情けないことはない。

Newsletterのこだわりらいふ、を読んだ。
若い先生に運動部を押しつけるべき?について。

人生は有限なのだ、ということを最近常に思う。時間をどう使うか。
家族のために使うのか。自分のために使うのか。仕事のために・・・。

すべて全力というのは無理だということ。
半身?という概念をなぜ働いていると本が読めなくなるみたいな本で読んだことを思い出す。
その考えに大きく頷きつつ、一体何に全力を尽くすというのだろうか。
これだ、と決めてしまうこと自体が働き方改革をとどめてしまう。
どういうことか。

自分が好きで時間を使い続けてしまうことを可能にすると、バランスが崩れる。
本当に働き方改革なんてものをする場合は、仕事の時間(そして量)を減らさなければならない。
効率的に何か業務を行う、とかではない。
効率的に何か業務を行うのではなく、むしろ非効率的に業務を行うことをしなければならない。

これがあるから、業務ができません、というような大義名分があったら便利なのだけれど、これはちょっと便利すぎる。
少し前ならコロナだった。何かあるとコロナのせいにできた。

手間をかけること、について時間を費やしすぎてしまう。

ただまぁそこまで介入すると、自由ってなんだろうか、みたいな話になってくる。なんでわざわざそんな職業になろうと思うのだろうか、と。
だから本当はもっと曖昧なほうがいいんだろう。
管理が行き届いてしまうと、途端に苦しくなってくる。
澄み切った水には魚が住まないみたいな話。

と、どうじに限界がある。物理的にも、制度的にも、なんでも。
それを諦める。諦めずに戦うことは、まぁかっこいいけれど、勝ち目が無い場合が多い。諦めよう。すっぱりと。
ただ、諦めきれない物がでてくるだろう。
そのときはどうするか?
それはもう、自分が倒れるまで戦う、それだけである。逆に言うと一度その諦めるというふるいにかけないで、諦めるという言葉の持つ情けなさみたいな物を払拭したいがために戦うなんてそんな悪趣味に走ってはならない。

シンプルに考えることを僕はやっていきたい。というか本当はあまり考えたくない。シンプルさというのはむしろ形式に過ぎないのでは無いか。ということであれば、シンプルに考えるよりは、複雑に考えない、ということが称揚されるんだろうな。
最近あまり書けていないと思い込んでいたけれど、そういやこれを書いていたわ、ありがとう今日も、書かせてくれて。

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