事故の日、本当に無傷だったのか|SF小説 Memory Banker #34
「五十嵐はなさん。私はあなたがどういう状況かは断定できません」
佐倉は、配給ロボが運んできたカフェオレを、はなの前に静かに置いた。
「ですが、異常が検知されているのは事実です」
そう言って、端末の表示をはなに向ける。
MEMORY BANKER TERMINAL
メモリーバンカー監査端末
Subject : IGARASHI HANA
対象 : 五十嵐はな
Chain Status : Irregular
チェーン状態 : 異常検出
RESIDUAL PATTERN : ACTIVE
残存パターン : 活性 はなは、画面を見つめたまま動かない。
「きみはOBSERVERに検知されている。だから私は直接チェーンに触れない。ただ、監視ログから推測することはできる」
佐倉は一度言葉を切った。
「ジャンク屋の主人には、何か言われたか?」
はなは少しだけ迷い、視線を落とす。
「……似たケースがあるって」
カップの湯気がゆらぐ。
「誰かが、自分のメモリーを別の身体に移したって。うまくいかなかったけど……」
言葉が揺れる。
「……でも、わたしは違うって。消えてないって」
小さく、続ける。
「もう一つが」
佐倉は、わずかに息を吐いた。
「しゃべりすぎだな」
ほんの一瞬、苦笑が浮かぶ。
「だが、外れてはいない」
はなの肩がわずかに動く。
「きみの状態は珍しい。……私も初めて見る」
沈黙が落ちる。
カップの湯気だけが、ゆっくりと形を変えていく。
佐倉は端末に視線を戻した。
AKASHIC_ARCHIVE // PUBLIC_RESEARCH_PAPER
アカシック研究資料庫 // 公開研究論文
section_7 : synchronization_failure_cases
第7章:同期失敗事例
log_01 : accident-induced resynchronization leaves structural mismatch
事故起因の再同期では構造的不一致が残る 視線だけが、下へ流れる。
log_02 : due to physical damage
身体損傷により
log_03 : motor and reaction drift are observed after resynchronization
再同期後に運動および反応のズレが観測される さらにスクロールする。
log_04 : personality chain fragmentation destabilizes decision-making
人格チェーンの断片化により意思決定が不安定化する
log_05 : local inconsistency remains even after recovery
回復後も局所的不整合が残る 一瞬だけ止まり、また下へ。
log_06 : deviation accumulates and amplifies side effects
ズレの蓄積により副作用が増幅される 「……可能性はある」
佐倉は小さくつぶやいた。
はなは、ゆっくりとうなずく。
「それ、同じこと言われた」
少しだけ笑おうとして、やめる。
「交通事故があやしいって」
佐倉は顔を上げる。
「事故?」
はなは、息を吸う。
「……小さいころ」
間が落ちる。
「お母さんが、わたしを乳母車に乗せて歩道を歩いていたときに、LQが運転する車が突っ込んできたって」
指先が、カップの縁に触れる。
「巻き込まれたって聞いた。お母さんが、わたしをかばってくれて……」
ほんのわずかに、声が揺れる。
「わたしは無傷だったって。お父さんはそう言ってた」
佐倉は、しばらく何も言わなかった。
「……本当に無傷だったのかは、わからないな」
はなは、うなずく。
「そう思う」
視線は落ちたまま。
沈黙が、少し長く続く。
佐倉は端末を閉じず、そのままテーブルに置いた。
「一つ、提案がある」
はなは顔を上げる。
「Memory Bankerの審査を受けてみないか」
「……審査?」
眉がわずかに寄る。
佐倉は、声の調子を落とす。
「健康診断を受けるだろう。異常がないか確認するために」
はなは、小さくうなずく。
「それと同じだ」
一拍置く。
「断絶があっても、それでも同一の人格として連続しているか。それを確認する」
静かに続ける。
「社会が、それを認められるかどうかの判断だ」
はなは、言葉を飲み込む。
「……もし」
わずかな間。
「もし、異常があったら」
佐倉は視線を外さずに答える。
「追加の審査に進む。欠損や移植があるかを確認する」
はなの指先が止まる。
「……もし、あったら?」
その問いに、佐倉はすぐには答えなかった。
カップを一口だけ飲む。
それから、ゆっくりと。
「それでも」
静かに言う。
「同一であると認められるかを判断する」
言葉の余韻だけがテーブルの上に漂い
そして消えていった。
