本の感想を書くことは、自分自身を深掘りすること
本の感想を投稿したあと、同じ本について他の人が何と言ってるのか見て回ってみたら、これがなかなか面白かった。
全く同じものを読んだはずなのに、刺さってる箇所が人によって全然違ったから。
今回私が感想を書いたのは、大塚あみさんの『#100日チャレンジ 毎日連続100本アプリを作ったら人生が変わった』。
1日あたりの時間に反応する私、継続日数に反応する人たち
これを読んで私がまず目を奪われたのは、「毎日平均10時間以上プログラミングに費やした」というところ。
なにそれ中高時代のビル・ゲイツより長くない?って。
一方、「100日」という数に対しては、私はほとんど何も感じなかった。というのも、私が「いやいや短期間でそんなに成長する普通??」と驚いた時、大塚あみさんはまだ50日目あたりにいたから。
これが「100日チャレンジ」じゃなくて「50日チャレンジ」だったとしても、私の感想はほぼ変わらなかったと思う。
でもその後noteで見て回ると、「触発されて100日間何かをやってみることにした」という人がとっても多かった。「100日続けるためなら、1日10分でもよしにする」という人も。
全く同じものを読んでるはずなのに、「習慣化」や「継続」に反応した人もいれば、「量質転化」や「成長スピード」が気になった人もいる。面白いなーと思った。
「習慣化」に強く反応した人には、「習慣化」に強く反応する理由があったはずだし、私は私で「量質転化」や「成長スピード」に強く反応する理由があったはずだ。
「メンターの物語」として読んだ私
それからもう一つ。私はこの物語を、「メンターの物語」として読んだ。
これってつまり、「大学生が教官の目にとまり、チャンスやらアドバイスやら人脈やら道具やらを惜しみなく与えられて飛躍する話」だなと。
だけど、そういう読み方をしている人は、他にはほとんどいなかった。
多くの人がスルーした「メンター」要素が私に響いたのはなぜか。
一つには、私の年齢もあるだろうと思う。40代の私は、「年長者の目にとまって助けてもらう側」より、「素質ある若者を目にした中高年」に親近感を感じるべきお年頃だ。
だけどきっともっと核心をついた理由は、私自身が人に頼るのが苦手だから。
プライドが高く、「未熟者なので教えてください」と頭を下げられない。会社のキャリアトークなどで、「メンターはいますか?」みたいな話になっても「メンター何それ美味しいの?」状態。
それが自分の課題だとどこかで自覚してるからこそ、「あぁ、やっぱりチャンスってやつは人づてに来るんだな」みたいな発見が響いたんだと思う。
自分の感想が先。人の感想を読むのは後。
ちなみに感想を見て回るのは、本を読み終えて、感想を投稿した「後」にしている。
というのも、書評家の三宅香帆さんによる、「自分の感想を言語化する前に他人の感想を見ない」というアドバイスに触発されたから。
今回他の人の感想を読んで回ってみて、やっぱりこの順番を守ってよかったな、三宅香帆さんは正しかったな、と思う。
たぶん事前に他の人の感想をみていたら、「この本について書いておきながら、習慣化や継続に触れないのは不自然かな?」とかなんとか、余計な迷いが生まれていたかもしれない。
本の感想noteを通じて自分を知る
本の感想noteはいくつか書いてきたけど、正直書き方って難しいなーと思ったりもする。だって読者からすれば、私の感想を読むより、本そのものを読んだ方が、よっぽど実になるはずだから。
だけど。同じ本を読んだ人同士で、感想を見せ合いっこするつもりで書いてみたらいいんじゃないか。
どこが同じで、どこが違うのか。それを深掘りする作業はきっと、自分自身を知ることにつながるはずだから。
