あんなふうに生きたいし、死にたい。
祖父母は、私が小学生、高校生の頃に亡くなった。
青森にある私の実家の隣の家に住んでいて、祖父が施設に入ってからは祖母の様子をすぐに見に行けるようにと、我が家と祖父母の家を廊下で繋いだ。
私は祖父をじい、祖母をおばあちゃんと呼んだ。
じいは特に私をかわいがってくれたらしい。
気弱な性格を隠すように、たくさんお酒を飲んでいた。
焼酎「大五郎」の名前は、じいの影響で知った。
たくさんお酒を飲んでも、お酒の匂いをプンプンさせながらいつも笑顔で私を抱き寄せるじいだった。
じいは、私が小学生のうちに脳梗塞になり、施設に入った。
酒臭さはなくなり、代わりに物忘れと言語退行がやってきたけど、優しい笑顔は最期までなくならなかった。
じいとは対照的に、おばあちゃんは厳しい人だった。
幼稚園の頃、身体が小さかった私は誰よりもご飯を食べるのが遅くて、夕方の天才てれびくんを見ながらずっと口をモグモグさせていた。
姉弟、母も食卓から離れても、おばあちゃんはずっと小言を言いながら私のそばにいた。
「ーーちゃん、これでなんかお菓子買ってきなさい」
じいと同じように脳梗塞にあたったおばあちゃんは半身不随でうまく歩けない。
杖を突きながら寝室のベッドまでなんとかたどり着き、かけてある黒いカバンから小銭を取り出して、私の手にぎゅっと握らせる。
毎週のように行われる、母には決して見られてはいけない密取引。
おばあちゃんは、ちびまる子ちゃんのお母さんみたいに、小さく切った湿布をこめかみのところに貼りつけていた。
あれ、なんでだったのか、未だにわからない。
ふたりはずっとバラバラの病院に入院してたのに、じいが死ぬほんの少し前、たまたま同じ病院に入ったことがあった。
病院側のはからいで、一瞬だけ病室がおなじになったことがあって。
お互い言葉も交わせないくらいになっていたけど、そこにピンクと黄色が入り混じったような愛が見えた。
本当に不思議なことに、目に見えたのだ。
じいが亡くなってから半年後くらいに、おばあちゃんもこの世を去った。
誰もじいが亡くなったなんて話してないのに、本当に後を追うように亡くなった。
話せなくても、会えなくても、じいがいるから頑張っていたのかもしれない。
普段はあまり考えないじいとおばあちゃんのことを、なんとなく思い返してみた。
私たち夫婦は、今年に入ってめちゃくちゃすれ違いが増えた。
相手を責めて、現状を憂いて、己の不足さに気づいて、でも素直になれなくて。
じいとおばあちゃんにも、こんな時期はあったのだろうか。
私もじいとおばあちゃんみたいに、ピンクと黄色の愛を描いて、生きたい。死にたい。
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