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仮想通貨と自律分散型殺人事件 第3話

「レオンハルトさん、こちらはポールさんで間違いありませんか?」
「……ええ、ポール・エルデシュです」
「ご確認ありがとうございます。申し訳ありませんが廊下で引き続きお話を伺っても?」
 ポールが死んだ。あのポール・エルデシュが。マリナのミートアップの最中に日本のホテルで。そのトイレで。警察に促されるまま扉をくぐって廊下へ出ると、視線の先の下り階段がまるで口を広げて僕を待っているように錯覚される。レッドカーペットの敷かれるそれはさながら地獄へ続く血塗られた階段に見え、背筋に寒いものが走る。計画が破綻したことが告げられていた。それでいて状況がまるでわからなかった。警察から呼び出されてトイレまで駆ける間、思考がぐるぐると回り続けた。想定外はこのポールの死だけではない。計画通りであれば死んでいるはずのイヴァンが逆に未だに見つかっていない。およそ一時間半前、イベント開始の直前から彼はその消息を断っている。僕が探しにいったトイレに、あるはずのトイレに、イヴァンの遺体はなかったのだ。
 一体なにがどうなっているんだ?
 十九時にオープニングイベントが始まった。僕たちはイヴァン不在を誤魔化しながらそれを切り抜け、ここまでイベントを進めてきた。これについては元々の計画どおり。イヴァンが死んだ場合と同様なので別段問題はない。けれど遺体が見つからないというのは、あきらかに今後に支障をきたす。僕たち残りのアークエンジェル三人の精神を乱し、互いの猜疑心を掻き立て、裏切者の存在を疑いはじめさせるのに十分すぎる要素だからだ。もしかしたらイヴァン・ニーベンはまだどこかで生きているのかもしれない、と。三人の中の誰かがイヴァンの側に寝返ったのかもしれない、と。ゆえに放置できない由々しき問題であった。イベントも半ばに差し掛かり、二一時の重大発表の予定まであと一時間というところで僕たち三人は誰からともなく緊急の打ち合わせを申し出た。そこでは誰もが裏切りを否定し、誰もが状況不明を訴えた。三人が三人ともに。そうして、そうであるならば、と全員で本格的にイヴァンを探すことになった。あるいはイヴァンの遺体を。役割分担し、二手に別れ、ポールが一人、パーティー会場を出て広い範囲を探す役を担った。ダーヴィットと僕はミートアップの参加者やそこへ帯同している子どもらとそれぞれコミュニケーションをはかりながら、また現場をうまく回しながら、会場付近でイヴァンの行方を探った。しかしそれでもマリナの創始者は、その影すら掴ませてくれなかった。そんな折に代わりにこうしてポールの遺体があがってきたのである。考えられるケースは多くない。よもやイヴァンと鉢合わせ、殺そうとして返り討ちにあったのだろうか。さすがにそれはあるまい。イヴァンとポールではあまりに体格差があり、有利なのは間違いなくポールなのだから。ただしそれは互いに丸腰の、平等な条件下であれば。
「レオンハルトさん?」
「ポール……どうして……」
 廊下に出た後、トイレでのポールの様子を思い浮かべる。無表情のその男の遺体には、たしかに外傷はなかった。電撃、スタンガン。それも殺傷能力の高められた。警察に対しては驚いた素振りを見せつつも、僕は思考を働かせ続ける。真っ先に思いついた凶器が、それだ。体格差を埋めつつ、あの状況を生み出せるもの。もしかしたら、この後、僕に向けられるかもしれない武器である。
「ポールが、どうして……」
 とはいえ凶器があれど、巨躯のポールを正面から殺すのは至難の業だろう。背後からの不意打ち。それしかあるない。あの状況を造り出すには。もしや殺害計画に勘づかれ、イヴァンに先手を打たれたのだろうか。あるいはダーヴィットが依頼をした殺しの実行役がイヴァンの側へと寝返ったのかもしれない。警察の応対をしながら、いきなりの事態に混乱する会場で、僕はひとり冷静さを保とうと努める。表明的には狼狽を演じつつ、しかし神に与えられし英知、恵まれた知能指数をフルに活用する。最優先事項は情報収集だ。自分が危機的状況にあるのか否か、それをすぐに確かめなければいけない。僕は天才レオンハルト。こんなよくわからぬ島国で終わるわけにはいかない。
「レオンハルトさん? レオンハルトさん、大丈夫ですか?」
「あっ、ええ、すいません。こういうのは、はじめてで……」
「お察しいたします」
 熱烈に日本を愛するイヴァン・ニーベンとの付き合いによって、アークエンジェルの面々は総じてそれなりに日本語を習得している。イヴァンがその偏執的な日本愛ゆえ、時おりコミュニティ内でも日本語を使い、また日本語グループのチャットに多く顔を出すとあって、ホルダーにまで日本語習得の影響を及ぼすほどだった。もはや愛の範疇を超えているようにも見えたのだけれど、おかげでこの場面でストレスなく日本の警察と意思疎通できようとは皮肉である。警察側が気を使い、数少ない英語のわかる人材を回してくれたことにも救われている。細かい点はやはり英語でないと難しいから。
「ポールさんとはいつまでご一緒に?」
「一時間ほど前です。二〇時のあたりでポールとダーヴィット、それから私の三人で集まって相談をしました」
「相談とは、なんの?」
 本当のことを言うべきか、否か、判断に迷う。一七階へ続く下り階段を模した地獄の赤い口が視線の端で僕のミスを待っている。少しでも踏み誤れば地獄へ真っ逆さま、そう言わんばかりに。僕はしかし己の直感を信じることにする。なんとなし伏せてもろくなことにならない気がした。それに知られても今さら問題はなかろうとも思えた。
「イヴァンを探していたんです。あと一時間でメインの発表だというのにずっと姿が見えなくて……それで役割分担をして、それぞれであらためて探しにいこうと……」
「イヴァンさんとはいつまでご一緒に?」
「およそ二時間前です。イベント開始直前までは少なくとも一緒でした。こちらのホテルの八階にあるレストランで打ち合わせをしましたから。ポールとイヴァン、それからダーヴィットの四人で食事をしながら」
「イベント直前なのに揃ってお食事を?」
「我々はイベントがはじまると、しばらく何も食べられませんから。直前にしっかりお腹におさめておこうと言う話になりまして」
「ああ、なるほど」
 ポールの死に混乱する会場のおさめ役をダーヴィットに押しつけられたのは幸いだった。コミュニティマネジメントのトップなのだから当然の配役でもあるのだけれど、おかげでひと足先にこうして警察とやりとりし、情報収集しながらその心証を操作することができている。最悪の場合、ダーヴィット・ヒルベルトをぽっかりと開く地獄の口へ蹴落とす必要も出てこようから。
「なにを召し上がられたのですか?」
「せっかくだからと日本料理……ありきたりですが、寿司、それから天ぷらを頂戴しました。ポールと私ははじめての日本でしたので、基本的には日本通のイヴァンのすすめに従いました。ああ、イヴァン自身が振る舞ってくれた料理もあったんですよ。寿司まで握ってくれて、魚を捌いて刺し身を食べさせてくれたりも。我々のためにあれこれ事前に準備してくれていたみたいで」
「それはそれは。お味は如何でしたか?」
「ええ、まあ、美味しかったですよ、全体的に。一流シェフが作ってくれたという料理も、なんとも、まあ、奇妙な……いや不思議な、と言いますか、私には馴染みのない味でしたけれど。表現が少し、難しいですね。少なくともこれまで食べたことのある味ではなかったです、どれも。お茶の一つさえとっても。ええっと、その、納豆……というものについては、正直にいえば、私は苦手でしたが……」
「生魚しかり日本食は欧米のそれとはぜんぜん違いますものね」
「ええ、驚きました。シェフのそれはまだしも、イヴァンの料理はさらに酷い……というか、もう、本当に凄い味でして……って、あっ、そうだ!」
「どうかされました?」
「日本の警察のみなさんはイヴァンを見ていないのでしょうか? 我々のチームの代表、イヴァン・ニーベンです。既に見つけていたりとか、なにかしら手掛かりがあったり、とか?」
 警察からの質問を受けながら逆にそれを利用し、イヴァンを見つけにかかる。今、もっとも僕の気になっている情報の一つが、あの男の所在である。所在どころか生死さえ不明なのだ。
「ああ、それがまだ行方不明でして……ダーヴィットさんからも尋ねられ、捜査員一同で探しているのですが……」
「そう、ですか……」
 四人で行った会食、あれ以来、イヴァンは忽然と姿を消してしまった。ダーヴィットの手の者に殺され、トイレに遺体が転がされているはずが、なぜだか見つけられない。それどころか死体を発見する予定だったトイレで逆にポールの遺体が発見されている始末である。日本の警察はまだ気づいてないだろう。けれどあの天才がなにかしら関わっているのは間違いない。不幸中の幸いであるのは少なくとも応対する警察官から僕に対する不信感を感じられないこと。現場レベルではまだ殺人の疑いはかけられていないだろう。
「私からの質問ばかりですいませんが、もう一つよいですか?」
「ええ、どうぞ」
「ポールの第一発見者……たしか日本の方でしたよね?」
 もっとも怪しいのがこのポール・エルデシュを発見したという男である。僕は見た。ダーヴィットに混乱する現場を押しつけるべく、イヴァンを探すテイでうろうろした先で。警察の駆けつけるまでのわずかな間に、その騒動に乗じて。そう、管理室で監視カメラの映像を確認させてもらったのだ。どうにもおかしな日本人のこの男の行動を、そこで目の当りにした。あきらかに挙動不審であった。
「ええ、そうです。日本人の――」
 
「すいません、緊急事態なんです! どうしてもイヴァンを探さなくてはいけなくて!」
 ポール死亡の報は瞬く間に会場中に知れ渡った。混乱が大きくなる前にダーヴィットに後処理をなすりつけ、僕はすぐさまイヴァンを探しに行くテイで飛び出した。目指す場所は決まっていた。もはや形振りかまっていられない。英語のわかりそうなホテルのスタッフを捕まえ、勢いそのまま捲し立てればイベント会場の一つ下、十七階に配されたこの薄暗いフロアへ通された。本来ならば部外者は立ち入り禁止だろう、監視カメラの映像を確認できる管理室。事情が事情とあって飛び込んだフロアで業務にあたっていた四人は揃って僕を疑うことなく、というかそれどころでない状況に陥ってしまった。僕がその事態を引き起こしてしまった。警察が来る前にと急いでいる矢先、厄介な事態を引き起こしてしまったものだ。それにしてもここはどれだけブラックで、どれだけ過酷な職場なのか。こんなにも机上に栄養ドリンクを並べているだなんて想定外である。
「ああ、すいません! すぐに拾います!」
「ああ、ああ。いいです、いいです。こちらでやりますので」
 当たったつもりはなかったのだけれど、僕が飛び込んだ勢いでテーブルに置かれた栄養ドリンク、その瓶の数二十はくだらないだろうか、それの大半が落っこちてしまったのだ。派手な音がしたけれど、どれも割れなかったのは幸いである。足元に這いつくばってそれを拾う四人は判を押したようにどれも眼鏡をかけ、絵に描いたように全員がコミュニケーションが苦手そうな様子であった。薄暗い穴倉がお似合いの、華やかな一八階の足元で人知れず息をする、まさしくモグラのような十七階の住人たち。うち手前の一人、肥満体の巨躯の男、モグラというより豚に似るそれは、どこかで見たことがある恰好をしていた。すぐさまイヴァンと同じロボットアニメのTシャツであることに思い至る。こういったジャンルの人間の間で人気がある、というのは満ざら嘘でもないらしい。
「あの、だいじょうぶでしたか? 弁償を……」
「ああ、いいです。いいです。どれも割れていませんし」 
 期せずしてのトラブルがタイムロスになったけれど、豚モグラどもと近い距離で会話する流れに自然に持ち込めたのは運が良い。一気に心理的距離を詰めることができた。この手の気の弱そうな人間の扱いは僕のもっとも得意とするところであるし、これでもはや勝利を手にしたも同然である。
「あの、すいません! お願いがあります!」
 栄養ドリンクを拾い終えるなり上階で死人が出たと聞かされ、ただでさえその非現実的さに思考停止に陥っているところである。こうした家畜どもの性質を踏まえれば、今なら大きな声で勢いよく畳みかければ、大半のことは思うように従わさせられる。
「トイレに続く廊下のカメラはどれですか? 一九時……いや一八時半あたりから見せてください。早送りで。その付近のカメラを全部確認させてほしいんです! 一刻を争います!」
 無数に配されるモニターの中に問題のシーンはすぐに発見された。イヴァン・ニーベンがコアな人気があると噂の例のロボットアニメのTシャツを着て廊下を渡っていく様がしかと映されていた。なんとも目立つ出で立ちである。若き天才のその後ろには間隔を開け、不自然な様子の怪しげな男が続いている。イヴァンはそのまま赤い絨毯を渡り、トイレの側のカメラの画面にあらわれた。遅れてついてきた日本の男はなぜか途中で留まり、廊下をうろうろするばかり。参加者の子どもと会話したりとなかなか後を追っていかない。イヴァンはそのまま画面に映る時計で一八時四〇分にトイレに入っていった。しばらくして不審な男がようやくトイレ側のカメラの画面にあらわれる。一八時四七分、清掃員が一人、トイレの中から出てきた。入れ替わるようにして様子のおかしな男がトイレへと消えていく。再び静止画よろしく画面右端の時計だけが進む時間が流れる。
 イヴァンと日本人の男、二人は中でなにをしているのか。この男の目的はなんなのか。ダーヴィットの手配した殺し屋という事なのだろうか。そうであれば、はたしてイヴァンはどうなったのか。
 五分が経った。一八時五二分。不審な点を見逃すまいと画面を凝視していれば、そこでよく見知った顔が姿をあらわす。僕だ。イベント開始直前、トイレに行くといったまま戻らなかったイヴァンを探しにやってきたのだ。表向きには。実際はここで遺体を見つける手筈であった。画面に映る僕は見るからに足取り軽く、浮かれていた。それもそのはず。ここからは僕がマリナのナンバーワンになるはずだったのだから。古びた天才は死に、あらたな天才の時代に替わるはずだった。それだけではない。ちょうどこの一時間ほど前、会食を兼ねたイベント前の幹部会のその前に、ようやくにしてやっと例の鍵情報を聞き出すことに成功していた。これで浮かれるな、という方が無理であろう。ダーヴィッドとポールには間をおかずして連絡した。準備は整った、と。もういつイヴァンを殺してくれても構わない、と。その後、ダーヴィットからの連絡を受け、満を持して、このトイレを訪れているのだ。それなのに一時間半後の未来で未だイヴァン・ニーベンの遺体が見つかっていないだなんて、この時の画面の中の僕には想像もできなかったことだ。
「イヴァン、どうかしましたか? 大丈夫ですか?」
 トイレの外から僕が何度か声をかけているのが監視カメラの映像でも見て取れる。モニターに映る僕がトイレの扉に手をかける。理由は不明ながら、このとき中は無人だった。イヴァンも怪しげな日本人の男もいなかった。少ししてポールと電話しながら何も見つけられなかった僕が首を傾げながらトイレから出てくる。どの個室も空だったのは確かである。そこからさらに十分、例の怪しげな男が一人、勢いよく飛び出してくる。一体どこに潜んでいたというのか。ともあれ見るからに犯行現場から逃走する犯人だ。そう、ここまでであれば確信できたのだ。イヴァン・ニーベンを殺したのは、この日本人だと。この男こそダーヴィット・ヒルベルトの手の者なのだと。タイミング悪く殺害時に僕と鉢合ってしまい、どこかに身を潜めていたのだろう、と。けれど現実は異なり、その後もイヴァンの遺体は見つかっていない。それどころか映像を流し続ければ二〇時一二分におかしな様子が捉えられている。生前のポールがいやに慌ただしく、異様な様子でトイレに駆け込んでいくのだ。まるで今にも漏らしかねない、といった様子だ。時間的には僕とダーヴィットと打合せをし、イヴァンを探しに出た後であろう。もしやポールはイヴァンに呼び出されたのだろうか。殺人を企てたことを看破され、それを逆手に脅され、それで慌てて駆けつけたのだろうか。監視カメラの映像をじっと見進めていけば、二〇時二九分、今度は先ほど逃げていったはずの不審な男がなぜだかトイレに戻ってくる。このタイミングであれば中でポールと遭遇したことだろう。一体なにがあったのか。結果として、その後、この日本人は「遺体を発見した」と警察へ通報することになる。そうして今に至るのだ。
「ご協力ありがとうございました。助かりました」
「ああ、いや、気にしないでください。ええっと……ご愁傷様です」
 暗がりに並ぶディスプレイの映像を己の眼鏡に反射させる例のアニメTシャツの豚男は想像通りもごもごと喋った。三十歳前後になるだろうか。どうにも日本人の年齢はよくわからない。ともあれ、まず間違いなく、人生の負け犬だろう。いや、負けモグラだ。負け豚だ。その汚らしい豚男が、己にはなにも非がないというのに、なぜか申し訳ないことをしたとばかり、日本人特有と噂のすまなさそうな表情で僕へ頭を下げてくる。
 おまえは一生誰かに謝って生きていけ、豚野郎。
 内心でつぶやきながら表面上だけ僕も小さく礼を返す。天才である僕の役に少しは立ったのだから今後それを一生誇って生きていけばよい。これも内心で言い置いて、僕は再び、赤い口を駆けあがっていく。地獄の底まで飲みくだされてしまう前に、上へ。上へ。
 目的は達成できた。監視カメラにはっきりと映っていた。イヴァン・ニーベンはトイレへ入っていった。そして、その後、未だ出てきた痕跡はない。
 すなわちどういうことか。状況はまだわからない。しかし第一発見者という日本人の男は少なくともポールの死についてなにかを知っているはずだ。直接聞いてみるしかない。まだ腑に落ちない点も多いけれど。あるいはこの男がイヴァンの行方についてもなにかしら事情を知っているかもしれない。およそ無関係ということだけは考えられなかった。
 
「――日本人の、こちらのイベントの参加者の方です」
「我々のイベントの参加者? その方は、今、どちらに?」
「別口で話を聞かせてもらっています」
「そう……ですか……」
 どこで事情聴取をしているのか、とは警察相手にはなかなかに聞きづらい。質問の意図として、現状、もっともらしい理由を僕には思いつけないから。となれば、あたりをつけて自ら探しにいくしかあるまい。受付で記入させている携帯電話の番号へ直接電話をかけてみるのもありだろう。
「ポールさんの件、あらためてお悔やみ申し上げます。我々日本の警察が全力をあげて捜査にあたりますので、なにとぞご協力をお願いします」
「ええ、もちろんです。イヴァンのことも引き続きよろしくお願いします」
「はい、もちろんです。ところでレオンハルトさんから見て、ポールさんが誰かに狙われていたとか、そういった心当たりはありますか? 恨みを買っていたようだとか?」
「……あの、他殺……なんですか?」
「ああ、すいません。そういったわけではありません。決まりなんです。念のためにこのあたりは聞いておく必要がありまして。もちろん事故や病気の可能性もある、と考えています」
「ああ、そうなんですね。すいません、驚いてしまって……」
 本当に心臓が飛び出しそうになった。早くも他殺の線で調べられているのか、と。しかしまだ確定していないからとはいえ、その線がないわけではないと思われているのも事実だろう。ここは慎重に立ち振る舞わなくてはいけない。ぽっかり開けられた赤い地獄への口を転げ落ちるわけにはいかない。
「恨み……ですか? どうでしょう? 私たちはチームですがビジネスパートナー、仕事だけの付き合いで、それほどプライベートについて互いに干渉していないんです。もちろん不仲なわけではなく、顔をあわせれば談笑をする仲ですが」
「特に思い当たる節はない、と?」
「個人的な怨恨という点であれば私にはよくわかりません。しかしポールはダーヴィットほどではなくとも資産家です。いわゆる億り人というやつで……妬まれることなどはそれなりにあると思います。あとは……その……」
「なにか気になることでも?」
「性格……と言いますか……」
「っと、言いますと?」
「マーケティングやブランディングの手腕はピカイチですが、一歩仕事を離れると、人付合いをしないタイプと言うのか、なにを考えているのか表情から読み取りにくいタイプなんです。そのため時に一緒に仕事をしたメンバーからクレームめいた意見を頂戴することがありまして。鉄仮面などどSNSで揶揄されていたりも……」
「なるほど。部下に好かれていなかった、と?」
「ええっと、部下というのとは少し違いますね」
 先ほどから事情聴取にあたっている警察官は二人組だった。一人が私に質問をし、もう一人がメモを取っている。前者が年長者で、後者が若手だ。両者の間には既存組織に構築される明確な上下関係が見て取れる。こういった面々には少し理解が難しいだろうか。
「そもそも我々のチームには上司と部下という概念はないんです。新しい組織のかたちを取っている、と言いますか。中心となって牽引するメンバーは私たち四人ですが、あとは、都度、手をあげてもらっては動いてくれるホルダーを採用しています」
「ホルダー? すいません、私は仮想通貨とかには疎くて……よく意味がわからないのですが?」
「そうですよね。まだまだ知られていない業界なので仕方がありません。ホルダーとは、マリナ……我々の発行している仮想通貨を保有してくれている人たちを指します。彼らは自分の保有する通貨の価値が上がれば直接的に己の資産が増えることにつながるので積極的に支援してくれるんです。たくさん保有している人ほど熱心な傾向がありまして。ファンであり、株主であり……そうですね、なんと言いあらわすのが適切なのか……」
「ああ、なんとなくわかりました。正社員はレオンハルトさんら四人で、あとは、都度、そのホルダーの中からボランティアを募っている……で、あっていますか?」
「おおむねそうですね。報酬としてマリナを支払うので無償のボランティアということでなく、どちらかというとアルバイトというのが近いのかもしれませんが」
「報酬も仮想通貨なんですか?」
「そうです。ホルダーのマリナ保有量が増えれば、その後、より積極的な協力が望めますからね。ドルで支払うよりもマリナで支払ったほうが我々としては都合がよいんです。ホルダーもそちらを望む傾向が強いですしね。もちろん受け取ったマリナは売り払って換金してくれてもよいんです。仮想通貨まま支払いに利用してくれてもよい。使い方は本人の自由です」
「では、今回のイベントも?」
「はい。会場の予約や設営、その他諸々と日本のホルダーが動いてくれています」
「毎回それをするのでは出入りも激しいのでは?」
「実働メンバーという意味ですか? どうでしょう? 今回は場所が日本なので新しい顔が多かったですが、しかしカナダでとなればそうでもないです。やはり決まった顔がよく手伝ってくれる、というところがあるので」
「熱狂的なファンがそのまま固定の労働力になる?」
「あくまで見込める、というレベルですがね。どこぞの企業に就職しているのとは違うので、どこまでいっても強制力はありませんし。しかし長年の関係性から、誰々さんは土日ならきっと来てくれるだろうとか、運営サイドがアテにしているメンバーが何人かいるのは事実です」
「アイドルの熱狂的なおっかけ、みたいなものですか? ファンクラブのリーダーみたいな? 運営とファンの中間的な、そういう存在の? 大概はその手の人がけっきょく問題を起こすんですけどね、日本だと」
「そうなんですか? カナダでは……というか、我々の業界では、そんなことはなく、よくあるんです、こういうかたち。しかしあまりに頻度高く、当り前にホルダーに依頼を出すようになると、まるで仕事というか、企業みたいになってしまって。そこには本来なかったはずの上下関係に似た序列が生まれてしまうのも、また事実でして……」
「そのあたりで軋轢が?」
「これはしかし、彼に、ポールに、限らず、です。この世界では、それもよくあることなんです。端的に言ってジェネレーションギャップですね。昨今のティーンエイジャーらと既存組織で長年働いてきたポールらとでは感覚が異なると言いますか……まあでも、それでいえばダーヴィットのほうがもっと顕著なんですが……」
「上司でもないのに偉そうに上司面されて命令されては近ごろの若者では反発を覚えることもあるんでしょうね?」
「おっしゃるとおりです。そもそもそういうのが苦手で、こちらの業界にきているメンバーも多いので……」
「なるほど。貴重なご意見ありがとうございました。ひとまずここまで、で。また後ほど。逆にレオンハルトさんから聞いておきたいことなど他にはありませんか?」
「……ダーヴィットとは既にお話になったのですか?」
「ええ、ほんの少しだけ。お忙しそうでしたので後から詳しくお話を聞く予定です。ダーヴィットさんがどうかしましたか?」
「いえ、どうということは……その、様子はどうでした? 彼はポールとは私よりも長い付き合いですし、年齢も私より近く……仲がよかったと言いますか……」
「毅然として振る舞い、立派に事態の収集に勤めておられましたよ。塞ぎこむような、そんな素振りは見られなかったです」
「そう……ですか。平気……でしたか……」
「そういえば、もう一つすいません。四人はどれくらいのご関係なんです? レオンハルトさんが一番最後に参画を?」
「ええ、そうです。イヴァンがプロジェクトを立ち上げ、それをダーヴィットは発足当初から間接的に支援していたようです。ダーヴィットがそれまでに抱えていた他の事業を整理して本格的にジョインしたのが四年目、その四年後にポールが参画し、さらに四年後の十二年目に僕が運営に加わりました。それから五年、マリナは今年で十七年目を迎えました。これがその記念イベントでして……」
「そうだったんですね。それは、なんと言いますか……引き続き事態の解明に努めさせていただいます」
「よろしくお願いします」
 内心で大きく息を吐く。言外にやんわりとダーヴィットに対して不審気がる雰囲気を醸してみせておいた。後々に我が身を助けるに役立つ種となるかもしれない。手札は多いにこしたことはない。ここはどうにかうまく立ち回り、切り抜けなければ。あらためて気を引き締めるなり、ポケットの中のスマホがバイブする。会場内ではアークエンジェルの四人と受付の数人だけが携帯電話の持ち込みが許可されている。となれば、と取り出してみればやはりダーヴィットからである。日本の警察官に断りをいれて電話に出れば、開口一番、あの残忍な老人が殊のほか慌てた様子で言う。
「レオ、まずいことになった……」
 今さらなんだと言うのか。先程からずっとまずい状況だと言うのに。ともあれすぐに向かう意思を伝え、私はその場を後にする。内々の話なのだろう。ダーヴィットに呼び出されたのは一八階でなく、ひとつ下の階のトイレであった。嫌な予感がした。あらためて見ても赤い下り階段は地獄へと続く穴のごとし。縁起でもないと悪いイメージを振り払い、僕はダーヴィットのもとへ急ぐ。
 
 死体がある。イヴァン・ニーベンの死体が。掃除用具入れの中に。ミートアップの状況を伺おうと下の階からこっそりと覗きにきていた。まずはトイレへ、と立ち寄ったところで、それは見つかった。掃除用具入れの戸が僅かに開きかけていたのだ。いやに気になり、訝しんで覗いてみれば、倒れるようにして人間が一人、背中側から転がり出てきた。痩せ型の長身にアニメのTシャツ、紛うことなきイヴァンである。同時にバケツの水がぶち撒けられ、ぴかぴかの大理石が鏡の前まで水浸しになる。
「……うおっ!? なんだこれ!」
 嵌められた。すぐさま直感した。次に戸を開けた人間を殺人犯に仕立てるための、これはいわゆるそういう罠だ。慌てて死体を個室に移し、兎にも角にも床を拭くものを探す。しかしモップもなければ雑巾もない。かといってトイレットペーパーだけでは些か心許ない水量である。眼鏡が曇り、汗が噴き出す。
「ちくしょう、誰だよ。やりやがったな……」
 怒りの炎が俺の中でめらめらと燃え上がる。

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