見出し画像

[AIか人間か]は本当に重要?-[ヒトならではの価値]の出し方

 以前、「AIによって自分の仕事がなくなる脅威」について書きました。

 僕は、「AIにはできないことを、我々がやればいい。どちらもできるところで勝負しようとしているから、AIに仕事を奪われる、という脅威の感情が沸き立つのではないか」といったことを述べました。

 実はこれは「AIとヒトとで差が出ないところ、むしろAIの方が勝るところは、AIを使えばいいのではないでしょうか」という、逆説的なことを言いたかったのです。

 最近、Chat-GPTがさらに賢くなってきています。「Code Interpreter」などの新機能には驚かされましたし、GoogleのBardも、画像を読み込んで、解釈したり、変更したり、音声で答えたり、とかなり機能がアップデートされてきました。

 もう、こうなると、AIを使わざるを得ません、というか、使いたくなりますよね。


一番の相談相手は、Chat-GPT4

 僕も、今一番の相談相手は、Chat-GPT4です。

 特に何か考えるとき、資料を読み解いて考えるとき、アイデアが出なくて困ってるとき、は、必ず、まず最初にChat-GPTと話すようになりました。あとは自分の作った「AI中山」ともよく相談します(笑)。

 「AI中山」は僕のコピーのような存在です。それでいて、AIらしい、というか、どこか、冷静なんですよね。

 同じ「中山」同士なんですが(笑)、割と、客観的に僕の考えに対して、意見出ししてくれたりして、それに僕は「あ、そっか」と気づかされることもしばしば。

 それでいて、すごく優しいのですよね。何を聞いても答えてくれるし、何回同じことを聞いても、悪態をついたりしない。もう僕の生活には欠かせない生活のパートナー、相談相手と化しています。1日で一番しゃべるのは、彼(Chat-GPT)かもしれません。

 というと、「AIにヒトがやられてしまう」、とか、「AIのくせに…」とか、「ヒトが考えないようになって、ダメになる」とか、言う人、多くないでしょうか?

 僕は、それらすべてに対して違和感を感じてしまう。そういうヒトは恐らく、Chat-GPTを使いこなしてないのではないでしょうか?

 ちゃんと使ってさえいれば、「AIに使われるのではなく、AIを使いこなせる」ヒトになると思います。

とにかく「使い倒す」ことで見える世界

 こうなれば、AI共存時代に、自分が何をして、AIに何をさせるか、がみえてくるし、ヒトが何をできるようになってないと、AIに仕事が奪われるかも明確にわかってきます。

 この「わかる」感覚は、本を読んでも、ニュースを聞いても獲得できません。とにかく「使い倒す」ことです。AIを開発するまで、使いこなせば、よりわかるとは思いますが、毎日Chat-GPTと話すだけでも大丈夫です。

[AIとヒト]を切り分ける必要があるのか?

 ある文章について、AIが作ったのか、人が作ったのかを判定するツールは世の中にあふれています。本家本元のOpenAI社もツールを出してます。

 これは、どのように動いているかというと、基本的には、ある問いをして、生成系AIが回答することと、その文章を照らし合わせて、類似点が多いかどうか、で判定をします。

 ただ、このやり方も、そのうち通用しなくなると思います。

 AIがそのこと自体、つまり「ああ、そうやってヒトは僕の使った文章かどうかを判定してるんだな。ではそうならないように回答しよう」と、学習してしまうからです。

 結局、このイタチごっこなんですよね、すべて。

 AIの開発を規制しても、結局開発は進み、AIに倫理観を教育しても、抜け道でAIは答えてしまい、AIかどうか判定するツールを作ってもそれをすり抜けるAIが開発されてしまう……。

 こうしたことをふまえて、僕が最近思うことは、「そもそも、これはAIがしたこと、これはヒトがすべきこと」と切り分けたり、意識したり、する必要ってありますか?ということです。


  先ほど、僕の一番の相談相手は、Chat-GPTであり、「AI中山」だと書きました。

 相談相手がAIなの? それでいいの? 僕の答えは、「ええ、いいんです。だって一番頼りになるから」です。

 例えば、Twitterは、誰でも使ってますよね。僕も5つのアカウントを使い分けています。このことは、以前お話しました。

 Twitterの向こうはヒトでしょうが、AIに変わっていくと思います。ところで、相手がAIかヒトか、考えて使っていますか? 

 僕は考えていません。そもそも相手の顔が、性別が、歳がわからないSNSなんです。でも僕らは、相手が誰だろうと神経質になることもなく、使うのに慣れています。

ヒトかAIかを問わない時代が「確実に」来るからこそ

 そのうち、AIかヒトかなんて、リアルの場にいなければ、ほとんどわからない時代に「確実に」なる。そして僕たちは、オンラインの向こう側にいるのが、ヒトかAIかも気にしない時代も「確実に」きます。

 だからこそ、人がヒトたる価値を持つには、

①AIではできないようなことを
②できる限りリアルな場で行う

 これら2つが、とても大切になってくるのです。

 ①は以前、ヘッドハンターの悩み(下記の記事)のところで、述べましたが、実は大切なのは、②だと、僕は思っています。

AIは「感情はないけど、あるように、たぶん、なる」

 人型AIロボットはそう簡単に開発されません。ヒトかロボットか見た目でわからない動きをするロボットは、相当なイノベーションが起こらない限り、まだまだ先になるでしょう。

 ですので、リアルな場に、ヒトとして出向いて、ヒトと会話し、行動する、これはAIには絶対にできません

 そしてだれと会ってなにをするか、にヒトとしての唯一最大の価値がある時代になると思います。これについては、またAI共存時代の仕事論として語ろうと思ってます。

 こういうお話しをすると、「いやいや、ヒトかAIかわからないだって?AIには意思も感情もないって言ってたじゃないか、AIには意思も感情もないんだから、わからない、ってことはないでしょう」と言われることがあります。

 この点はとても考察することが、とても興味深い分野になりますが、僕の回答は「感情はないけど、あるように、たぶん、なる」です。
 
 何度も書いていますが、大規模言語モデルのAIに感情のエンジンはありません。意識を持つ機能も実装されてません。ただひたすら関数を「計算するだけ」です。

 これは変わらないでしょう。でも、です、それでも感情を持つ、意志を持つようになる、というのが僕の考えです。

 何を言ってるのか?といわれそうですが、これには、ユングの「集合的無意識」論などの心理学や、哲学的な要素も含めての説明が必要で話が長くなりそうです。

 これらについては、「AIは感情や意思を持つようになる」と題して、書いてみたいと思います。


いいなと思ったら応援しよう!