清潔感のある日本の小説10選⑥
⑥中上健次「重力の都」
「物語という重力の愉楽」と中上健次は書いている。
たしかに清潔な小説ではある。が、その印象は読み進めるにつれ徐々に失われていくようだ。物語という重力、小説という重力に清潔感が次第に打ち負かされ、容赦なくおしつぶされていく残酷な過程を読む者は目のあたりにするだろう。それでもなおこの作品が末尾に至るまでかろうじて清潔でいられるのは、導入部の作り出す最高度の清潔さによるといえよう。冒頭の一文がこの小説のすべてを決している。では重力の源はどこにあるか。
朝早く女が戸口に立ったまま日の光をあびて振り返って、空を駆けて来た神が畑の中ほどにある欅(けやき)の木に降り立ったと言った。朝の寒気と隈取(くまど)り濃く眩(まぶ)しい日の光のせいで女の張りつめた頬(ほお)や眼元(めもと)はこころもち紅(あか)く、由明(よしあき)が審(いぶ)かしげに見ているのを察したように笑を浮かべ、手足が痛んだから眠れず起きていたのだと言った。女は由明が黙ったままみつめるのに眼を伏せて戸口から身を離し、土間に立っていたので体の芯(しん)から冷え込んでしまったと由明のかたわらにもぐり込み、冷えた衣服の体を圧(お)しつけてほら、と手を宙にかざしてみせた。どこに傷があるわけでもないが、筋がひきつれるような痛みが寝入りかかると起こり出して明け方まで続いたと女は由明に手を触らせた。
「朝」「戸口」「日の光」「神」といった一連の言葉が語彙の水準で涼やかに澄み切った情景を立ち上げている。だが、そうして立ち上がったAmbarvalia的世界の温度が「由明」の闖入により一度上がる。この生臭い一語が小説を呼び込んでくるのだ。つまりここに重力の源、物語の種、換言すれば小説の起動因があるといえよう。「由明」が小説の化身であろう。この固有名詞こそが、戸口に立っていた「女」を日本語の小説という薄暗い室内の、生暖かく湿った蒲団の中に引き摺り込んでいくのであろう。
手足が痛むのは腐敗した死者に体をまさぐられるせいだ。女はそう由明に打ち明ける。しかし、
由明は女の話を聞きながら立てつけの悪い家だから外から寒気が入り込んで冷えて年寄りのように節々が痛むのだと思い、女の耳そばで男と一日中でもつるんでいるとそんな世迷(よま)い事(ごと)は治癒(ちゆ)すると言い、女の熱をおびはじめた体に促されたように固くなったものを夜中痛んでいたという手を取って握らせた。
由明は解釈する。こうして「由明」は小説に条理、因果律、時系列を導入し、「女」が体現するいつでもない時間と、どこでもない場所を毀損していく。
女は裸のまま立ちあがり押し入れの中から丹前をぬった折に使ったさいほう箱を取って中を開けて木綿針を出してから紙にくるんだままの丹前に入れた残りの綿を取り出し、針で目を突いて盲いさせてくれと言った。
一寸にも満たない心もとない木綿針を持った時も女を外の朝のあかりが入り込むところに膝(ひざ)をつかせ顔を上げさせた時も由明は女の情欲に煽(あお)られ酷い事をしているだけのような気がしたが、光に照らされてくっきりと自分の顔がうつった黒目に針を突き刺し、女が呻き、もう一つと言う声を聞きちゅうちょしては女が可哀(かわい)そうだと思って今ひとつを突き刺し、血が閉じたまぶたいっぱいにあふれ出した時、由明は自分が女に取り返えしのきかない事をしたと思い、たたみにうつぶせになり痛いと呻きつづける女を抱(か)かえ起こし、済まない事をしてしまったと女の耳元でつぶやいた。
由明は後悔する。「由明」はこんなふうに後悔したり、解釈したりすることによって小説を駆動する。だがそれは小説という不自由、小説の不自由に絡めとられることにつながる。後先なく振る舞う「女」の体現するhic et nuncの自由は、こうして損なわれていく。
右で針で目を突いて欲しいという女の後先ないかのような言葉はすでに小説による汚染をじゅうぶんに被っている。女の言葉は既定の言葉にすぎない。小説の戸口に立っていた匿名の「女」の清潔さは、作り出された固有名詞の重力に耐え切れず、今にも息だえようとしている。
「物語という重力の愉楽」が完全に勝利した暁に、それが絶命することは必定であろう。
