリストを呼ばなければ集客が難しい。海外のオーケストラやオペラは、日本を素通りして中国や韓国、台湾へ向かう。CDショップは次々に姿を消し、レコード会社の新譜リリースも勢いを欠く。
世界に目を向けてみても、厳しいニュースが続く。ライプツィヒ市立歌劇場は財政破綻の危機に陥り、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場も人員削減や賃金カットを余儀なくされた。
このところ、そんな暗い話ばかり耳にする。
もちろん、希望がまったくないわけではない。日本人音楽家のレベルも格段に上がっているし、新しい聴衆を獲得しているアーティストもいる。そもそもクラシック音楽は、社会全体から常に少数派である。今さら衰退だと騒ぎ立てること自体が過剰反応なのかもしれない。
それでもなお、ここ数年、状況が日に日に悪くなっているような気がしてならない。この胸のざわつきは一体何なのかと考えていて、ある思いに至った。
衰退しているのは、クラシック音楽業界というより、日本そのものではないか。
昨今の物価高と円安、税金や社会保険料の増加による実質賃金の低下。これらが重なって、私たちは確実に経済的なゆとりを失っている。かつてのお家芸だったものづくりも国際競争に負け続け、トランプ関税の影響もあって、産業全体に勢いがない。実生活では、コメ価格は高止まりし、日本のエンゲル係数は何十年か前の水準に戻ってしまった。
かつて上野千鶴子が「みんな平等に、緩やかに貧しくなればいい」と発言して物議を醸したことがあるが、今起きているのは、どうやらそれに近い現実である。
ただし、上野氏は読みを一つ外している。富裕層はむしろ資産を増やしている。これだけ日常生活が厳しくなり、コンサートのチケット料金も悲鳴が出るほどに高くなっても、ほぼ毎日のようにホールに通える人たちは存在する。彼ら彼女らは、優れた能力によって高い報酬を得ている社会の成功者であり、私たちの代わりに経済を回してくれている恩人である。もっとも、コンサート三昧の日々を過ごし、話題性の高い演奏に対して全能感満載の評価を綴ったブログを読んでいると、それを聴きに行けない自分が哀しくなるので読まないようにはしているのだが。
少し話が逸れてしまった。本題に戻ろう。
ともあれ、こんな状況で、クラシック音楽業界だけが、例外的にホクホクでいられるはずもない。業界の人が自嘲気味に「衰退業界」と口にしたとしても、それは本音だろう。
我々としても、こんなふうに財布の紐を絞めねばならない状態では、コンサートにもそうそう気楽には行けない。音盤道楽も控えめになる。子供の教育費は上がり続け、いい音楽に触れさせる機会すら簡単には与えてやれない。
しかし、このように日本全体が沈みつつある中で、厳しい現実の責任を音楽業界にのみ帰すのは筋が違う。
もちろん、業界固有の課題はあるはずで、それらを指摘し、批判することは絶対に必要だ。「衰退産業へようこそ」炎上時に出た、クラシック音楽業界の旧態依然とした体質や、古参ファンの高慢さ(私もそこに含まれるのだろう)が、新しい聴衆の参入を阻害しているという批判に耳を塞ぐ訳にもいかないだろう。
しかし、私たちの可処分所得そのものが縮小しているという現実を無視しては、議論は核心を外してしまうのではないか。我々一般庶民の生活に余裕が戻らぬかぎり、消費で音楽業界を支える余力は生まれないからだ。
思うのだが、音楽業界も私たちファンも、政府に対して「生活にゆとりを」と求めるべきではないか。今の状況に対して、もっと率直に怒ってもよいのではないか。こんなことを言うと、お前は左翼だとかリベラルだとか言われるのだろうが、それは事実なのだから別に構わない。しかし、暮らし向きが良くなる政治をしてほしい、趣味にお金を使うゆとりがほしいと願い、働いてを五回連呼するくらい(私自身は一回くらいだが)働いても、ちっとも暮らしが楽にならないと憤る心に、左も右もあるものか。
怒りの最も有効な表現は選挙である。少なくともこの30年間、生活が楽になったという実感は乏しい。それでも選挙では現状を支持する結果が繰り返される。怒りが政治的意思として結実しないかぎり、状況は変わらない。
音楽産業を衰退させないために、私は世界の片隅で叫び続けるつもりだ。
兵器より音楽を。自民党よりインドカレー店を。
まったくもって、小さい奴である。
