清潔感のある日本の小説10選⑦
⑦多和田葉子「ボルドーの義兄」

あの明るい乾いた夏の日ちょうど正午に優奈がブリュッセルで乗りこんだ列車はボルドーに到着した。プラットホームに降りると、優奈はまだ見たことのない一人の男性の姿を捜した。立ち止まったまま、まわりをみまわすと、今列車を降りた人たちが出口に向かって液体状にまとまって流れていき、最後には優奈と若い電気技師だけが残った。技師は工具箱を地面に置いて、何かの装置の灰色の扉を開けた。
断章形式の作品の最初の断章。清潔な印象を受ける。その印象は全編を通して揺るぐことがない。何がこの堅牢な清潔感を作り上げているのか。
章の頭に鏡文字が置かれているとか、字下げがないとか、こういった際立って知的な操作が清潔感に寄与しないことは、いまさらいうまでもないことであろう。
二つ指摘できるように思う。
第一に文の水準における曖昧さである。ぎこちなさ、ともいえよう。
まず冒頭の文において「あの明るい乾いた夏の日ちょうど正午に」という句の係る先がはっきりしない。「優奈がブリュッセルで乗りこんだ」に係るのか、「列車はボルドーに到着した」に係るのか。
もちろん前者に係るよりも後者に係ると読んだ方が受け取りやすいようには思える。「あの明るい乾いた夏の日ちょうど正午に優奈がブリュッセルで乗りこんだ列車は」と一息に読んだ場合、係助詞「は」に先行する主題の重量に比して、「ボルドーに到着した」という焦点がずいぶんと軽く、拍子抜けの感覚を呼び起こすからだ。列車がどこかに到着するのは、あたりまえの話であろう。
読み進めると、優奈が当日の朝にブリュッセルでコーヒーを飲んでいたことがわかる。「ボルドー行きの列車が来るまでにはまだ充分時間があった」という記述も見えるが、ハンブルグから夜行列車でブリュッセルに到着した優奈が、その朝から正午まで乗り換えの列車を待っていたとは考えにくい。そう考えた場合、皮肉でなければ「充分」の許容範囲を逸脱してしまう気がするからだ。
ブリュッセルからボルドーまではTGVで四五時間かかるようである。正午頃ブリュッセルを発ったTGVがボルドーに到着するのは夕方頃ということになろう。ボルドーに到着して以降の優奈の行動から判断して、正午は乗車時刻ではなく、たぶん到着時刻なのであろう。
しかし純粋に構文的な見地に立つのなら、いずれかに確定することはできない。
続く文は内容的にどこか落ち着かない。「まだ見たことのない一人の男性の姿を捜」すことがどうしてできるのかといった問いが生じるのは不可避であろう。
三つ目の文は捻じれているようだ。優奈が「まわりをみまわす」ことにより、「今列車を降りた人たちが出口に向かって液体状にまとまって流れてい」くというのは奇妙である。といって、優奈が「まわりをみまわすと」、「最後には優奈と若い電気技師だけが残った」と繋ぐ読み方によってこの文が表す事態の奇妙さを解消できるかといえば、これも首をひねらざるを得ない。
最後の文も曖昧である。「工具箱を地面に置」くのも、「何かの装置の灰色の扉を開け」るのも、「技師」の行動として違和感を抱かせるものではないが、ここで描写されている出来事を具体的に思い描くことは、案外難しいようである。「何かの装置の灰色の扉」とは、いったい何のことをいっているのか。
もうひとつ、最初の断章について指摘できることがある。それは、「あの明るい乾いた夏の日ちょうど正午に」という句を成立させる視点と「今列車を降りた人たちが」と語り出される事態を成立させる視点との間に横たわる時間的懸隔の大きさである。
この時間的懸隔の大きさが「あの明るい乾いた夏の日ちょうど正午に」という句の係る先の判断を狂わせる。「あの明るい乾いた夏の日ちょうど正午に優奈がブリュッセルで乗りこんだ列車」は、どこに停まることもなく、いくつもの季節を超えてひたすら走り続け、ようやく「今」、「ボルドーに到着した」……。
優奈がボルドーに到着してからの、せいぜい半日程度の時間もどこか間延びしている。時間の流れ方がおかしい。それは永遠のようでもあり、一瞬のようでもある。
こうした宙吊りの感覚は時間的なものに限定されない。
「列車はボルドーに到着した」というが、この「ボルドー」とはいったい何か。
それは実在の都市ではなく、「ボルドーワイン」の「ボルドー」や「ボルドー色」の「ボルドー」と同じ資格の非実在的な「ボルドー」、あくまで言葉の水準における「ボルドー」にすぎないのではないか。
大江健三郎や中上健次の物語が鬱陶しい湿り気を帯びていることからも明らかだが、「場所」もまた小説における不潔要素であろう。
多和田葉子「ボルドーの義兄」では、ハンブルグの記憶に付随するじっとりした生々しさが「ボルドー」の抽象性、非場所性によって帳消しにされているようだ。
最後の断章。

優奈はどれくらいの間、泣いていたか分からない。その日が終わってしまうまで泣いていたわけではない。太陽がアメリカ大陸に完全に渡ってしまうまでには、まだ時間があった。しかし優奈が泣いていたのは、人生に全く変化が起こらないほど短い時間だったというわけでもなかった。背後に息づかいを聞いて振り返ると、辞書泥棒が立っていた。辞書泥棒は優奈の身体をやさしく脇に押しのけると、素早く四つの数字を押した。ドアはクリックと音をたてて開いた。
どこでもない場所、いつでもない時間――清潔な小説である。
