🚫 “その言葉、誰の言葉?”時代の終わり──AI時代に求められる「一次情報力」
「その言葉、本当に“あなた”の言葉ですか?」
先日少し触れたが、最近非常に気になるというか、大事なことを見失っている人が多いというか、正直めっちゃ気になるのでもう一回w
🌱他人の言葉を借りる前に、自分の“種”を探してみよう
SNSでも、noteでも、よく見かける光景がある。
あるテーマについて語るときに──
「〇〇の本にも書いてありますが〜」
「あの戦略家も言ってましたけど〜」
そんなふうに、有名な誰かの言葉を引用して“自分の正しさ”を補強する人が、最近とても多い気がする。
いや、気持ちはすごくわかる。
その方が安全だし、否定されにくい。
でも、それって本当に“あなた自身の言葉”なんだろうか?
👜 ブランドのロゴで、オシャレになった気になる感覚
僕はこういう発信のスタイルを見ると、
「ブランド物の服を着てオシャレになったつもりになる人」と
似てるなと思う。
本当にそのブランドが好きで、哲学や背景に共感して着るならいい。
でも多くの人は、「このロゴを着ていればオシャレに見られる」という、
“他人の評価”を先回りして借りているように見える。
情報発信の世界も同じだ。
「〇〇も言ってるから正しい」
「この本を読んで感銘を受けたから、俺の考えも正しい」
──それ、本当に“自分の言葉”なのか?
🌱 自分の「種」からしか、価値ある発信は生まれない
僕は昔から、「自分の“種”を大事にしてほしい」と思っている。
ここでいう“種”とは、「原体験」や「違和感」や「自分だけの視点」のこと。それは、誰にでもある。器用じゃなくていい。
カッコよくなくてもいい。
…いや、むしろカッコ良くない方が、人間らしくてカッコいいと思う。
でも、その“種”からしか、
本当の意味で“価値ある発信”は生まれないと僕は信じている。
たまにこう言われることがある。
「ロエルさんは経験豊富だから、自分の種があるんですよね」
でも僕は、違うと思う。
“種”は、誰にでも平等にある。
昔は、表現する手段が不平等だっただけだ。
発信は、得意な人・言葉にできる人だけの特権だった。
でも今は、AIがいる。
言語化も、編集も、構成も、全部サポートしてくれる。
つまり、“花の咲かせ方”は、もう誰でも手に入れられる時代になった。
▼ざっくり言うと、ただAIと毎日喋ればよいだけw
💡 隠れるのではなく、咲かせよう
だからこそ、“他人の言葉に隠れる”のはもったいない。
AIで表現支援が平等化された今、
“自分の一次情報”こそが、最も価値ある資源になっている。
僕は40代。
インターネットもSNSもなかった時代を知っている。
昔は、承認欲求なんて言葉もなかった。
そもそも二次情報自体が少なかった。
みんな、自分の頭で考え、自分の言葉で勝負していた。

間違ってても、ダサくても、自分で考えてた。
でも今は、有名人の言葉に乗っかることが「安全」だと考える人が増えている。
否定されないように、目立たないように、“他人の言葉”で自分を正当化している。
それって結局──
何者にもなれてないってことなんじゃないだろうか?
🌱 一人ひとりの“種”が咲く世界へ
僕は、そんな世界よりも──
自分の“種”を、自分の言葉で咲かせる人が増えてほしいと思っている。
一人ひとりが、自分の違和感や体験をもとに、
言葉を紡ぎ、自分の表現を持つ。
そうすればきっと、
情報の質も、世界の景色も、もっと豊かになると思う。
リアル店舗で言えば、チェーン店のラーメン屋が増えるんじゃなくて、
店主が独自のスープを創って、独自性だらけのラーメン店が
増えてほしい感じ?🍜
独自性だらけのラーメン屋🍜が増えてほしい人は
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