SF小説 Memory Banker Ghost Block編 第47話|Ghost Shifters.あの日の思い出
深夜だった。
ノードの窓に映る都市光は薄く、佐倉は端末を閉じたまま、しばらく動かなかった。
Ghost Block。
その単語を見るたび、思い出す場所がある。
Akashic中央研究所。
まだ、Memory Banker制度すら存在していなかった頃。
人格連続性という概念が、論文の中だけに存在していた時代。
そして、自分が――ただの学生だった頃。
「……懐かしいな」
佐倉は小さく呟く。
当時の研究所は、いまのAkashicとはまるで違っていた。
整備された巨大組織ではない。
もっと混沌としていて、危うく、熱に浮かされていた。
昼も夜も区別がない。
研究棟の灯りは、朝方になっても消えなかった。
いつの間にか研究室の床で眠り、目を覚ますと誰かが新しい理論を書き始めている。
冷めたコーヒー。
散乱する量子ログ。
ホワイトボードを埋め尽くすChain構造図。
人格の連続性を証明できるか。
Genesis以前に情報層は存在するのか。
記憶は人格なのか。
人格は演算なのか。
誰もが、本気だった。
そして、どこか壊れていた。
だから、外部の人間は彼らをこう呼んだ。
Ghost Shifters。
人格の境界を掘り続ける連中。
人間を、人間のまま扱わなくなった研究者たち。
だが、研究所の連中は、その呼び名を嫌っていなかった。
むしろ、少し誇らしげだった。
「おい佐倉、インターン。寝るな」
若い声。
振り返ると、長い黒髪を後ろで束ねた男が、端末片手に立っていた。
まだ二十代だった頃のレン・アークライト。
いまのような威圧感はない。
だが、すでに視線だけは鋭かった。
「……三十時間起きてる人に言われたくありません」
「三十六時間だ」
「もっとダメじゃないですか」
研究室の奥から笑い声が上がる。
「レン、お前また新人壊してるのか」
低い声。
モニターの海の向こう。
椅子に深く座ったまま数式を書き続けている男。
ハルフィン・ナカモト。
まだ“伝説”になる前の頃だった。
髪はぼさぼさで、机の上には空になった栄養バーとコーヒー缶が積まれている。
「人間は寝ないと死ぬぞ」
そう言いながら、本人は三日近く研究室から出ていない。
当時のGhost Shiftersは、みんなそんな連中だった。
人格理論に取り憑かれた、知の亡霊。
だが、不思議と研究室の空気は悪くなかった。
誰かが新理論を思いつけば全員が集まり、朝まで議論した。
Chain構造の仮説だけで七時間討論したこともある。
論文が通れば全員で拍手した。
人格保存の成功率が0.2%上がっただけで祭りみたいに騒いだ。
いま思えば、学生サークルに近かったのかもしれない。
ただし、扱っていたものだけが、あまりにも危険だった。

「はい、みんな一回休憩」
声が響く。
研究室の空気が少し変わる。
自然と、全員の視線がそちらへ向く。
白衣姿の女性研究員だった。
まだ若い。
年齢は二十代後半くらいだっただろうか。
片手に紙袋を抱えている。
「また栄養剤だけで済ませようとしてたでしょ」
机に次々と食べ物を置いていく。
サンドイッチ。
おにぎり。
缶スープ。
「ちゃんと食べないと、また倒れますよ」
「倒れてない」
「先週倒れました」
「……あれは気絶だ」
「同じです」
研究室のあちこちで笑いが起きる。
彼女は、いつもああだった。
研究そのものには深く踏み込まない。
だが、誰よりも研究室全体を見ていた。
誰が何時間寝ていないか。
誰が限界か。
誰が議論で煮詰まっているか。
自然と把握していた。
Ghost Shiftersは基本的に他人には無関心だったが、彼女の言うことだけは素直に聞いた。
佐倉も例外ではない。
「しん君」
名前を呼ばれる。
「インターンは特にちゃんと寝る」
「……はい」
「あと、コーヒー飲みすぎ」
「……はい」
「返事だけは素直ですね」
彼女は少し笑った。
その笑い方を、佐倉はなぜか覚えている。
研究室の空気を、少しだけ“普通”に戻してくれる人だった。
もし彼女がいなければ、Ghost Shiftersはもっと早く壊れていた。
たぶん、誰も気づいていなかった。
自分たちが、どれほど彼女に支えられていたのか。
端末の光が、現在に戻る。
佐倉は静かに目を閉じる。
あの頃は、楽しかった。
まだ誰も、自分たちの研究が世界を変えてしまうとは思っていなかった。
Ghost Blockも。
Memory Chain市場も。
人格売買も。
Continuity Transferも。
あの研究室から始まることになるとは、誰も知らなかった。
