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弘前・大館ぶらり旅:弘南線・岩木山・忠犬ハチ公(2024年12月30日)

#弘前 滞在の最終日は,前日とうって変わって,晴天に恵まれました。津軽地方・冬景色は降雪しかないんだと思っていましたが, #寒晴 (かんばれ)・ #冬麗 (ふゆうらら)も,「弘前らしい天候」(違う意味で外崎選手談)ではないでしょうか。

2025年版外崎修汰後援会カレンダー
(2024年12月30日,著者撮影)


 10時前にホテルをチェックアウトし,ロビーで暫くnote作りを行っていると,続々と,「 #外崎修汰選手を応援する会 」に参加していたらしき方々が,エレベーターから降りてきました。昨夜隣席だった方にもご挨拶を賜ると,FFさんと現地で交流できる嬉しさを噛みしめた次第です。

地元ヒーローの凱旋を伝える『陸奥新報』,2024年12月30日,2頁。


 一行のなかには,タクシーで #外崎りんご園 を訪れた方々もいらっしゃったようですが,私は #弘前駅 へ向かいます。

弘前駅で見かけた「アップルポスト」🍎📮
(2024年12月30日,著者撮影)

1.弘南鉄道弘南線

(1)弘南線の沿革

 午前中は,弘前駅から, #弘南鉄道 #弘南線 に乗車。終点の #黒石駅 をめざします。
 弘南線は,前日に乗車した #大鰐線 と異なり,開業当初から弘南鉄道の路線でした。1927(昭和2)年に弘前- #津軽尾上 間が開業し,続いて戦後の1950年に #弘南黒石 (現・黒石)まで全通しました。1984年には, #第1次特定地方交通路線 に指定されていた #国鉄 #黒石線#川部 -黒石間)を継承し,赤字ローカル線の存続に寄与しました。しかし,1998(平成10)年に黒石線が廃止され,現在は弘南線のみが営業しています(弘南鉄道サイト,会社沿革)。
 大鰐線は山麓沿いの沿線であるため, #りんご畑 が広がるのに対し,弘南線は #津軽平野 を囲うように敷設されているため, #水田 が発達しています。同じ弘南鉄道でも,路線によって沿線の産業と風景が,対照的に描かれていました。
 弘南線でも,大鰐線と同様に,元 #東急7000系 が使用されています。ただし,同じ形式でも,大鰐線には #日立製作所 の,弘南線には #東洋電機 の製造車両が,それぞれ配置されています。 #日比谷線 直通で使われていたのは,弘南線の東洋電機製造の車両です。前面に帯の無いほうが,往時の「 #ヒビチョク 」(日吉で乗降車する某大学生の隠語)を偲ばせていますね。

弘南鉄道弘南線黒石駅にて
(2024年12月30日,著者撮影)

(2)岩木山と大河ドラマ「いのち」

 途中の #尾上高校前駅 付近では,#津軽富士 の愛称を持つ #岩木山 が一望できました。岩木山というのは,ずっと,1986年の #大河ドラマ #いのち」で視聴していたイメージだったんですよね。
 「いのち」は,戦後の弘前と東京を舞台にした #橋田壽賀子 脚本の医療ドラマで,そのなかには #農地改革 による #地主 の没落や, #高度経済成長期 における #津軽 からの #集団就職 が描かれていました。主人公である旧地主の娘( #三田佳子 )が元小作人の倅( #伊武雅刀 )と結婚すると,そんな「平等」は戦後になっても存在していたのかと,視聴者の間で議論にもなったほどです。
 ですので,ドラマを1年間視聴していると,そこに映る岩木山は,厳しい環境で生活する津軽人にとっての希望であり,「いのち」の源泉である様子が伺えました。

初めて肉眼で見た岩木山
(2024年1月30日,著者撮影)

 黒石から弘前に戻ると,ちょうどお昼時。この日のランチには, #ヒロロ#フードコート にある「 #中みそ 」の #辛みそラーメン をいただきました。 #埼玉西武ライオンズ ファンにとっては,言わずと知れた #ベルーナドーム#獅子まんま#外崎修汰選手 #プロデュースグルメ 」の1つ。地元ではあまりに人気で,並ぶのに10分,注文してから30分かかりましたが,その時間をかけただけの美味しさを十分に感じました。

「中みそ」の辛みそラーメン
(2024年12月30日,著者撮影)

2.大館と忠犬ハチ公

(1)弘前から大館へ

 弘前から東京へ戻るルートは,いくつか考えられます。常道は, #新青森駅 へ出て #東北新幹線 で帰京するルート。これだと,往路の引き返しで面白くないという天邪鬼。旅程にはできるだけ「周遊」感覚を取り入れたいのと, #ANA#プラチナクラス まであと数百ポイントだった点を踏まえて, #大館能代空港 経由を選択しました。

奥羽本線の普通電車は無事動いていました。
(2024年12月30日,著者撮影)

 その際,一番のリスクは,弘前- #大館 間の #奥羽本線 が通常どおり運転することでした。でも,当日は,「 #スーパーつがる 」が大館-青森間打ち切りになった点を除いて,そのリスクをなんとか回避できました。

大館駅に到着した弘前発秋田行の普通電車
(2024年12月30日,著者撮影)

(2)渋谷と大館の「忠犬ハチ公」像

 大館では当初,単に空港行の #リムジンバス の接続のために下車したのですが,駅待合室の展示物を見てみると,東京人にとって非常に見慣れた犬の名前があちこちに貼られていました。犬の名は… #ハチ です。

2023年は,ハチ公西端100周年でした。
(2024年12月30日,大館駅内にて著者撮影)

 ハチは,1923(大正12)年11月,秋田県大館市内のお家で生まれました。 #関東大震災 の2か月後にあたります。ただし,この時はまだ,ハチと名付けれていません。
 ちょうどその頃, #東京帝国大学 農学部教授だった #上野英三郎 博士が,純系の日本犬を探していました。そこで翌24年,生後50日前後の幼犬が上野博士のもとへ送られ,ハチと名付けられました。
 ハチは,博士と一緒に食事をするほど可愛がられ,やがて博士の送り迎えをするようになりました。しかし,博士は翌25年,大学の講義中に #脳溢血 に倒れ,急逝してしまいます。ハチは,博士ともっと長く一緒に暮らしていたのかと思っていましたが,わずか1年だったのですね。
 博士の没後,ハチは #浅草 に引っ越しましたが,それから1年間, #浅草 から8km離れた渋谷方面に走って行く状況が続きました。そこで,渋谷に近い #代々木 のお家に預けられたのですが,それでも #渋谷駅 の改札口前にじっと座り続けていました。
 上野博士の死去から7年後,こうした渋谷駅のハチの様子を伝える新聞記事「いとしや老犬物語」が『 #東京朝日新聞 』(1932年7月10日,朝刊,8頁)が掲載されると,ハチはたちまち有名犬になり,「ハチ公フィーバー」がやって来ます。2年後の1934(昭和9)年には,渋谷駅前に「 #忠犬ハチ公」が建立されました(『東京朝日新聞』,1934年4月22日,朝刊,2頁)。翌35年,ハチは12歳で死亡します。同年,大館駅前にも,「忠犬ハチ公像」が建立されました。
 渋谷と大館のハチ公銅像は,戦時の #金属回収令 によって,1944年に供出されますが,戦後の48年に2代目の「忠犬ハチ公像」が渋谷駅前に建立され,87年には大館駅前にもハチ公像が再建されます(大館駅掲示物「ハチ公の歴史」)。

渋谷の「忠犬ハチ公」像
(2025年1月3日,著者撮影)
大館の「忠犬ハチ公」像
(2024年12月30日,著者撮影)

 渋谷と大館の銅像は,ハチの耳に違いを残しています。渋谷のハチは垂れ耳で,大館のハチの耳はピンと立っています。きっと大館のハチには子犬のイメージが,渋谷のハチには壮犬・老犬のイメージが,それぞれに宿っているのでしょう。

(3)渋谷の「青ガエル」,大館へ

 大館には,もうひとつ渋谷と関係のあるものが保存されています。 #東急5000系 ,通称「 #青ガエル 」です。現役時代に #東横線#田園都市線#大井町線#目蒲線 で走ったのち,譲渡先の #上田交通 を廃車になると,渋谷駅 #ハチ公口 に観光案内所として展示されていました。
 これが,渋谷駅の再開発に伴って大館の「 #秋田犬の里 」に移設されています。ただし,雪深い季節には「 #冬眠 」しています。

「青ガエル冬眠中」とは上手いネーミングですね。
(2024年12月30日,著者撮影)

 今回の遠征では,弘前・大館を短期間で巡ってみましたが,不思議にも,東急やハチ公という渋谷の象徴に,遠く離れた奥羽地方でめぐりあうことができました。

いまや絶滅危惧種の反転フラップ式案内表示器
(2024年12月30日,著者撮影)


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