「自分で選んで決められた」をどう支えるか―多疾患併存の高齢者の意思決定支援、英国VOLITIONの仕組み
年齢を重ねると、糖尿病・高血圧・心不全・腎臓病など、慢性の病気を複数抱えることが珍しくなくなります。こうした患者の診療では、病気ごとに治療の選択肢を並べるだけでは、その人の暮らしや大切にしていることが意思決定に十分反映されにくいことがあります。英国の研究グループが、この課題に取り組むための新しい仕組み「VOLITION」を開発し、どう設計したかを報告しました。患者と医療者が一緒に治療を選ぶシェアードディシジョンメイキング(SDM:協働意思決定)を、多疾患併存(multiple long-term conditions:MLTC)の高齢者の診療でどう実現するか、という問いに応える試みです。
論文はこの状態を「multiple long-term conditions(MLTC)」と表記しています。英語でこれまで使われてきた「マルチモビディティ(multimorbidity)」から、当事者の声を受けて英国NIHRが採用した呼び方です。用語の背景については別の機会に改めて取り上げます。ここでは多疾患併存と呼びます。
まず前提として、ディシジョンエイド(DA:治療やケアの選択肢と、それぞれの長所・短所を整理して、患者が自分の価値観に照らして選べるように支援する冊子やウェブサイトなどのツール)は、特定の病気の治療選択で使われる代表的な道具です。VOLITIONはDAを置き換えるものではなく、DAと併用できる関係にあります。疾患ごとの道具では届きにくい部分、つまり複数の病気が絡み合う患者の生活全体や優先順位を診療に取り込めるよう設計された、と位置づけられています。
VOLITIONは、多疾患併存の高齢者がかかりつけ医(GP:general practitioner、英国の総合診療医)との診療で意思決定に参加できるようにする、という英語の説明文の頭文字をつないだ名前です(原文 to facilitate the inVolvement of OLder people living with multIple long-Term condITions in decisION-making)。volitionは英語で「自分で決めること」を意味する単語でもあります。
VOLITIONは2つの要素でできています。ひとつは患者向けの案内リーフレットで、診察の前に「意思決定にどこまで自分が関わりたいか」「日々の暮らしで大切にしていること」を言葉にできるよう促します。もうひとつは、かかりつけ医向けの半日研修です。患者の関わり方の好みを受け止めて、一人ひとりに合わせた対話を進める技術を学びます。
研修の核になるのは、医師が診察の場で思い出しやすいよう作られた4つの動作です。①患者を対話に招き入れる(Invitation)、②患者が何を大切にして暮らしたいかを話し合いの土台にする(Fundamental)、③治療について「まだはっきりわかっていないこと」を患者に伝える(Uncertainty)、④協働して決める(Shared)の4つです。英語では「Invitation is Fundamental, Uncertainty should be Shared(招くことが基本、不確実性は共有すべし)」という短い文にまとまっていて、診察中に思い出せる手がかりとして使われます。複数の病気を抱える患者では、ひとつの病気を治す場合のように「これが正解」という治療がはっきりしていないことが少なくありません。だからこそ、医師が「わからないこと」(治療がうまくいくかどうか、どの選択肢が最善か、まだ確信を持てない部分)を正直に患者と共有することが、意思決定を一緒に進めるための出発点になる、という立場がここに表れています。
同じく多疾患併存の高齢者を対象にした他の取り組みとの違いも紹介されています。米国で実施されている患者の優先順位を中心に据えたケア(Patient Priorities Care:PPC)は、訓練を受けたスタッフが診察前に患者と話し合うコーチングと、長めの診察を前提としています。しかし、現在の英国総合診療ではそのどちらも実行可能ではない、とされています。オランダで開発されたMLTCを抱える患者向けの協働意思決定介入(SDMMCC:Shared Decision Making for people with Multiple Chronic Conditions)は、生活の質に関する目標を探る6ステップのモデルで、介護者が意思決定に加わる点が特徴です。ただしSDMMCCの研修に欠けているのは、次の3点です。一人ひとりの患者に合わせた医療を行うときに生じる臨床的不確実性(医師が患者にとって最善の治療をはっきり示せない状況)の扱い。個別の判断をすることで医師が後で訴えられるリスクへの対応。対面・電話・ビデオ通話など多様な診察モードへの配慮。VOLITIONが埋めようとしているのは、①短い診察時間のなかで実施できること、②不確実性を患者と共有すること、③多様な診察形式に対応すること、という3つの空白です。
この介入の設計には、介入を系統的に作るための枠組みが用いられました(英語ではIntervention Mappingと呼ばれます)。6つのステップで順番に組み立てる方法です。問題がどこにあるかを整理する、患者と医療者にどんな行動の変化が必要かを描き出す、介入の中身を設計する、現場への導入計画と評価計画を作る、といった作業を順に進めます。求められる行動を、「その行動ができる力があるか(Capability)」「行動する機会があるか(Opportunity)」「行動する動機づけがあるか(Motivation)」の3要素に分けて整理します(COM-Bモデルと呼ばれます)。VOLITIONの特徴は、どの部品がどの理論や根拠に基づいて作られているかを、図表で一つずつたどれるようにしている点にあります。
VOLITIONの開発は2018年から段階的に進められてきました。当初は対面診察を前提に設計されていましたが、2020年からのCOVID-19パンデミックで診察の形が多様化し、対面を前提にしたVOLITIONを見直す必要が生じました。設計の判断や根拠をロジックモデル(介入の各要素と狙いと効果を矢印でつないだ設計図)として残してあったため、この見直しに必要な情報がそろっていた、と論文は述べています。当初予定していた試行試験は一時中断になりましたが、現場の変化に合わせて介入をどう組み直すかが体系的に記述されています。
著者らは最後に、意思決定支援の取り組みを「複雑介入(complex intervention)」として作って評価する必要がある、と主張しています。これは、患者向けリーフレット、医療者の研修、診療の流れへの組み込みなど、複数の要素が組み合わさって効果を生む介入を指します。日本語では「複雑介入」「複合的介入」など複数の訳がありますが、ここでは複雑介入と表記します。患者や医療者にアンケートで「満足度が上がった」「使いやすかった」と聞いて結果を示すだけでは、病院の仕組みや国の医療政策を動かすには足りません。介入がどんな考え方で作られ、どんな現場で試されたかを透明に書き残しておけば、「どんな手順を踏んだら、どんな結果が出たか」が後から追えるようになる、というのが著者らの考えです。
VOLITIONが示しているのは、「お・ち・た・か」(オプション=選択肢、長所、短所、価値観)の「か」を診療の中心に置くための、仕組みの側からの設計と読めます。つまり、個人の心がけに頼るのではなく、診療の流れや手順そのものを変える設計です。複数の病気を抱える患者の診療では、「今日はそもそも何を話し合うか」「生活のなかで何を一番大切にしたいか」という対話が欠けがちです。VOLITIONは、疾患ごとのDAを使うよりも手前の、こうした対話の部分を支える仕組みとして読めます。DAを置き換えるのではなく、DAが力を発揮する前後の対話や診療全体の流れを支える、という役割分担です。患者の「か」を引き出すのは、患者ひとりの努力ではありません。事前の案内と医師の研修、そして両方を支える診療の型があって初めて可能になります。研修の最初の動作である「患者を対話に招き入れる」は、医師が患者を対話に引き込む最初の一歩を言葉にしています。明確な働きかけがあって初めて患者は参加できる、という考え方が、ここに表れています。
『意思決定支援とディシジョンエイド―「お・ち・た・か」で実践するシェアードディシジョンメイキング』(日本医事新報社、2026年)の第10章では、意思決定支援を医療現場に根付かせるための8つの理論を整理しました。VOLITIONはこれらの理論のうち、とくに3つを一つの介入のなかで実際にかたちにした例として読めます。①患者への明確な働きかけ、②個人の努力ではなく仕組みで支えること、③実施状況を測って改善につなげること、の3つです。診察前のリーフレット配布を忘れずに行える仕組みをつくる、研修時と実際の診察で同じきっかけを置いて思い出しやすくする、といった工夫は、日本の医療現場でも応用を検討する価値があります。
DAと複雑介入は対立するものではなく、どの場面の意思決定を支えるかで役割が分かれます。病気ごとの治療の意思決定では、DAが国際基準(IPDAS:患者意思決定支援ツール国際基準)に沿って評価されます。診療の流れや医療者の技術までを含めた複雑介入も、どんな根拠と考え方に基づいて作られたか、どんな状況で開発されたかを明確に記述することで評価できるようになります。目指すのはどちらも同じで、患者が「自分で選んで決められた」と感じられる診療です。DAは特定の治療選択の場面を支える道具で、VOLITIONのような複雑介入はその前後の対話と診療全体の流れを支える道具、というように役割分担で考えるとわかりやすいかもしれません。
Butterworth JE, Campbell JL, Pitchforth E, Richards SH. Shared decision-making in general practice: Development of a complex health care intervention targeting multiple long-term conditions. Patient Education and Counseling. 2026;149:109640.
