赤ちゃんの心拍が止まっていました
白黒の画面に映る我が子の姿を見たその瞬間から、すべてを理解できた。
そして数分後に先生の口から告げられる言葉も、想像できてしまっていた。
12月、私たち家族に新しい生命を授かった。
息子にとっては、初めての弟、あるいは妹になる。
10月に入ってから、ゆるく妊活を始めていた。
なんとなくカレンダーは意識しながらも、長期的な意識(だいたい半年くらいを目処)で取り組んでいた。
しかし、小さな生命はその2ヶ月後、想定していたよりもすぐに舞い降りてきてくれた。
直前までコロナに感染し、高熱に侵されていた母親の元に、その生命は宿ってくれたのだ。
正直、めちゃくちゃびっくりした。
もちろん嬉しかった。
でもそれ以上に、あまりに他人事のようだが、まさか授かるとは思っていなかった、というのが率直な思いではあった。
望んでいたが、思ってもみなかった、というチグハグな胸中だったのが正直なところだった。
妊娠がわかってからは、悩みが増えた。
息子は1歳目前、日を追うごとに手が掛かるようになってきて、それに加えてつわりも容赦ない。
幸い息子のときに比較すると軽くはあったが、しかし四六時中の吐き気や眠気、嗅覚の変化、頭が割れるような頭痛に追い回され、やりたいことはたくさんあるのにすべてに対するやる気も削がれ、現実から逃れたい、そんなことばかり考えてしまったり。
出産予定日は8月。
息子は1歳半。
夫は育休を取らないと言っている。
ワンオペでこのやんちゃ盛りの息子と、いつ生命を落としかねない新生児を守っていけるのか?
体調不良が輪をかけて、不安な夜に息子を抱いて大声で泣いたこともあった。
まったく、やっていける気がしなかった。
仕事も頑張りたかったのが率直な思いだった。
フリーランスの立場では、会社に守られている状態ではない。
仕事を休むにしても、社会から切り離される期間の心もとなさは計り知れない。
離れている間に、仕事がなくなっているかもしれない。
それくらい、私のキャリアはあまりにも安心とは程遠いのだ。
だからこそ不安だった。
流産を告げられるその前日まで、複雑な思いを抱えていたのだ。
100%の幸福感の中で、お腹の生命を育んでいたとは、言えなかった。
ありえないと思う、最低だとも思う。
自ら望んでいた妊娠だったのに。
母親になりきれなかった。
「赤ちゃんのね、心拍が止まっちゃってるんだよね」
その言葉を耳にした瞬間、「やっぱりか」と思った。
エコー画面には、成長した我が子が映っていた。
でもその中心には、何も映っていなかった。
前回には確かに力強く動いていた鼓動がなくなっていて。
パタパタと一生懸命に、クリオネのようにはためいていた両手も、静かに折り畳まれていて。
我が子の首の後ろは、3.8mmほどのむくみに覆われていた。
「大きくはなっているので、ここ2〜3日で成長が止まっちゃったんだろうね」
心当たりがあった。
木曜日あたりから、つわりがずいぶん軽くなったのだ。
「11週なのに、もうつわり終わったのかな!」
呑気な私はワクワクしながら、週末息子の1歳の誕生日のお祝いをし、家族を連れてお寿司屋さんに行った。
なまものは避けて、サイドメニュー中心だけど、ずっと食べたかったから。
道中に、夫にも話していたのを思い出す。
「私、今の赤ちゃんを出産したら、次はもう少しインターバル設けたいな、子供達がもう少し大きくなってから、授かりたい」
育てられないかも、どうやって2人育てて行けばいいんだ、そう嘆いていたくせに、無事に生まれることに対して揺るがない確信を持っていたのだ。
赤ちゃんを授かること、授かった生命が無事に育ち、無事に生まれ、無事に生きていってくれること。
その奇跡を、身をもって体験したはずなのに、やはり私は安直で、傲慢だ。
奇跡を当たり前と取り違う、いい気なもんだ。
流産告知は、己の愚かさの答え合わせをしているような気がした。
自分のせいで、赤ちゃんは帰ってしまった。
真っ直ぐに向き合うことができなかったから、万全の用意で迎えることができなかったら、帰ってしまったのだ。
母親に受け入れられなかった我が子は、どんな思いだったろう。
自分のせいだとしか思えなくて、涙を流す資格もないと思い、呆然と自責の念を抱いたまま、クリニックを後にした。
病院を出てすぐ、夫からの着信。
申し訳なかった。
二人の赤ちゃんを、家族の新しい生命を、私が殺してしまった。
顔向けできない、そう思っていたのに、夫の声を聞いたら、ぽろぽろ涙が溢れてきた。
夫は、仕事を早退してすぐに帰ってきた。
「誰のせいでもないよ」
そう繰り返す夫の言葉が、乾いた土に雨が降り注ぐように沁みてきた。
少しずつ、悲しいと思えるようになって、悲しいと感じる自分を許せるようになって、わんわん泣いた。
夫の前では、すべてを話せた。
醜い自分の本音も、今感じている感情そのままも、すべてぶつけられた。
夫の瞳は少しだけ潤んでいるように見えたが、まっすぐに私の姿をとらえて凛として、静かに聞いてくれた。
私は、この子をちゃんと愛していた。
会いたくてたまらない我が子だった。
会えなくて、悲しいし、寂しいし、辛いと、やっと口に出せた。
静かに見守ってくれる夫の前で、ただ泣いた。
私たち夫婦は、息子の前に一人子どもを空に還している。
亡くした、のではなく、二人の決断で空に還した。
その子の首の後ろにも、分厚いむくみがあり、専門家を受診し絨毛検査を受け、話し合いを重ねて、15週でお腹の外へ迎えた。
まだ15cmほどの、とても小さな身体だった。
我が子をお腹の外に出した後も、今でも、その体験は私にとって過去にはならない。
まだ人に話すと、涙が滲む。
「お子さんはお一人ですか?」といった問いにも、心が痛む。
どうしても納骨することができなくて、自宅のリビングにはちょこんと小さな骨壷が佇んでいる。
辛い経験だった、何よりも。
子どもを失うのは、私の人生の中でどんな苦痛にも変えられないものだ。
薄れていくことも、慣れていくことも決してない。
私たちには今、守るものがある。
息子は今日も一緒に生きている。
それが救いなのかもしれない。
そして、この子の母親として、ちゃんと愛を注ぐことができていると最後に理解できたことも。
当たり前なんてものはないのだ。
たいがいはそのことに失ってから気づくことが多い。
私も同じだ。
でも、何かを失ってから今持っているもののありがたさに気づくこともある。
我が子はもう生きてはいない。
変わらずお腹の中にいるが、静かに静かに丸まっている。
きっと数週間後にはお腹の外に出してあげられるだろう。
悲しいけれど、一緒にこの経験を共有できる大切な家族がいること、そして改めてこの小さな我が子を授かることができた奇跡に、心から感謝しよう。
きっと、大丈夫。
自分の気持ちをぶつけた稚拙な乱文となってしまったことをお詫びしたい。
そして以下も同様に、みるに美しい文章とはいえないかもしれないが、最後にこれだけ。
流産率は決して低くない。
5人に1人は経験するとも言われている。
でもだからといって、たくさんの人が経験するからといって、辛くないわけないのだ。
めちゃくちゃ辛い、悲しい、中には死にたいとさえ思う人もいるかもしれない。
この文章を書いて、「私も経験者だよ!元気出して!」なんてアホなことは絶対言いたくないし、そう伝えたつもりはない。
同じ経験者だからといってすべてを理解できるわけでもない。
感じ方は人それぞれだし、辛さも人それぞれで、比べることはできない。
自分自身が感じていることを、押さえ込むことなく肯定するべきだと、私は思う。
もし悲しい経験をしている人がいたら。
無理に乗り越える必要はない。
思いっきり悲しんで、思いっきり泣いて、前を向きたくなかったら向かなくてもいい。
自分の気持ちにとことん寄り添って、向き合いたくなくなったら少し休憩してもいい。
とにかく、自分の好きなように穏やかに、緩やかに気持ちに付き合ってほしい。
誰かの助けがいるようだったら、私でよければ力になるし、そばに誰かいるのであれば思いっきり頼ってほしい。
うんうんって聞いてもらうだけでも、ほんの少しだけ、気持ちが軽くなったりするものだ。
話したくなかったら無理に話すこともないし。
とにかく、あなたがしたいようにすることが一番なのだから。
一緒に生きていこう。
がんばらなくていいから、生きていこう。
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