見出し画像

SF小説 Memory Banker Ghost Block編 第19話|他人の経験で未来は変えられるのか?適用された受験チェーン

夕方。
Cognitive Belt の住宅街は、昼間より静かだった。

街路樹の影が歩道に長く伸びている。風が少しだけ冷たい。

はなは、友達と会話しながら帰路につく。
友達の家の玄関の灯りがついているのが見えた。

「ちょっと寄ってく?」

友達が言う。

はなはうなずいた。

二人は靴を脱いで家に入る。

友達の家のリビングのテーブルには、だれかの端末が開いたままになっている。

画面には契約画面が表示されていた。

Memory Exchange
Licensed Transfer Contract
(記憶取引所
認可転送契約)

はなは、それを見てすぐに理解する。

「決まったの?」

友達は少し黙る。

それから、ゆっくりとうなずく。

「うん。」

キッチンの奥で、友達のお母さんが振り向く。

少し疲れた顔をしている。

「今日、契約したの。」

はなは端末を見る。

Academic Preparation Chain
Medical Entrance Exam
(学習準備チェーン
医学部受験)

Transfer Status : Confirmed
(転送状態:確定)

はなは小さく言う。

「……お姉さんは?」

友達は階段の方を見た。

「部屋。」

そのとき、階段の上から足音がする。

トントントン・・・

友達のお姉さんが下りてきた。
はなは何度か会ったことがある。真面目で、少し大人っぽい人。

「こんばんは。」

静かな声。

はなは頭を下げる。

「こんばんは。」

友達のお姉さんはテーブルの端末を見ると、少しだけ笑う。

「高かったよ。」

友達のお母さんが苦笑する。
「いろいろ悩んだけど、あなたの夢が叶うなら安いものよ。」

「……まだ分からないけど。」

お姉さんは、少し考えてから、そう答える。
苦笑いした友達がはなを見る。
少しだけ、バツが悪そうな顔。

はなが聞く。

「同期したんですか?」

友達のお姉さんは肩をすくめた。
「まだ。明日。メモリーバンカーのところに行く予定。まずは承認をもらわないとね。」

はなはうなずいた。
人格チェーンの同期はすぐには起きない。変化はゆっくりと進む。
そして一番時間がかかるのは、メモリーバンカーの承認だ。

承認されたチェーンは既存のメモリーチェーンにハッシュとともに接続され、思考の癖や判断の傾向、勉強の習慣が、少しずつ重なっていく。

友達のお姉さんはグラスの水を一口飲んだ。

「でもさ。ちょっと変な感じ。」

はなは問い返す。

「変?」

「まだ始まってないのに、もう誰かの人生を借りたみたい。」
お姉さんは、少し笑って、ぽつりと言った。

はなも、友達も、何も言えなかった。
気まずさだけが、リビングに静かに広がる。

(思うところもあるよね……チェーンの購入ってさ……)

はなは、何気なくテーブルに手を置いた・・・

と・・

(あれ?)

ほんの一瞬。

指が遅れた気がした。

はなは手を見る。

まただ。

ほんのわずか、ほんの一瞬。

まるで誰かが同じ動きをあとからなぞったような感覚。

はなは指をもう一度動かす。

今度は普通。

友達のお姉さんがはなを見る。

「どうしたの?」

はなは首を振る。

「ううん。なんでもない。」

「そう?なんか変な顔してたから、気になっちゃった。」

はにかむように笑う。

「受験が危ないからって、他人のチェーンで受験するのは、ずるいよね。」

苦笑い。

はなはすぐに首を振る。

「そんなことはありません。みんな買ってるし、当たり前のことでしょう。もし私も希望大学の偏差値が足りなかったら、お父さんに受験チェーンをおねだりしますよ。」

友達のお姉さんが笑う。友達も笑う。お母さんも。

窓の外では、街の灯りが一つずつ点き始めだした。

この世界では、経験は買える。

勉強も。技術も。人生さえ。

だけど。

はなは、自分の手を見つめる。

もし。

もう一つの人生が、自分の中に最初から存在していたら。

それは、誰の人生なんだろう。

そのとき、遠く離れた場所で、一つの監視ログが更新される。

HELIX MONITORING CONSOLE
(Helix監視コンソール)

SUBJECT : IGARASHI HANA
(対象:五十嵐はな)

ZONE : COGNITIVE BELT EAST
(区域:コグニティブ・ベルト東)

Motor Sync Drift Detected
(運動同期ドリフト検知)

Reaction Delay : +41ms
(反応遅延:+41ms)

Secondary Pattern : ACTIVE
(二次パターン:活性)

数秒後。

画面にもう一行が追加される。

Shadow Pattern Overlap
(影パターン重複)

Confidence : 0.97
(信頼度:0.97)

画面の前に座る人物が、静かに微笑む。

何かが、少しずつ表に出ようとしている。

そんな気配があった。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集