Memory Banker Shell Swap編第19話 浄玻璃(JOHARI)
「JOHARIというのは、何ですか?」
望が尋ねると、レンは説明用の端末へ手を伸ばした。
「知らなくても不思議ではない。通常のDF業務で触れるシステムではないからな」
中央の画面からCASE-AとCASE-Bが消え、代わりに古い図面が表示された。複数の円と接続線が重なり、その中央付近には、鏡を思わせる円形の意匠が描かれている。
「JOHARは、現在観測される主体(Identity)が、法的・人格的にどのような存在であるかを解析・保持する役割を持つAkashicの機能の一つだ。」
レンは神谷に視線をおくる。神谷は続きを説明してもよいというようにレンに対してうなずいた。
「JOHARIは、機微な個人情報を取り扱うため、裁判所の許可がないと開示されない。そのため、おいそれと使用できるシステムではない。」
「本人性監査……」
望はレンが表示した鏡のようなマークをもう一度確認した。
「Observerとの違いはなんですか?」
望はレンに尋ねる。
「Observerが確認するのは、Memory Chainの構造が技術的に正しいかどうかだ。Hashが一致しているか、Parent Linkが連続しているか、未承認Forkが発生していないか。だが、そのMemory Chainが本当に誰のものなのかまでは判断しない。」
レンは、鏡の形をした意匠を指した。
「JOHARIが確認するのは、現在の身体に存在する人格が誰なのか。そして、その人格が、過去の行為主体と連続しているのかという点だ」
望は画面上の文字を追った。
「JOHARIは、何かの略ですか?それとも機能そのものの名前ですか?」
レンは正式名称を表示した。
「Judicial Ontological Human Authenticity and Responsibility Inspector、司法存在論的人間真正性・責任主体監査機構。通称、浄玻璃だ」
「浄玻璃……」
望は、鏡の意匠へ視線を戻した。
「その名前には、どういう意味があるんですか?」
「浄玻璃鏡から取られている」
レンは図の一部を拡大した。
鏡の周囲には、古い宗教画を思わせる装飾が残されている。

「浄玻璃鏡は、死者が生前に行った善悪のすべてを映し出すとされる鏡だ。閻魔王の庁の脇に置かれ、亡者が生前に何をしたのかを隠さず映し出す」
「嘘をついても、鏡には全部映る」
「そういうことだ。嘘や隠し事が通用しない場所。冥界における裁きの象徴として、曼荼羅図の中にも描かれている」
望は画面上の鏡を見つめた。
「JOHARIも、隠されたことをすべて見つけるんですか?」
「何でも分かるという意味ではない」
レンは静かに訂正した。
「JOHARIは、人の心を読む機械ではない。善悪を判断する機械でもない。確認するのは、現在の人格と、過去に特定の行為を行った人格との連続性だ」
「当たり前の話だが、人を裁くのは裁判所だよ。」
神谷が補足した。
「JOHARIは、その前提となる本人性を確認する。だから、司法の許可なしには使えない」
望はうなずいた。
「Observerが数学を見るなら、JOHARIは行為を行った本人を見る、ということですか?」
「おおむね、その理解でいい」
レンが答えた。
「Observerは、Memory Chainが技術的に連続していることを確認する。JOHARIは、その連続性が現在の人格に正しく帰属しているかを確認する」
「ObserverがNORMALを返していても、JOHARIでは違う結果になる可能性がある?」
「ある」
レンは即答した。
「Memory Chainの接続が形式上正しくても、現在の身体に存在する人格が、そのChainの本来の行為主体と一致しているとは限らない。そもそも、Memory Chainは市場で売り買いできるだろう。」
「たしかに。。。」
だから、記憶を売りすぎた。。LQやBlankが存在している。
望は、先ほどまで表示されていたCASE-AとCASE-Bを思い返した。
どちらも、処理後にはNORMALが返されている。
だが、その正常判定は、現在の身体に存在する人格が誰なのかを証明するものではない。
「だから、JOHARIを確認したのかと聞いたんですね」
「ああ」
レンは神谷へ視線を向けた。
「JOHARIを起動するには、裁判所の許可が必要です。現時点では、司法照会を申請できるだけの根拠が揃っていません」
神谷が答えた。
「技術的に説明できない構造と、別案件との類似だけでは足りないか」
佐倉が尋ねた。
「犯罪行為が行われたことも、本人性に問題が生じていることも、まだ立証できていない」
神谷は答えた。
「この段階でJOHARIを使えば、対象者の人格情報に不必要に踏み込むことになる」
レンは小さくうなずいた。
「その判断でいい。JOHARIは、使えば答えが出る検索装置ではない。確認できる範囲が深い分、扱いを誤れば対象者の人格権を侵害する」
望は、画面に残された鏡の意匠を見た。
Observerは構造を確認し、
JOHARIは、その構造が誰のものなのかを見分ける。
同じMemory Chainを監査する仕組みでありながら、見ているものはまったく違う。
「Observerだけでは、正常と判断されたMemory Chainが、誰に属しているのかまでは分からない…」
望が確認するように言った。
「そうだ」
「では、今回のCASE-AとCASE-Bも、ObserverがNORMALを返したというだけでは、本人性が保たれていたとは言えない」
「言えない。ただし、本人性が失われていたとも言えない」
レンは、言葉を区切るように答えた。
「Observerの監査範囲から外れているというだけだ」
望はうなずいた。
NORMALという判定は、すべてが正常だったことを意味するのではない。
Observerが確認する範囲に、矛盾がなかったという意味にすぎない。
望は、画面に映った鏡を見つめた。
その周囲には、JOHARIとは別の円や線が、途中で切れたまま残されている。
「この鏡の外側にあるものは、何ですか?」
レンは画面へ目を向けた。
「JOHARIが単独で存在しているわけではないということだ」
「ほかのシステムと接続されている?」
「ああ。本人性を監査するには、Akashicに保存されたMemory Chainだけでなく、Observerの監査記録や身体との接続情報も参照する必要がある」
レンは、鏡の外側に伸びる線を1本だけ表示させた。
線の先には、別の円が接続されている。
さらにその外側にも、複数の領域が重なっていた。
望は、拡大された図を見た。
それまでJOHARIの設計図だと思っていたものは、より大きな構造の一部にすぎなかった。
「この図は、JOHARIだけを描いたものではないんですね」
「そうだ」
レンは、画面の縮尺をゆっくりと下げた。
鏡の周囲に隠れていた円と接続線が、次々と画面に現れていく。
JOHARIを示す領域は、その中心ではなかった。
数多くのシステムの間に置かれた1つの監査領域として描かれている。
望は、画面全体に広がっていく図を見つめた。
「では、これは何の図なんですか?」
レンは、表示された構造の中心に指を置いた。
「Memory Chainを取り巻く、すべてのシステムをつないだ図だ」
画面の中央に、資料名が表示された。
「MANDALA?」
望は、その文字を声に出した。
