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三大宗教の聖地エルサレム①ユダヤ教の聖地として

この記事に目をとめてくださり、本当にありがとうございます。

前回の記事では、「今さら聞けないイスラエル・パレスチナ問題」と題して、今問題となっているイスラエルとハマスについて取り上げました。↓↓


引き続き、問題となっているイスラエルの中でも、3大宗教の聖地、エルサレムに焦点を当てていきたいと思います!


エルサレムは、なんとユダヤ教・キリスト教・イスラム教3つの世界宗教の聖地です。

ちょっと待って、なんでみんな同じ場所が聖地なの?

そう思う方も多いと思いますので、順番にご紹介していきますね。

まず今回は、ユダヤ教の聖地としてのエルサレムです。


そもそもユダヤ教って?

日本人にあまり馴染みのなさそうなユダヤ教。
念のためおさらいしておきますね。

ユダヤ教は唯一神ヤハウェを神として崇める宗教です。

アブラハムの子孫であるユダヤ人に伝えられたヘブライ語の聖書を先祖代々受け継いでいます。

このヘブライ語の聖書は、キリスト教でいう旧約聖書にあたります

ユダヤ教では、「神の律法に従うユダヤ人は救われる」、という選民思想を持っています

ユダヤ人とは、ユダヤ教を信じる人たちのことをいいます。

ユダヤ教を信じる人たちの国家として成立したのが、現在のイスラエルです。

つまり、イスラエルに住んでいるユダヤ教徒の人は、イスラエル人でありユダヤ人です。

基本的にイスラエルに住んでいるのはユダヤ人ですが、ユダヤ人でなくイスラエルに住んでいる人のことは、イスラエル人と呼びます

国の名前と宗教の名前がややこしいですよね。


ユダヤ教の聖地としてのエルサレム

嘆きの壁(引用:Wikipedia)

エルサレムは古代イスラエル王国の首都で、エルサレム神殿がかつて存在した場所です。

エルサレム神殿はユダヤ教の中で最も神聖なものでした。

エルサレムの旧市街には「嘆きの壁」というユダヤ教の聖地があります。

この「嘆きの壁」は、紀元前20年頃、ヘロデ大王の時代に改築されたエルサレム神殿の外壁のうち、現存する唯一の遺構です。

紀元70年、エルサレム神殿はローマ軍によって、破壊されてしまいました(エルサレム攻囲戦)。

その後、エルサレムを追われ、世界各国に離散(ディアスポラ)したイスラエルの民。2000年もの間、自分たちの国がないまま彷徨うことになります。

「嘆きの壁」の「嘆き」とは、神殿の破壊を嘆き悲しみ、残された城壁に集まるユダヤ人の習慣を表しています。

ユダヤ人とエルサレムの歴史

嘆きの壁

ユダヤ人とエルサレムの歴史の長いこと。
旧約聖書の時代まで遡ることになります。

そして、エルサレムの歴史のもっと長いこと。

エルサレムの地名自体は古代エジプトの文書(アマルナ文書)に登場しますが、その起源はもっと古く、紀元前30世紀頃まで遡るそうです。

(エルサレムの起源は、気が遠くなるので今回は深追いしません。)

紀元前1000年頃に、古代イスラエル王国(ヘブライ王国)が成立します。

古代イスラエル王国は、ユダヤ人の国家として、紀元前11世紀から紀元前8世紀まで存在しました。

「イスラエル」という国名は、ユダヤ人の始祖であるヤコブが神に与えられた名前にちなんでいます。

古代イスラエルの2代目のダビデ王によって、エルサレムが首都と定められました。

3代目のソロモン王の時代には王国が絶頂期を迎え、エルサレム神殿(第一次)が建設されます。

しかし、ソロモン王死後の930年ごろ、王国は南北(北:イスラエル王国、南:ユダ王国)に分裂し、エルサレムはユダ王国の首都となりました。

危機的状況になったのは、歴史的に有名なバビロン捕囚のとき。

紀元前597年、エルサレムは新バビロニア王国の支配下に入り、ネブカドネザル2世によって、約3000人のユダヤ人がバビロンへと連行されたのです(バビロン捕囚)。

一時はどうなることかと思われたユダヤ人たち。
幸いにして、紀元前539年、アケメネス朝ペルシアが新バビロニアを滅ぼし、ペルシア王キュロス2世がユダヤ人のエルサレム帰還を認めます。

ユダヤ人たちは晴れてエルサレムに戻り、紀元515年にはエルサレム神殿(第二期)も再建されました。

エルサレムはその後も様々な国の支配下に入りましたが、ユダヤ教の聖地、という位置づけは変わりませんでした。

しかし、紀元70年、権勢を広げるローマ帝国とユダヤ人の戦いがあり(ユダヤ戦争)、エルサレムは陥落し、ローマ軍に占領されます

この時、エルサレムは炎上してエルサレム神殿も破壊され、西側の壁だけが残ったそうです(エルサレム攻囲戦)。

エルサレム神殿

エルサレム神殿想像図(引用:Wikipedia)

エルサレム神殿は、ユダヤ教の人々にとっては、唯一神ヤハウェの聖所であり、祭祀が行われる場所です。

繰り返しになりますが、ざっと歴史を載せておきます。

・紀元前10世紀に、古代イスラエル王国3代目のソロモン王が建設。

・バビロン捕囚からの解放後、ほぼ同じ場所に第二エルサレム神殿が再建。

・紀元前20年にヘロデ大王によって完全改築に近い形で拡張。

・紀元70年、ユダヤ戦争において、ローマ帝国軍に火を放たれ、神殿は破壊。

・現在の「嘆きの壁」は、破壊された神殿のなかで何とか残った一画。ヘロデ大王時代に改築されたエルサレム神殿外壁の西側部分になります。

現在のユダヤ人とエルサレム

現在、エルサレムは、ユダヤ人が住む西部のイスラエル行政区画(西エルサレム)と、アラブ人居住地区の東エルサレムから成り立っています。

イスラエルとしては、エルサレムはイスラエルの管轄内であり、自国の「首都」であるとしています。

何でこんなことになっているかと言うと。

元々、イスラエルの建国時から、ユダヤ人(新規参入者)とパレスチナ人(現地在住のアラブ人)は上手くいっていないようです。

イスラエル建国に反対したアラブ諸国との間で、第一次中東戦争が起きているくらいです。

第一次中東戦争の結果、ヨルダン川の支配下にある地域は、東イスラエルとしてアラブ居住地区になっていました。

ところが、イスラエルは、1967年の第三次中東戦争により、アラブ人の住む東エルサレムを占領し、編入を宣言したのです。

国際連合、パレスチナ自治政府などはこれを認めておらず、イスラエルの東エルサレム入植は国際法違反で、イスラエルの首都はテルアビブであるとみなしています。

イスラエル側の言い分も少し載せておきましょう。
この第三次中東戦争以降、ユダヤ教徒はやっとエルサレムへの立ち入りを許されるようになったそうです。

国際法上は違法とされているイスラエルの占拠なのですが、なんとしてもエルサレムに入れるようになりたい!という必死の想いだったとしたら、複雑ですね。

2017年にアメリカのドナルド・トランプ大統領が、エルサレムはイスラエルの首都であると明言し、2018年、大使館をテルアビブからエルサレムに移転させました。

アメリカがユダヤ人とのパイプが深く、イスラエル寄りの立場なのは有名な話ですね。

<まとめ>

嘆きの壁で祈るユダヤ教徒

いかがでしたでしょうか。

要するに、イスラエルとしては、エルサレムは今も昔もずっと自分たちの宗教の聖地であり、ユダヤ人の国の首都である、と思っています。

しかし、イスラムの人々にとっては、エルサレムは自分たちの宗教の聖地であり、イスラエルの首都として単独に認めるわけにはいきません。

エルサレムがユダヤ教の聖地であり、イスラム教の聖地であり、キリスト教の聖地である、という複雑な事情はあるのですが、それが現在まで続く問題になるというのは、日本人からすると気が遠くなる話かもしれませんね。

元々はユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、同じ聖書からの流れを組む啓示型宗教で、兄弟宗教と呼ばれているのに、自分たちの正義を振りかざして殺し合いになるというのは、神様も大変残念なことでしょう。

私たちにできることは限られていますが、せめてどういう経緯で戦争が起きているのかぐらいは、同時代の人間として知っておきたいものです。

願わくは世界が一つになる方向で、何かお手伝いできることがあればいいですよね。

最後までお読み下さり、ありがとうございました!


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