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SF小説 Memory Banker Ghost Block編 第68話|説明

Helixの研究棟は、いつもより静かに見えた。

白く磨かれた床。
音を吸う壁。
一定の間隔で走る誘導灯。

以前検査で来たはずなのに、今はなぜかすべてが整いすぎているような気がして、はなは少しだけ肩をすくめた。
佐倉は、はなの様子に気づき声をかける。

「大丈夫か」

はなは小さくうなずいた。

「はい」

けれど、その声は少し硬かった。
Zenith Ringの展望台で、自分で決めた。

知る、と。

自分のMemory Chainにある、自分も知らない空白。
それを知りたいと、佐倉に伝えた。
その決断は、今も変わっていない。
でも、Helixの廊下を歩いていると、胸の奥が少しずつ冷えていく。

この先で何を聞かされるのか。

それを想像しようとしても、うまく形にならなかった。
エレベーターが止まる。

扉が開いた先に、レンが立っていた。
今日は白衣を着ていなかった。
淡いグレーのジャケット。
黒いシャツ。
研究者というより、説明役としてそこに立っているように見えた。

佐倉は、その姿を見て少しだけ目を細めた。
レンは短く言った。

「来たか」
「はい」

佐倉が答える。
レンは、はなへ視線を向けた。

「はな。今日は検査ではない」

はなは少し驚いたように瞬きをした。

「検査じゃないんですか」
「ああ。今日は説明だ」

レンは、ゆっくり続けた。

「君が知ると決めたことについて、順番に説明する」

はなは小さくうなずいた。

「お願いします」

佐倉はレンを見ると、はなに聞こえないように

「約束を忘れないでください」

そう、レンが伝えた。
レンは佐倉の言葉を受け止める。

「分かっている」
「最初に、事故の話はしない。妹の話もしない。身体の話もしない」
「分かっていると言った」

レンの声はいつも通りだった。
ただ、その奥に、少しだけ慎重さがあった。

「今日は、はなを研究対象として扱わない。説明を受ける本人として扱う」

佐倉は黙ってうなずいた。
三人は説明室へ入った。
そこは検査室ではなかった。
大きな装置もない。
半球状のスキャナもない。
壁面に一枚の大型モニター。
中央には低いテーブル。
向かい合うように置かれた椅子。
窓の外には、Financial Coreのビル群が見えた。

はなは椅子に座る前に、少しだけ部屋を見回した。

「ここで、聞くんですね」
「ああ」

レンはモニターの前に立った。
佐倉は、はなの隣に座る。
その距離が、はなには少しありがたかった。

レンはすぐに画面を出さなかった。
まず、はなの方を見た。

「最初に宣言する。」
はなは背筋を伸ばした。

レンは静かに言った。

「君は、五十嵐はなで間違いない。まずは自信を持て。」

はなは何も言わなかった。
その言葉は、展望台で佐倉から聞いた言葉と同じだった。けれど、Helixの中で、HelixのCEOであるレンから言われると、別の重さを感じた。

「今日の説明は、それを疑うためのものではない」

レンは続けた。

「君が”はな”であることを否定する検査結果は存在しない。君には君自身のGenesisがある。Memory Chainも16年間、はなとして連続している」

はなの指が、膝の上で少し動いた。

「16年間……」
「ああ」

レンはうなずいた。

「君が生きてきた時間は、本物だ。そこは変わらない」

佐倉は、黙ってレンの言葉を聞いていた。
レンは約束を守っている。
少なくとも、今は。

レンが端末を操作した。
壁面の大型モニターに、文字が浮かび上がる。

HELIX CONTINUITY REVIEW
Helix連続性レビュー
Subject Identity : HANA
対象人格:はな
Identity Status : VALID
人格状態:有効

はなは、画面を見つめた。

「有効……」

レンが言った。

「これは、君が君であることを示す基本判定だ」

はなは、まだ画面から目を離せなかった。モニターの文字は、冷たく、正確だった。でも、その中の「VALID」という単語だけが、少しだけはなを支えているように見えた。

画面が更新される。

GENESIS CONFIRMATION
Genesis確認
Primary Genesis : CONFIRMED
主Genesis:確認済み
Personal Continuity : STABLE
個人連続性:安定

レンは淡々と説明した。

「君のGenesisは確認されている。人格の連続性も安定している」

はなは小さく息を吐いた。

「じゃあ、私は……」

言いかけて、止まる。佐倉が静かに言った。

「はなです」

はなは佐倉を見た。佐倉は、まっすぐに言った。

「そこは、変わりません」

はなは小さくうなずいた。

「はい」

レンは、少し間を置いた。

「ここから先が、空白の話だ」

はなの肩が、わずかに強張った。
佐倉はすぐに言った。

「ここで止めてもいい」

はなは首を横に振った。

「大丈夫です。続けてください」

レンはうなずき、次の画面を表示した。

MEMORY CHAIN ANALYSIS
Memory Chain解析
Unrecorded Interval : DETECTED
未記録区間:検出
Subject Awareness : NONE
本人認識:なし

はなの目が止まった。

「本人認識、なし……」

「君自身が覚えていない区間がある」

レンが言った。

「ただし、それは日常的な記憶の抜け落ちとは違う。Memory Chainの構造上、重要な節目に関わる空白だ」

はなは、モニターから目を離せなかった。

「重要な節目……」
「そうだ」

レンは言葉を選ぶように続けた。

「通常、人の記憶には曖昧な部分がある。忘れることもある。けれど、Memory Chainは人格の連続性に関わる記録を保持している」

「それなのに、空白があるんですか」
「ああ」

レンは静かに答えた。

「君自身が認識していない空白がある」

はなは、膝の上で両手を握った。

「それは、いつのことなんですか」

レンは答えなかった。
代わりに、佐倉が言った。

「そこは、まだ言わなくていいです」

はなは佐倉を見る。
佐倉は続けた。

「今は、空白があるという事実だけを受け取ってください」
「でも」

はなの声が揺れる。

「それを知るために来たんじゃないんですか」
「そうです」

佐倉はうなずいた。

「でも、順番があります」

レンは、佐倉の言葉を遮らなかった。モニターに新しい画面が出る。

CONTINUITY GAP REVIEW
連続性空白レビュー
Gap Classification : CRITICAL
空白分類:重大
Direct Disclosure : RESTRICTED
直接開示:制限

はなは、その文字を読んだ。

「直接開示、制限……」

レンが説明する。

「一気に全情報を提示すると、君に強い負荷がかかる可能性がある。」

「だから、少しずつ?」
はなは、レンと佐倉の両方に目をあわせる。

「そうだ」
「それは、佐倉さんたちが決めたんですか」

はなの問いに、佐倉は少しだけ沈黙した。

「はい」
「小人さんも?」

佐倉は目を伏せる。

「はい」

はなは、窓の外へ視線を向けた。Financial Coreのビル群が、無音で並んでいる。そのガラス面に、光が流れていた。

「みんな、私を守ろうとしてるんですね」

佐倉は答えなかった。
レンも答えなかった。
はなは小さく笑った。

「でも、それって少し怖いです」

佐倉が顔を上げる。
はなは続けた。

「私のことなのに、みんなが私より先に知っていて、私を壊さないように、少しずつ渡そうとしている」

その声は責めているわけではなかった。
ただ、寂しそうだった。

「守られているのか、隠されているのか、分からなくなります」

佐倉は静かに言った。

「とらえ方によるかな」

はなは、少し驚いたように佐倉を見た。
佐倉は続ける。

「だから、俺は今日、君に選ばせたいと思いました。俺たちが全部を決めるべきではない」

「でも、今も全部は教えてくれないんですよね」
「はい」

佐倉は、逃げなかった。

「それでも、段階を踏ませてほしい」

はなは黙った。

レンは端末に手を置いたまま、二人を見ている。しばらくして、はなは小さくうなずいた。

「分かりました」

そのとき、モニターの端に新しい文字が浮かんだ。

UNKNOWN MESSAGE : PROTECTED CHANNEL
不明メッセージ:保護チャンネル
Keep the promise.
約束を守ってください。
Do not rush her.
急がせないでください。

はなは目を見開いた。

「小人さん……」

佐倉は画面を見た。

「分かっています」

レンも静かに言った。

「急がせない」

画面はすぐに沈黙した。はなは、モニターを見つめたまま言った。

「小人さんは、私に知られたくないんですか」

佐倉は少し迷った。

「あなたを守りたいんだと思います」

「守る……」

はなは、その言葉を繰り返した。

「どうして、そこまで」

誰も答えられなかった。まだ、その答えを言う段階ではなかった。レンは少し間を置いてから、次の画面を出した。

CONTINUITY DIFFERENTIAL
連続性差分
Verified Continuity : 99.02%
検証済み連続性:99.02%
Unresolved Residual : 0.98%
未解決残差:0.98%

はなは、数字を見つめた。

「99.02……」

佐倉は、はなの横顔を見た。
その数字を、彼女は以前にも見ている。
けれど、その意味はまだ知らない。

レンが言った。

「この数字は、君を否定するものではない」

はなはレンを見る。

「違うんですか」
「違う」

レンの声は、今度ははっきりしていた。

「99.02%だから不完全という意味ではない。むしろ、君の人格連続性が極めて高い精度で安定していることを示している」

「でも、0.98%は残っているんですよね」
「ああ」
「それは、何なんですか」
レンは、すぐには答えなかった。

佐倉も、黙っていた。
はなは二人の沈黙で察した。

「それが、空白に関係しているんですね」

レンはうなずいた。

「関係している」

次の画面が表示される。

RESIDUAL TRACE REVIEW
残差トレースレビュー
Residual Type : NON-PERSONALITY
残差種別:非人格
AI Signature : NOT DETECTED
AI署名:未検出

はなは眉を寄せた。

「非人格……?」
「別の人格がいる、という意味ではない」

レンが言った。

「AIでもない。誰かが君の中で話しているわけでもない」

はなは少しだけ息を吐いた。
その説明で、わずかに安心したようだった。

「じゃあ、何なんですか」

レンは次の画面を表示した。

GHOST BLOCK ANALYSIS
Ghost Block解析
Personality Formation : NOT STARTED
人格形成:未開始
Genesis Residual : DETECTED
Genesis残存:検出

はなは、その文字をゆっくり読んだ。

「Genesis……残存……」

レンは慎重に言った。

「Ghost Blockは人格ではない。人格になる前の、最初の情報に近い」

「人格になる前……」

「生命が、この世界に存在したという最小単位の証明。連続性の始点。そう考えるのが一番近い」

はなは、両手を握りしめた。

「それが、私の中にあるんですか」
「ああ」
「でも、私の人格じゃない」
「そうだ」
「AIでもない」
「違う」

はなは、画面を見つめ続けた。

「じゃあ……」

声が少し震えた。

「そのGenesisは、誰のものなんですか」

研究室ではなかった。
説明室だった。
けれど、その瞬間、空気が凍ったように感じた。
佐倉は目を閉じた。
レンもすぐには答えなかった。
モニターには、何も新しい文字が出ない。

小人さんからのメッセージもない。
はなは、二人を見た。

「佐倉さん」

佐倉は、はなを見る。

「はい」
「ここから先が、本当に知るべきことなんですね」

佐倉は、ゆっくりうなずいた。

「そうです」
「聞いたら、戻れないですか」

佐倉は少しだけ考えた。

「それも、君のとらえ方次第だよ」

はなは唇を結んだ。

「でも、私は私なんですよね」

佐倉は、すぐに答えた。

「ああ。」

レンも言った。

「そこは変わらない」

はなは、深く息を吸った。
そして、ゆっくり吐いた。

「続けてください」

佐倉は、はなの手元を見た。
指が震えている。

それでも、はなは逃げなかった。

佐倉は言った。

「ここで一度、休みましょう」
「でも」
「休んでも、選択は消えません」

はなは少しだけ困ったように佐倉を見た。

「佐倉さん、慎重すぎます」
「そうかもしれません」
「でも」

はなは、少しだけ笑った。

「今は、それがありがたいです」

佐倉は小さくうなずいた。

レンは端末を操作し、画面を一度暗くした。

モニターから光が消える。

部屋は静かになった。

はなは椅子にもたれ、小さく息を吐いた。

「0.98%……」

はなはモニターではなく、自分の手を見ていた。

「人格じゃない。でも、ただのエラーでもない」

はなは、ゆっくり言った。

「何かが、私の中に残っている」

佐倉は、胸の奥が締めつけられるように感じた。

はなは、もう気づき始めている。
言葉になる前に。
記憶になる前に。
真実の輪郭だけを、手探りで触っている。
そのとき、暗くなったモニターに、文字が浮かんだ。

UNKNOWN MESSAGE : PROTECTED CHANNEL
不明メッセージ:保護チャンネル
Please stop here today.
今日はここで止めてください。
Let Hana breathe.
はなに息をさせてください。

はなは、その文字を見つめた。

「小人さん……」

画面はそれ以上、何も表示しなかった。
佐倉は、はなに言った。

「今日はここまでにしましょう」

はなはすぐには返事をしなかった。
少しだけ迷ったあと、小さくうなずいた。

「はい」

レンも何も言わなかった。はなは、もう一度暗いモニターを見る。

「でも、次は聞きます」

佐倉はうなずいた。

「はい」
「そのGenesisが、誰のものなのか」

レンは静かに目を伏せた。

「分かった」

はなは立ち上がった。足元は少しふらついていた。
佐倉がすぐに手を伸ばしかける。
だが、はなは自分で立った。

「大丈夫です」

その声は震えていた。
けれど、確かだった。

「私は、はなですから」

佐倉は、何も言えなかった。
レンも、何も言わなかった。
暗いモニターの中で、最後に一行だけ文字が浮かび上がった。

UNKNOWN MESSAGE : PROTECTED CHANNEL
不明メッセージ:保護チャンネル
Thank you.
ありがとう。
Stay with her.
あの子のそばにいてください。

佐倉は画面を見つめた。
そして、小さく答えた。

「はい」

Helixの説明室には、静かな沈黙が戻った。
それは、終わりの沈黙ではなかった。
次の真実の前に置かれた短い休息だった。

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