「人は、長所ばかりを好きにならない。」
日曜日に倉庫の整理をしていたら
古い新聞紙に包まれた怪しげな段ボールが出てきた。
「なんだこれ?」
と思って新聞紙を解いて中身を見てみると......
なんのことはない、昔のCD版が数枚入っていただけでした。。
今日の話しは、そのCDのことではなく
その段ボールを包んでいた「古新聞」に書かれていた文章の話し。
競馬の「桜花賞」の誌面広告だったのですが、
何となくそれを読んでいろいろな気付きを得ることができたのです。
それは とても深く、そしてとても考えさせられる内容でした。

「人は、長所ばかりを好きにならない。」(桜花賞 広告)
93年の桜花賞は、柳田に誘われて見にいった。
柳田は、友人の僕が言うのもなんだけど、
惜しすぎる男だった。
顔やスタイルは完璧に近く、着る物や食べる物の趣味も良い。
そのうえ傲慢さなど微塵もない。
ただ、ひとつだけ欠点があった。
致命的に「計算が苦手」たったのだ。
そのせいで彼は、三度失恋し、二度失業していた。
なにしろ日常的なお釣りの勘定にさえ
支障をきたすほどだったから。
競馬場で紹介された柳田の新しい恋人は、
ベガに勝ってほしいな、と言った。
ベガの左前脚は内向きに曲がっている。
「そこが可愛くって」とはしゃぐ彼女だった。
スタート直後、ベガは二番手の位置についた。
だが第4コーナーで先頭を奪い、ラストスパートを仕掛ける。
残り五十メートル。背後に迫るユキノビジンを
ぎりぎりかわしての、一着だった。
彼女と抱き合って喜ぶ柳田に、
僕はうっかり「いくらの勝ち?」と訊ねてしまった。
彼は両手の指を折り、数を数え出す。
柳田、それじゃ掛け算はできないよ、
そう言おうとしたそのときだ。
彼女が柳田の左手をとると、
その掌に、ボールペンで筆算を始めたのだった。
「いっつもの裏技」悪戯っぽく微笑む彼女と、
くすぐったがって声をあげる柳田。
ふたつの笑顔に、西日が跳ね返った。
ベガは、脚が曲がっていた「のに」愛されたわけじゃない。
曲がっていた「から」愛されたのだ。
柳田のもつ数々の美点を羨んだことは、それまでに何度もあった。
でもその夕方、かつてない羨ましさを、
柳田の欠点に対して感じている僕がいた。
「人は、長所ばかりを好きにならない。」
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ビジネスの世界でも、
恋愛関係にだって、
好かれるために自分の長所ばかり見せようとするのが人間。
でもその反面、
好きになってくれる異性や仲間は、
その人を長所も短所も含めてトータルで見てくれるのかもしれない。
コンプレックスなんかもそうなんだろうけど、
他人が言う「そんなとこ誰もみてないよ」と言う言葉には
心の中が安心する要素は何もないけど、
「そんなとこ誰もみてへんわ」と
自分自身が思うことこそが大事なんだと思う。
「言われてしまった」と思うのではなく、
「気付かせてもらった、ありがとう」という
「受け入れの気持ち」が大事なんだと思う。
つまり、欠点というのは
それを「見せまい」と意識すればするほど出てきてしまうもので、
それは結局、自分の心の中にある「防御の心」。
それも自分の精神を守るために必要な能力なんだと思えばいい。
その防御の心も持ちながら、「受け入れの心」を合わせ持つことが大事なんじゃないかなって思う。結局それが自分を助けてくれる能力になるんだと思う。
ちなみに20代の頃の僕は「いろんな人に好かれたい」という気持ちをいつも持っていました。
今の僕は「気の合う人が大好きで、その人たちと楽しく過ごしたい」と思っています。
なぜ変わったのかというと、
「好かれることは目的ではない」と気付いたからです。
「楽しくコミュニケートすることが目的」だと気付いたからです。
「好かれたい」という気持ちの根源になっているのは、僕の周りにたくさんの人が集まってくることではなくて、「気の合う仲間、信頼できる仲間、楽しい時間を過ごせる仲間と過ごしたい」という気持ちだと気付いたのです。
だから「好かれるための好かれるべく行動」は辞めました。
自分を知ってもらうために、自己開示を積極的にするようになったし、
何よりも コンプレックスを隠さなくなった。
ありのままの自分を気に入ってくれる人に興味関心をシフトさせたのです。
ある意味、それが僕の人生の転換期だったように思えます。
何年か前に、ある経営者仲間が、
「自然体でいること」の重要性を力説してくれたことがありました。
「自分の身の丈にあった生活をしながら、もっとでっかい夢を毎日描いて叫ぶんだよ」
そのころはそれを聞いて「ガハハハハっ!」って笑い合ったけど、
今となってはその意味の深さがわかります。
「自分を知ってもらう」って、実は結構怖いことだけど、
でもそれが大きな第一歩になるんだと、
僕は自分の経験からも、そう思うわけです。
今でも僕は自分に言い聞かせるのです。
「勇気を出して自己開示しようぜ!」ってね。
ではまた。
