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清潔感のある日本の小説10選⑨

⑨町屋良平「飛行船、名古屋へゆく」

文章からかすかに漂う腐臭のようなもの。それは青臭さに似ている。次のように始まっている。

 飛行船は山手線とおなじ速度で進んでいた。
 十八じだというのにまだ空はうす青く、車内は冷房が相当に利いていて、それでもぼくはスーツをしっかり着込んでいたので、気温としては涼しすぎの部類だったかもしれないけれどまずまず快適で、ぼくは小説をよんでいた。それで、本をよむということが、自分にとってよいことではないように、ふとおもった。それは、ときどきおもいだす、ということとちょっと関係していた。ときどき小学校五、六年生のときの担任の先生のことをおもいだした。ときどき、高校生のときにすきだった友だちのこととそのきもちが見せる風景のことをおもいだした。

手数が多い。退屈さの対極にある文章といえよう。不潔という印象が生じてもおかしくないほどの娯楽がみなぎっている。

さしあたり腐臭のもとは「十八じ」という表記のしかたにあるといえよう。字音を平仮名で打っている。しかし作意は拙さの印象の確保に向けた意志、まだ習っていない漢字は平仮名で書きましょう的な小学生作文タイプの幼稚さの実現に向けた企図とは別の次元にあろう。青臭いあざとさに似ているが別物であろう。

素人っぽさ、初々しさの対極にある文章といえよう。いわゆる彫琢とは逆向きの彫琢のほどこされた文章なのではないか。

次のように続いていく。

 五年生のときの担任の先生は、体育が専門の若い男性で、快活で、つまりぼくとはちょっと合わなかった。だけどぼくは先生のことがまあまあすきだったし、それは先生のほうでぼくのやさしさの根源的な由縁を見失っていたからではないかとおもっていた。そのころのぼくはいま現在のぼくが当時のぼくを神様だとおもうくらい、やさしくて、そこにいなかった。いつも、どこにもいなかった。つまり、どこにもいないということがやさしさで、常にぼくは、ちょっと未来の自分の心にいた。だから他人のいうことやすることは、なんだってすばらしかった。勿論、いま現在のぼくはいま現在のぼくにとってとてもきもちのわるい、このうえなく愚かな存在だ。いちど、ぼくが体調を崩して保健室で眠っていたある日、先生は男子たちとサッカーに興じていて、放課後遅くになってもそのまま保健室に放っておかれる、ということがあった。他の先生に連絡を受けた母が、ぼくを迎えにきてくれたけれど、あのときの先生のきまり悪そうな顔といったら!ぼくはそれを、とてもよい、と感じていた。すっかり体調はよくなっていて、ぼくは広すぎる校庭のそこここでボールを追いかける生徒を眺めながら、疎外感を感じて得意になった。母は、家に帰ると先生の無神経に文句をいったが、あのとき先生に心配をされてうれしかったのは、ぼくがそのときに、この大人にじぶんがまったく理解されていないという、そのことを体験したからだった。先生をすきだとおもった。まったく理解されないということが、とても健やかで、安心で。

「え? 何言っているの?」の連鎖を形づくる、娯楽性に富んだこの一節で最も強く腐臭が感じられるのは「先生のほうでぼくのやさしさの根源的な由縁を見失っていたから」の箇所であろう。また「そのころのぼくはいま現在のぼくが当時のぼくを神様だとおもうくらい、やさしくて、そこにいなかった」という言葉の継ぎ方にも腐臭が漂っている。「そのころのぼくは(中略)やさしくて、そこにいなかった。いつも、どこにもいなかった。つまり、どこにもいないということがやさしさで、常にぼくは、ちょっと未来の自分の心にいた。だから他人のいうことやすることは、なんだってすばらしかった」という行文における「だから」にも腐臭が漂っている。

ここで腐臭は難解な思弁に発しているといっていいと思う。

この難解さにいちばん近いものを探ればそれは詩の言葉であろう。それはつまり小説の文章として崩れかけているということであり、小説として崩れかけているということにほかならない。

男の恋人がいる会社員の「ぼく」は出張先の名古屋で子供じみた青年「緑の子」に出会い、頭を洗ってやったりする。

「緑の子こそが【今】なのだ」――「今」とは捕捉不可能な時間の一様相を指しているのであろう。

どこでもない場所としての名古屋と、いつでもない時間としての「緑の子」であろう。

後段、行分けになるところがある。甘ったるく湿度の高まる箇所であり、文章の崩れが清潔を著しく毀損している箇所だ。

 栄の交差点を何度も往来するあいだ、何度も何度も緑の子を無視しつづけた。そのうちに、営業先の空港へゆく時間が迫っていて、向かう電車のなかで寝た。
 
 くうくう寝ていてよ
 君が起きたら
 くうくう寝るね
 
 それで、空港に着いてアイスクリームを食べて、食べたあとちゃっと仕事して、名駅へ移動して、ちゃっと仕事して、それで緑の子を無視して。
 
 冬が灯ったあたり
 センチメ
 ンタルがぼくのなかでそれは風が
 砂を零してゆくように血流に溜りそして
 移動してゆく
 親指の腹のあたりで停滞したら
  
 指先がむりむり痒い。緑の子はティッシュを配りながらぼくのほうをチラチラみる。ぼくはとても惨めだ。飛行船がもう、膨らんで膨らんでどうしようもない。ぼくは恥しいよ。社長と話すのが、おこがましい。ぼくは恥しい。

腐臭が小説としての崩れを原因として持つのであれば、それは清潔の証にもなろう。

素人らしさとは別の清潔のありえることをこの小説は証しているのではないか。

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