清潔感のある日本の小説10選⑧
⑧柴崎友香「寝ても覚めても」
どこが清潔なのかわからない。どこでもない場所、いつでもない時間の表象、宙吊り感覚の表象は、本作を収める短編集『ドリーマーズ』の全作品を貫くものであるといっていいが、こうした表象を言語のレベルで支える構造、機構、カラクリを同定することは、思いのほかむずかしい。
まずいえるのは、文章のすみずみまで神経が行き届いている、ということ。とことん丁寧に書かれている。冒頭の一節を引く。
今日に日付が変わったと同時に発生した台風二十六号は、四国のはるか南の沖を北東に進んでいた。新宿駅南側の何本も走る線路をまたぐ長い連絡通路の上を、犬を連れた女が歩きだした。茶色いくるくるした毛を短く刈ってぬいぐるみのようにしたトイプードルで、赤い首輪から伸びる紐を手にした女は、天気が悪いのに大きなサングラスをかけていた。犬以外は、なにも持っていなかった。
最初の二つの文の連なりの見事さ。未完了相の第一文と完了相の第二文が地理的に大きく隔たる二つの出来事を地と図というかたちで躍動的に結び付けている。続く段落の出だしもまたよい。
こんな場所で犬の散歩なんて、どこから来たのだろうか、台風なのに、と思うわたしが乗るガラス張りのエレベーターは、音もなく加速して上昇し、犬と女はみるみる小さくなっていった。
主観と客観の暴力的な連結、転換、そして視点の高速移動。
末尾近くの記述も見ておく。
雨と風が窓に当たる音で目が覚めた。コンクリートの建物の壁全体に強い風が体当たりしているような、そんな風圧みたいなものを、静かで暗くてなんにも動かない部屋の中にいても、なぜか感じた。
雨は寝る前よりも強くなっていて、雨粒が窓や屋根に当たる音が響いた。台風は今、静岡県の沖のほうにいる。海水を吸い上げて、回転しながら近づいてくる。暗い夜の闇に渦巻く雲を上から見ると、満月が白く照らしている。
視点の切り替えの速度感――ぐっと上昇する視点の速度感は、ここにもみなぎっている。
くりかえすが、丁寧な仕事が施されていることは明らかである。しかしながら、隙のない文章、日本語として上等な文章がめざされているかといえば、そうではない。たとえば最初に引用した冒頭の段落を構成する三つ目の文。
茶色いくるくるした毛を短く刈ってぬいぐるみのようにしたトイプードルで、赤い首輪から伸びる紐を手にした女は、天気が悪いのに大きなサングラスをかけていた。
いわゆる連用中止法を使った文であるが、どことなく落ち着きが悪い。その主因はおそらく、前件にあたる節のテーマ(たとえば「その犬は」といった語句)が省略されていることにある。これにより前後の節が並列に置かれていることが即座には見えて来ず、また、前文とのつながりも悪くなっている。
続く第四文「犬以外は、なにも持っていなかった」の言い回しのぎこちなさはだれでも気づくものであろう。「犬を持つ」という言い方はまずしない。これには英文直訳調の趣もある。
短篇集を構成する最初の一篇「ハイポジション」の書き出しに据えられた小さなひっかかりは意味論の次元に属する。
薄緑色の長袖のシャツを通してもはっきりと温度が感じられるくらいに日差しが強くて暑かった。
「薄緑色の」という限定は余計であるように思える。あるいはそれは文意を濁らせる。「薄緑色」と温度の関係がよくわからないからだ。
これは作者の不用意ではないだろう。作者の鋭敏な神経の仕事であろう。
「なにも」と書いているのに「なんにも」とも書いている。
作為的なぎこちなさであり、たどたどしさなのであろう。
ここにおそらく、この小説家の文章を特徴づける最大のものが指摘できる。
丹精されたぎこちなさとでもいうべきもの。
たんにうまい文章は不潔である。ぎこちなさ、たどたどしさは、それだけで清潔とはいかないにせよ、少なくとも不潔さを緩和することはできる。
しかし作為性は不潔ではないのか。
「寝ても覚めても」という表題はどうか。
この言いさしの表題に伺える、なにかものいいたげな、もの欲しげな顔つき。
作中繰り返し現れる、寝る・覚めるの表象の先に何が来るのか、来るべきなのか。
来て欲しいのか。
小説を招き寄せているようだ。
清潔なのか不潔なのか、どちらに転ぶかわからない、際どい境地に立っている、これは小説なのであろう。
