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なぜ英国は「マルチモビディティ(多疾患併存)」を言い換えたのか―患者に届く言葉から始めるシェアードディシジョンメイキング

糖尿病、高血圧、心不全、腎臓病といった慢性の病気を複数同時に抱えている人は、日本でも珍しくありません。では、そうした状態を医学ではなんと呼ぶか、ご存じでしょうか。

「マルチモビディティ(multimorbidity:多疾患併存)」という英語の医学用語があります。医療者の間で使われるようになってきた言葉ですが、患者本人が聞いたとき、何を意味するか伝わるでしょうか。英国では2018年ごろ、この問いが真剣に議論されるようになりました。

英国のチャリティ団体と医師会が主導して、複数の病気を抱えて生きる10人の当事者の自宅を3〜4時間かけて訪問し、エスノグラフィック研究(ethnographic research:当事者の日常生活の場に入り込んで体験を深く理解する質的研究)を行いました。「マルチモビディティ」という言葉に触れたとき、ほとんどの参加者から強いネガティブな反応が返ってきました。当事者はこの言葉を「死(death)」や「もう後戻りできない終わり(finality)」というイメージと結びつけました1)。

こうした当事者の声を踏まえ、2019年に英国の医学雑誌「British Journal of General Practice」に、「マルチモビディティ」という用語のリブランディング(rebrand:用語の見直し)を問う論文が掲載されました2)。精神的・身体的な多疾患併存をテーマにした専門家や当事者が集まる学術集会でも、「morbidityは深刻に聞こえる、死を連想させる(morbidity sounds serious, like fatality)」「そもそもなぜラベルが必要なのか(why do we need a label?)」という声が上がっていました2)。

では、どんな言葉なら伝わるのか。当事者自身が提案したのが「conditions」という語でした。「multiple health conditions(複数の健康上の状態)」や「living with a number of conditions(複数の状態とともに生きる)」という言い方が、当事者の口から出てきました2)。専門家ではなく当事者自身が選んだ言葉でした。

この動きを受けて、英国の国立医療研究機構(NIHR:National Institute for Health and Care Research)は「multiple long-term conditions(MLTC)」という呼び方を公式に採用しました3)。NIHRは、患者・介護者・市民により理解され、好まれる言葉だと説明しています3)。

NIHRは、研究や専門的な議論では「multimorbidity」が引き続き使われるとしつつも、患者・介護者・市民に届く言葉としては「multiple long-term conditions」という表現を重視しています3)。

この用語転換が示していることは、医療者が当たり前のように使う言葉が、患者にとって「死」を連想させるものになりうる、という事実です。そしてそれは、患者と医療者が一緒に治療を選ぶシェアードディシジョンメイキング(SDM:協働意思決定)にある問いと重なります。SDMは、医療者が使う言葉が患者に届くところから始まります。

日本では「マルチモビディティ」「多疾患併存」という言葉が医療者の間で使われるようになっています。ただし、英国で問題になった「morbidity」の語感が、そのまま日本語の「疾患」に当てはまるわけではありません。むしろ日本で問うべきなのは、これらの言葉が患者本人にとって、自分の状況として理解できるかどうかです。英国が示した道筋は、専門家が用語を決めるのではなく、当事者との協議の中で言葉を選ぶというものでした。日本語でどう呼ぶかも、同じ問いから始めるべきかもしれません。

患者に届かない言葉のままでは、選択肢も、長所も、短所も、価値観も共有できません。SDMは、専門家の言葉からではなく、患者と共有できる言葉から始まります。

文献
 1) Taskforce on Multiple Conditions. "Just one thing after another": Living with multiple conditions. The Richmond Group of Charities. 2018. https://www.richmondgroupofcharities.org.uk/wp-content/uploads/2018/10/final_just_one_thing_after_another_report_-_singles.pdf
2) Chew-Graham C, O'Toole L, Taylor J, Salisbury C. 'Multimorbidity': an acceptable term for patients or time for a rebrand? Br J Gen Pract. 2019;69(685):372-373.
3) National Institute for Health and Care Research(NIHR). Multiple long-term conditions. https://www.nihr.ac.uk/about-us/what-we-do/multiple-long-term-conditionse-long-term-conditions

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