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「なんでもいいよ」をやめたら、忘れていた私が戻ってきた。

「ママ、今日何食べたい?」

そう聞かれても、

私はいつも同じ答えでした。

「なんでもいいよ」

外食に行っても、

「何が食べたい?」

と聞かれれば、

「なんでもいいよ」

買い物に行っても、

「何か欲しいものある?」

と聞かれれば、

「なんでもいいよ」

本当に欲しいものがなかったわけではありません。

でも、

自分の希望を言うより、

相手が喜ぶ方を選ぶことが

当たり前になっていました。

家族が食べたいもの。

家族が喜ぶもの。

家族が楽しいと思うこと。

それを優先するのが、

私の役目だと思っていました。

それが優しさで、

それが愛情だと思っていたのです。

でも今振り返ると、

私は何が好きなのか、

何が食べたいのか、

何が欲しいのか、

本当はよく分かっていなかったのだと思います。

いや、

分からなくなっていたのかもしれません。

ずっと人を優先して生きてきたから。

主人が好きな唐揚げ。

ハンバーグ。

スパゲティ。

丼もの。

とんかつ。

女性が3人いる家なのに、

気づけばいつも主人中心の献立でした。

私はそれを当たり前だと思っていました。

家族のために。

主人のために。

それが愛情だと思っていたのです。

でもある時から、

心も体も少しずつ悲鳴を上げ始めました。

朝起きても、

体が動かない。

何もしていないのに、

涙が出る。

そんな日もありました。

体調を崩し、

寝たきりのような時期も経験しました。

今思えば、

私はずっと無理をしていたのだと思います。

人の顔色を見て、

人の期待に応えて、

嫌だと思っても我慢して、

自分の気持ちを後回しにしていました。

そしてようやく、

私は気づき始めました。

自分を後回しにして生きてきたことに。

そんな私に気づくきっかけをくれたのは、

意外にも次女でした。

私が「なんでもいいよ」と言うたびに、

次女は言いました。

「それダメ!」

「ちゃんと言って!」

最初は困りました。

だって本当に分からなかったから。

ある日も、

次女に聞かれました。

「じゃあ、お寿司とラーメンなら?」

私はしばらく考えて、

「うーん……」

と答えました。

すると次女が、

こう言ったのです。

「ママ、自分のことなのに分からないの?」

その言葉に、

私はハッとしました。

本当にその通りでした。

自分のことなのに、

分からなかった。

何十年も、

自分より人を優先することが当たり前だったから。

自分の気持ちを聞く前に、

誰かの気持ちを考えていたから。

私の中には、

ちゃんと選びたかった私がいたのかもしれません。

本当は、

「こっちがいい」

と言いたかった私がいたのかもしれません。

それなのに私は、

その子に何度も、

「なんでもいいよ」

と言わせていたのだと思います。

そこから私は、

少しずつ練習を始めました。

大きなことではありません。

今日は何が食べたい?

本当は、

どれを選びたい?

そんな小さなことから、

自分に聞いてみるようになりました。

最初は、

すぐには分かりませんでした。

「なんでもいいよ」が長かったから。

自分の声より先に、

人に合わせる癖が出てきてしまう。

でもそのたびに、

もう一度、

自分に聞いてみました。

私は本当は、

どうしたい?

そうやって少しずつ、

私は私の声を聞く練習をしていきました。

自分を大切にする練習は、

日常の小さなところから始まりました。

作るご飯の品数を減らすこと。

自分のために好きなお菓子を買うこと。

行きたい場所を口にすること。

食べたいものを伝えること。

以前なら、

それくらい当たり前に後回しにしていたことです。

でも私にとっては、

どれも大切な一歩でした。

自分を大切にすることは、

わがままではありませんでした。

誰かを困らせることでも、

自分勝手になることでもありませんでした。

むしろ今までの私は、

自分を後回しにしすぎていたのだと思います。

今では外食に行くと、

「今日はパスタが食べたい」

と言える日も増えました。

以前なら、

当たり前に言えなかった言葉です。

でもそんな小さな変化が、

私にはとても嬉しいのです。

好きなお菓子を買うこと。

好きな服を選ぶこと。

行きたい場所を口にすること。

食べたいものを伝えること。

どれも特別なことではありません。

でも私にとっては、

忘れていた私を少しずつ取り戻していく

大切な時間でした。

「なんでもいいよ」をやめることは、

誰かに強くなることではありませんでした。

私の中にいる私を、

もう置いていかないと決めることでした。

小さな選択の中に、

小さな私がいる。

好きなものを選ぶたびに、

忘れていた私が少しずつ戻ってくる。

私はこれが好きだったんだな〜。

私はこっちを選びたかったんだな〜。

私にもちゃんと望みがあったんだな〜。

そう気づくたびに、

心の奥がすごくあたたかくなるんです。

今でも、

つい「なんでもいいよ」と言いそうになる時があります。

長く続けてきた癖は、

すぐには消えません。

でも今は、

その言葉が出そうになった時、

少しだけ自分に戻ることができます。

本当に、

なんでもいい?

それとも、

本当は選びたいものがある?

そう聞いてあげられるようになりました。

私が私に還る道は、

大きな決断だけでできているわけではありません。

日々の小さな選択の中に、

ちゃんと道はありました。

「なんでもいいよ」をやめた日。

それは、

私が私の声を、

もう一度聞き始めた日だったのだと思います。


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