日本人に勇気を!司馬遼太郎の「坂の上の雲」①
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2月第2作目には司馬遼太郎の『坂の上の雲』を取り上げます。
『坂の上の雲』は、『竜馬がゆく』『燃えよ剣』など多くの長編歴史小説を生み出した、司馬遼太郎氏の代表的な作品の一つです。
四国・松山出身の秋山好古、秋山真之、正岡子規の三人の主人公を軸に、日清・日露戦争が描かれます。
構想期間も含めると約十年に及び、司馬遼太郎氏は四十代のほぼすべてをこの作品に費やしました。
司馬遼太郎(1923~1996)
大阪府生まれ、本名、福田定一。
小説家、評論家。
大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)蒙古語学科卒。
産経新聞の記者を経て作家となる。
産経新聞在職中に『梟の城』で直木賞を受賞。
以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表し、吉田松陰と高杉晋作を描いた『世に棲む日々』などで吉川英治文学賞を受賞したのをはじめ、数々の賞を受賞。
また、作品の多くがNHKほかでドラマ化されている。
代表作品:『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『坂の上の雲』『街道をゆく』など
【書き出し】
まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
その列島のなかの一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。
伊予の首邑は、松山。
【名言】
「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。」
「このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である」
「本日天気晴天なれども波高し」
「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」
【あらすじ】(前編)
『坂の上の雲』は、日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。
舞台は、四国・伊予松山からはじまる。
維新後、松山藩の財政は底をつき、藩士の生活は困窮をきわめていた。
子供の多い秋山家では、五人目の男児・真之が生まれると、経済的な理由から、父は真之を寺へやろうとしたが、十歳になる兄・好古が猛反対し、そのまま二人は一緒に成長した。
十六歳になった好古は、風呂焚きになり、その稼ぎで書物を買ったが、学校へは行けなかった。
ある日、大阪に”無料”の師範学校ができたことを耳にし、進学する。
卒業すると上京し、陸軍士官学校へ入学した。
真之は手のつけられない餓鬼大将となり、近所から「真之ほどわるいやつはいない」と評判になっていた。
真之と幼なじみで、ともに短歌や俳句を詠んでいた正岡子規は、文芸史上、あれほど剛胆な革新活動をしたが、幼少の頃は「こんな臆病な児もない」といわれた。
子規は文学運動のまねや、自由民権運動の演説に熱中してみたりもしたが、どれにも満足がいかず、上京への思いを真之に話すようになる。
「なにをするにも東京だ」という気分が、この時代、日本列島の津々浦々の若い者の胸をあわだたせていた。
子規と真之は中学を中退し、大学予備門を目指すために上京する。
好古は陸軍士官学校を卒業後、二十八歳で陸軍大尉となる。
また、旧松山藩主久松家の若殿が留学するお供として、足かけ5年フランスに入学し、帰国後は三十三歳の若さで、日本騎兵の育成のすべてを任せられた。
真之は海軍に入った。
一度は子規とともに大学予備門へ進んだが、やはり経済的に大学進学は無理と思い、学費無用の海軍兵学校に進み、少尉候補生となった。
卒業した年、トルコ軍艦エルトグロール号が熊野灘で沈没する事件が起こる。
政府は生存者をトルコまで送ることを決め、真之はこの任務に参加した。
子規は、大学予備門在学中に肺結核を患う。
一度、病気療養のために松山に戻ったが、母の八重と妹の律と共に東京で暮らした。
帝国大学を中退して新聞「日本」の記者となるが、文芸活動は継続。
それまでの俳句を月並として批判し、写生の精神を導入するなど、その革新に努めた。
時代は「日清戦争」の火種がくすぶり始めていた。
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