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息子の「負けちゃうからやだ」は、閉じ込められた私自身の声だった


子どもとはつくづく、自分自身の投影であると感じる。それがときに大きな幸せを運び、ときに思いがけず苦しく感じられることがあるということを、つい最近知った。


3歳の息子のサッカークラブの体験に行ったときの話だ。

夏休み明けあたりから急にサッカーブームが到来した息子は、毎朝起きては「サッカーやりたい!」とPK対決を要求するほどの熱の上げっぷり。

第二子妊娠中でお腹の大きな私は、機敏な動きができないため、床におしりをつけたまま開脚してなんちゃってゴールと化し、彼のシュートを全身で受け止めていた。


9月後半からは比較的涼しくなり、毎週末には親子3人で公園に行っては夫と息子がボールを追いかける様子をベンチで見守るのがルーティーンになっていたこの頃。

幼稚園から、サッカークラブの体験案内が届いた。

「サッカークラブ、やってみたい?」

「うん、やりたい!」

聞かなくても答えはわかりきっていたのだけれど、念のため息子の意志を確認し、Web申し込みを進める。

「私、サッカー少年の母になるのかな……」

「将来、ワールドカップに出たいとか、全寮制の強豪校に進学したいとか言い出したりするんだろうか……」

まだ体験会の段階だというのに、私の気持ちはもうずうっと先の将来を見つめていた。


体験当日。少し遅れて幼稚園に到着すると、すでに体験会は始まっていた。幼稚園の体操の先生 兼 クラブのコーチが先導し、柔軟体操をしている。

園庭横のベンチに腰掛けると、ちょうど息子の視線が私を捉え、分かりやすくニタリと笑う。かわいいな、と思いながらも、(集中しなさいっ)と口パクで諭すと、息子は再び先生のほうを向いた。


年少・年中レベルで、サッカーなんてできるんだろうか。そう考えていたけれど、スポーツ指導のプロの手腕が炸裂していた。

円の中でお友達とぶつからないようにボールをドリブルさせたり、先生が「鬼役」となってぶつからないようにうまく避けさせ、シュートを決めさせたり。

園児たちが楽しみながら、ボールや球技に親しんでいく工夫が随所に感じられる。なるほど、この積み重ねが上達につながっていくのか、と感心した。


さまざまな練習ステップを踏みながら、いきいきとボールを蹴ったり、お友だちに混ざってとことこ走り回ったりしている息子の姿は、親バカかもしれないけれどすごくかっこいいと思ったし、成長を感じた。

まだまだ方向コントロールはできないし、ミニ試合では誰よりも足が遅く、ボールに追いつけない。途中で飽きてしまう様子も見られたけれど、そんなの、練習を重ねればあっという間に克服できるだろう。

今まで公園で父とボールを蹴り合うだけだった彼が、さまざまな練習カリキュラムを通して少しずつサッカー少年に成長していくのを想像すると、胸がおどる。

このままクラブに入るんだろうな、そう思っていた。


体験会が終わり、帰りの市バスを待つ間。「サッカークラブ、どうだった?」と聞いてみると、「入らない」と意外すぎる返答が。

「どうして?」と問いかけると、息子はポツリ一言。

「負けちゃうからやだ」


正直、拍子抜けしてしまった。あんなに楽しそうだったのに、そんな理由で?

「練習を重ねて、みんな上手になっていくんだよ」

「負けても大丈夫なんだよ、勝ち負けだけが大事じゃないんだよ」

思いつく限りの励ましの言葉をかけながら、何度も息子の気持ちを確かめてみた。でも、いろいろと声をかけてみたものの、やっぱり息子の気持ちは変わらず。

「負けちゃうからやだ」「入らない」と繰り返すだけだった。


「負けちゃうからやだ」

息子の口からこの言葉を聞いた途端、体の奥がぽこぽこと、少しずつお湯が沸いていくような感じがした。

すぐには理由がわからなかったけれど、いやだという感情だけはたしかにわかった。息子から、こんな言葉を聞くなんて、思っていなくて。

たぶん、私とそっくりだと思ったからだ。私が愛せない、私の一部分と。


私は負けるのがすごくきらいだ。惨めに感じるし、一度思うような結果を得られなかっただけで、こんな自分に何の価値があるのかと失望する。

自分が敗北感を味わった舞台で光を浴びている人の姿を見ると、自分はその人と比べてすべてにおいて劣っているんだと感じる。

でも、その「劣っている」という感覚を素直に受け入れられているわけでもなくて、「こんなはずじゃない。絶対おかしい。私のほうが(私も同じくらい)優れてるはずなのに、あり得ない」という自己矛盾に陥り、いてもたってもいられなくなる。

惨めな思いをするのが、本当にしんどいし、つらい。消えてしまいたくなる。

けど、チヤホヤされていたい。消えてしまったら、誰が私を引き上げてくれるというのか。


世間一般でいう「負けずぎらい」というわけでもない。私は負けるのがいやだから、次は勝てるようにと真摯に努力できるほど人間ができてない。

そのままの自分を受け入れてほしい、評価してほしい。自分が一番で、誰かに声を聞いてもらわなければ気がすまない。

重ねてきた年齢のずっと内側のほうに、まさに幼稚園児と同じくらいに未成熟な幼心を養ったままなのだ。


競争のそばには、称賛のチャンスがある。でもそれ以上に、否定されるリスクがあまりに高すぎる。

1番になれなくてもいいけど、負けるのだけは絶対にいや。いつまでも勝ちがない人生は、負けたのと同義。そんなふうに感じてしまう。

ナンバーワンになれなくてもいいけど、オンリーワンではあり続けたい。でも、オンリーワンだと思ってもらうために、一番分かりやすい形は、ナンバーワンになることじゃないか。暴論だってわかってるけど。

だから、負けるのが心底いやなのに、渋々勝負の場に出ていく。で、結局評価されなくて、ほらやっぱり、といじける。こんな自分が大きらいだ。


「負けちゃうからやだ」

息子のこの言葉は、私の中に閉じ込められた、私自身の心の声だ。


クラブへの入会は、息子の意志を尊重する。そう事前に夫婦で決めていたので、結局入会は見送ることにした。

それでも食い下がって、息子に「本当に入らなくていいの?」と何度も確認した諦めの悪い自分に、心底嫌悪した。

目の前の息子は、私と同じ。

情けないなと思った。自分ができないことを押し付けて息子に希望を託そうとしたのかな。


でも息子の言葉を聞いて気づいたこともある。なんだかんだ言いながら、私は挑み続けているということだ。

負けた結果、落ち込むどころか、一丁前にいじけるし、卑屈にもなる。恨み節ばかりになるし、ダークな心持ちのまま床につき、朝起きてもなおダークマターの渦中にいることもあるけれど、それでも懲りずに挑み続ける。

すごくきらいな自分だけど、結構がんばってるんじゃないかと思った。


やっぱり負けるのはすごくいやだ。世界から勝ち負けの概念がなくなってしまえばどれだけよかっただろうと思う。

それでも、私がなりたい自分になるためには、きっとこの先も、何度も挑み続けなければならないのだろう。


息子は、純粋にサッカーが好きなんだと思う。きっとその「好き」という気持ちが、お友達との実力差だとか、試合の行末だとかに邪魔されて、引っ込んでしまうのがいやなのかもしれない。

夢中でボールを追いかけているときの息子は、本当に楽しそうな顔をしている。ケタケタ笑いながら、空振りしても擦り傷を作っても、変わらずにまた立ち上がって、ボールを追いかけ始める。

今の息子がなりたい自分は、純粋にボールと戯れている瞬間の彼なのだろう。それを息子が伝えてくれているならば、その気持ちをそのまま大事にしてあげたい。

それが親の務めであり、似たもの同士の人生の先輩として送るべきエールなんだ。最寄りの停留所でバスを降り、息子の手を引きながらの帰り道で、そんなことを思った。


そのままの自分で生きること何度も否定され、悲しい気持ちを何度も味わった人は、そのうち自分自身からすらも「そのまま」を否定されるようになる。

でもその胸中は整っているわけなんてなく、矛盾だらけだ。

「なんで私のままで受け入れてくれないの」「ぼくを否定しないで」

悲痛な声は、外に出てくることもなく心の中のケージに入れられ、ずっとリフレインするだけ。だんだんその声は大きくなっていき窮屈さを覚えて、いずれ耐えられなくなってしまう。

私も、あの日の息子も、もしかしたらこの世界を生き抜く人の多くも、そうなのかもしれない。


私は、息子の一番近い場所にいる人間として、同じ気持ちを抱える誰かのよき友としても、そして当事者としても、「そのままで生きる」ことを諦めたくない。

今までたくさん傷つけられてきた人には、「世の中勝ち負けじゃない」って言われても、きれいごとと思われるかもしれない。

だから、私はこう伝えていきたい。「勝っても負けても、あなたは愛おしいあなたのままだよ」と。

今目の前にある結果に、必要以上に意味を探して、自分を苦しめなくていい。そのままで、いてくれされすればそれでいいのだ。




体験が終わった週末、いつものように、私たちは公園に行った。

爽やかな秋風の中、変わらず息子はあちこちに向かってボールを蹴り、とことこ駆けていっては、満面の笑みで気持ちよさそうに天を仰いでいた。




筆者プロフィール

神田なり
1991年生まれ、埼玉県在住のライター・エッセイスト。
「そのままのあなたが好き」を伝えるのをミッションに、エッセイの商業出版を目指して、子育てや夫婦関係、小さく営むフリーランスの暮らしなどについて書いています。
カフェオレと、ムーミンと、本と旅行が好き。

受賞歴:
かがみよかがみエッセイコンテスト優秀賞、ねむりのエッセイコンテスト大賞など。こころとからだの共創メディア「喫茶夜ふかし」にて、エッセイ連載中。

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