この5年、実質“年収1億円以上”──現金より強い“思い出配当”という資産運用
🌅 第1章:沖縄の朝、ビリミリオンが刺さった
沖縄の朝だった。
家族旅行の何日目か、ふと早く目が覚めてしまった僕は、ホテルの部屋をそっと抜け出した。
みんながまだ寝ている静かな時間。
自販機で缶コーヒーを買い、砂浜へと向かった。
まだ日が完全に昇りきっていないビーチは、人影もまばらで、どこか現実離れしていた。
イヤホンをつけ、Amazon Musicでシャッフル再生。
普段なら音楽は“BGM”にすぎない。でもその朝だけは、違った。
再生されたのは、優里の『ビリミリオン』だった。

流れてきたその一節で、思考が止まった。
“50年を50億で買わせてくれ”
──もし、自分がその老人だったら?
たった一行の歌詞なのに、心の奥深くまで響いてきた。
それは“回顧”ではなく、“選択”の問いだった。
僕は思わず自問していた。
「もし今、5億円をもらえる代わりに、これからの5年間の記憶がまるごと消えるとしたら?」
「今この瞬間からのすべてを失うとしたら、金額に換えられるのか?」
──答えは、NOだった。
今の僕には、子供がいる。
まだ幼く、毎日が“初めての出来事”であふれている。
パパと呼んでくれる声も、朝起きて抱きついてくるその温もりも、
すべてが“今しかない”瞬間で構成されている。
「あと5年経ったら──もう膝の上に乗ってくることなんて、なくなるかもしれないな」
そんなことを思ったら、胸の奥がじんと熱くなった。
この5年間に起きる出来事は、
どれもきっと“未来の宝物”になる。
僕は、自分の人生を“振り返るもの”としてではなく、
“今まさに収集しているもの”として捉えた。
「じゃあ今の5年間って、5億円以上の価値があるんじゃないか?」
……てことは、年収1億円ってことか(笑)
こういうロジック、昔だったら「何言ってんだ」と笑ってたかもしれない。
でも今なら、ちょっと本気でそう思える。
だって、それくらいの価値を“体感”してるから。
数字に換算したくなるほど、尊い時間が目の前にある。
それって、めちゃくちゃ幸せなことだと思う。
かつての僕は、「どう稼ぐか」にばかりフォーカスしていた。
月収、年収、資産。数字を追いかけることが、“人生の物差し”だった。
でも今は、物差しが変わった。
「いかに“選べるか”、いかに“記憶を残せるか”」
それが、僕にとっての“本当の資産”になっていた。
人生で一番大切なことって、
意外と“表に出てこないところ”に隠れてる。
たとえば「この時間を、絶対に忘れたくない」と思える5分間。
その積み重ねが、最強の人生をつくっていくんじゃないかって──
この朝の砂浜で、なんとなく思った。
🎰 第2章:過去の自分は「快楽」を買っていた
30代のころ、僕はよく海外のカジノに入り浸っていた。
マカオ、韓国。
どこに行っても、空港を出て真っ先に向かうのはカジノだった。
ブラックジャック、バカラ、ルーレット──
チップを積み上げ、ディーラーの動きを睨みながら夜を過ごす。
ときには50万円が一晩で溶けた。
そのくせ、勝ったときにはホテルの最上階でシャンパンを開けたりした。
当時の僕にとって、それが“贅沢”であり、“報酬”だった。
「いまが人生のピークかもな」
そんなことを本気で思っていた。
でも──今、あの頃の夜をどれだけ覚えてるか?と聞かれたら、
正直、あまり記憶に残っていない。
どれがマカオだったのか、どの夜がソウルだったのか、曖昧になってる。
強い光、騒がしい音、派手な演出。
それらは、その場では脳を刺激してくれたけど、
時間が経てば、跡形もなく消えていった。
お金で買える快楽は、記憶には残らない。
それが、30代の僕が無意識にやっていた“浪費”の正体だった。
快楽は、使った瞬間がピークで、そこから価値が減っていく。
消費すればするほど、残るものは少なくなる。
だからどんなに稼いでも、どこか「足りない」と感じていた。
あの頃の僕は、ずっと“渇いて”いた。
──でも、今は違う。
子どもと過ごしたある5分間のほうが、
50万円の夜よりも、ずっと強く僕の記憶に残ってる。
たとえば、保育園からの帰り道。
「パパ、きょう、ダンゴムシがね……」って、
一生懸命に話してくれる顔を、僕はずっと忘れられない。
手をつないで歩いたあの夕暮れの景色も、
娘が突然立ち止まって四つ葉のクローバーを探し始めたあの道端も、
あのときの空気の匂いごと、今でもありありと思い出せる。
あの5分間は、人生でいちばん“高い報酬”だったかもしれない。
そう思ったときに、ある言葉が浮かんだ。
「思い出配当」──お金で買えない時間がくれる、心の利息。
これまで資産って「数字」だと思っていたけど、
今の僕にとっての資産は、「忘れたくない記憶」になっていた。
そしてその記憶は、あとからジワジワと“配当”をくれる。
ふとしたときに思い出すだけで、心があたたかくなる。
その日の疲れがスッと癒える。
明日もまた頑張ろうって思える。
お金は、その瞬間にしか価値を生まないけど、
思い出は、未来にまで価値を運んでくれる。
昔は「快楽を買う」ためにお金を使っていた。
でも今は、「配当を生む記憶」を残すために時間を使いたい。
それは、単なる節約とかじゃない。
僕の中で、“資産の定義”が書き換わったからだ。
🏦 第3章:「貯める」は“自由”を買うための投資だった
昔の僕は、「貯金なんてつまらない」と本気で思っていた。
使わずに取っておくなんて、“退屈の極み”だと。
貯めるくらいなら、旅行でもギャンブルでも、
使って刺激を得たほうが人生は豊かになると思ってた。
実際、浪費していた。
新作のガジェットを発売日に買い、
欲しい服は“考える前に決済”していた。
未来なんて、どうせ誰にも分からない。
だったら今を全力で楽しんだほうがいい──そう信じてた。
でも、ある日ふと気づいた。
「選べない人生のほうが、ずっとつまらない」
仕事を断れない。
場所を変えられない。
人間関係を選び直せない。
そうやって、「やりたくない」を飲み込み続ける日々のほうが、
ずっとストレスで、ずっと自分を削っていた。
そこではじめて、「ああ、貯金って“自由を買う手段”なんだ」と腑に落ちた。
貯めることは、我慢じゃなかった。
「選択肢の先払い」だった。
いま100万円使わないという決断は、
来年“嫌な仕事を断る自由”を買ってるのかもしれない。
いま我慢することで、
1年後の自分に“好きな道を選ぶ権利”をプレゼントしてるのかもしれない。
それに気づいてから、貯金や投資の意味がガラリと変わった。
「使わない=損」ではなかった。
「貯める=先の自由が増える」だった。
その発想の転換で、僕の中のゲームが始まった。
僕は自分の人生を、「アリギリスの寿命3年ゲーム」と名付けている。
“アリギリス”というのは、童話の「アリとキリギリス」からつくった言葉で、コツコツ働く“アリ”と、遊びまくる“キリギリス”の、ちょうど中間に位置する生き方だ。

つまり、「楽しみながら備える」「稼ぎながら遊ぶ」みたいな、
欲張りな人生設計のこと。
で、そのアリギリス人生にはルールがある。
いまのペースで生活すると、お金は3年で尽きる──という“仮の寿命”を設定しておくこと。
それが、「アリギリスの寿命3年ゲーム」。
そこからどう寿命を延ばしていくかを、楽しみながら戦略的に考える。
年収が100万円増えたら、寿命が2か月伸びる。
新たな収入源ができたら、半年延びる。
支出を見直せば、さらに1年延びる。
この“寿命を引き伸ばすゲーム”をしていると、
自然と「時間の価値」に敏感になる。
自分にとって価値ある時間とはなにか。
どんな使い方をすれば“長生き”できるのか。
そうやって見えてきたのが、「思い出配当の株」だった。
僕はいま、“記憶に残る時間”を買うようにしている。
旅行もそう。会話もそう。働き方もそう。
「これって5年後も思い出せるかな?」
そう自問しながら、投資先を選ぶようになった。
資産運用という言葉はよく聞くけれど、
僕はそれを“記憶運用”に変えたつもりでいる。
「忘れない未来」をつくるために、いま何を買い、何を見送り、何を選ぶか。
──その積み重ねが、自分の人生の“厚み”になると信じている。
🪞 第4章:承認欲求より、“記憶欲求”で動く
SNSを開けば、どこかで誰かがバズっている。
「1万いいね」「20万再生」「今週のトレンド入り」──
数字で語れる成果が、あたかも“価値”そのもののように並んでいる。
でも、ある日ふと我に返った。
「……それって、本当に残ってる?」
X(Twitter)でバズったあの投稿、
Instagramで映えてたあの写真、
YouTubeで伸びてたあのショート動画。
1年後も覚えてるものなんて、ほとんどない。
むしろ、自分の中でずっと残ってる記憶は──
誰かと真剣に向き合った1時間だったり、
家族と何気なく笑い合った夕食の時間だったりする。
「記憶に残るもの」と「数字が残るもの」は、まったく別物だった。
僕は、SNS関連の数字を追いかけていた時期がある。
もっとフォロワーを増やしたい。
もっといいねが欲しい。
もっと影響力が欲しい──。
そう思って発信を続けていた。
でも、あるとき“虚しさ”に気づいた。
バズっても、満たされない。
数字が出ても、心は動かない。
その違和感の正体は、あとからわかった。
僕が本当に欲しかったのは、「記憶」だったんだ。
誰かと心が通じ合った瞬間。
その人の顔が浮かび、声まで思い出せるような体験。
10年後も「あれは良かった」と語りたくなるような記憶。
それこそが、自分の人生にとって本当の“ご褒美”だった。
それ以来、僕の中で軸が変わった。
「いいね」より、「記憶に残るね」を目指そう。
承認欲求じゃなく、記憶欲求で生きていこうと決めた。
誰かに評価されたいのではなく、
誰かの人生の“引き出し”に入るような体験を提供したい。
その瞬間、その言葉、その表情が──
何年経っても「あのときのロエル」として、
思い出してもらえる存在でいたい。
それは、数字に残る名声じゃない。
“記憶に宿る信頼”なんだと思う。
ビジネスの現場でも、それは同じ。
「また一緒にやりたいと思ってもらえるか?」
その基準だけで動くようになった。
契約が終わっても、また声がかかる。
転職しても、「あの人に頼みたい」と思い出してもらえる。
それが、僕にとっての“キャリア資産”。
目に見えるポートフォリオじゃなく、
心に残るポートフォリオ。
それを、ひとつひとつ積み上げている。
もちろん、数字が悪いとは思わない。
でも僕は、「数字では測れないもの」にこそ、
人生の重みがあると思っている。
そしてその“重さ”は、バズらなくても、
静かに、しっかり、誰かの中に根を張る。
それが、僕の目指している“残り方”だ。
📈 第5章:「売上」ではなく「残像」で測るキャリア資産
ビジネスの場で、相手の“価値”を測るために、
つい頼ってしまう指標がある。
それが「年収」や「肩書き」だ。
──あの人、年収1000万超えてるらしい。
──あの会社の執行役員なんだって。
──VCから億単位の資金を調達してるらしい。
こうした“わかりやすいラベル”が、いつの間にかその人のすべてを表しているような気がしてしまう。
でも、ふと我に返ると、思うのだ。
「それって、その人と一緒に働いた記憶とは、まったく別物だよな」と。
実際に、年収も肩書きもすごい人と関わったけど──
正直、何も残らなかったということもある。
逆に、数字はそれほどでもなくても、ずっと記憶に残っている人もいる。
たとえば、
あの人と働いたら、毎日がちょっと楽しかった。
あのとき、あの人の言葉に救われた。
苦しい決断をするとき、あの人が後押ししてくれた。
そんなふうに、「記憶の中に残る人」は、ラベルでは測れない価値を持っている。
僕は、それを「残像資産」と呼んでいる。
💡 残像資産=数字に残らない“信頼と感情の蓄積”
残像資産は、履歴書やLinkedInには載らない。
でも、次の仕事や次の人間関係を生む“本質的な資産”だ。
数字よりも、“誰の記憶に、どんな温度で残っているか”。
それが、これからのキャリアを左右する時代になると思っている。
なぜなら、実績や売上は、いくらでも上書きされるからだ。
より優秀な人は常に現れるし、過去の栄光に頼ることはできない。
でも、残像資産だけは上書きされない。
「あの人なら、また一緒に仕事したい」
「あの人がいたから、あの時期は楽しかった」
「なんか、あの人って印象に残るよね」
こうした言葉が自然に出てくるような人間でありたいと、心から思う。
🪞 キャリアは「数字」で測られる時代から、「記憶」で残る時代へ
これまでの時代は、「年収」というラベルでキャリアを測ってきた。
でもこれからは、「残像」でキャリアが決まる時代になる。
それは、SNSやAIが進化して、あらゆる情報が“記録される”社会だからこそ──
“記憶に残る”ことの価値が、より浮かび上がってきたのだと思う。
誰かの印象に残る仕事をしたか?
誰かの人生に、少しでも影響を与えられたか?
それが、僕にとってのキャリアの物差しだ。
🧭 第6章:「お金」より「意味」が人生を動かす時代へ
もし、いま1億円をもらえたとしても──
僕は「じゃあ引退します」とは言わない気がする。
なぜなら、いまの僕を動かしている原動力は、
お金じゃなくて、「意味」だからだ。
もちろん、かつては違った。
売上、年収、役職、影響力。
それらを“上に積み上げること”が、成功の証だと思っていた。
でも今は、それらの指標が「自分のやる気スイッチ」にはならなくなっている。
🔁 意味に駆動される“循環”こそ、人生のエネルギーになる
たとえば──
誰かの人生の節目に、そっと伴走できる仕事。
誰かの選択に、後押しを与える言葉。
未来の誰かが「これに救われた」と言ってくれるかもしれない記事。
こういう“意味のある行動”が、
静かに、でも確かに、自分のエネルギーになっている。
しかも不思議なことに、意味で動いていると、巡り巡って仕事もお金もちゃんとついてくる。
これは感覚の話だけど、「意味」が先に立ち、「金」があとから追いかけてくるような感覚だ。
🎁 「売らない」と決めたことで、“いちばん大切なもの”が見えた
この5年間、僕は意識的に「売らない」という選択をしてきた。
もっと稼げる選択肢は、正直いくらでもあった。
でも、“意味のある時間”と引き換えにはできなかった。
たとえば──
子どもと風呂で歌ったくだらない替え歌。
公園で一緒にカエルを追いかけた夕暮れ。
「あした運動会なんだよ」と眠そうに話す声。
そういう時間を、ちゃんと味わい切れる自分でいたかった。
その感覚を何度も噛み締めるうちに、
「意味のある時間」を中心に置く生き方が、自分にとっての軸になった。
🛤️ “意味ドリブン”で生きるという選択
これからも、たぶん僕は大きく稼ぐことはしない。
でも、意味のあるものにしか手を出さない。
それが、いまの自分にとっての「豊かさの定義」だからだ。
売らない代わりに、残したい。
残像資産。
思い出配当。
誰かにとっての「意味」。
これらを積み上げることこそが、
自分の人生を“資産”に変える、本当の戦いなんだと思っている。
✨ エピローグ:「この5年は、売らない。」
“売らない5年”と決めたのは、何かの戦略でもなければ、自己犠牲でもない。
それは、ただの「意思」だった。
──お金よりも、意味に従って生きたい。
──快楽よりも、記憶を残していきたい。
──数字ではなく、残像で価値を測っていきたい。
そう思っただけだった。
でも、その小さな意思が、僕の人生の選択肢をすべて変えていった。
仕事も、時間の使い方も、人間関係も、そして何より、
「何を大切にするか」という軸そのものを。
「この5年、売らないでよかった」と思える瞬間が、すでにいくつもある。
それは、あとから振り返って“記憶配当”として返ってきた瞬間たち。
思い出すたびに、心があたたかくなるような、ささやかなシーンの数々。
僕はこれからも、それをひとつずつ、丁寧に積み重ねていきたい。
この5年は、売らない。
それは、人生でいちばん「価値のある時間」を、何よりも大切にしたいから。
そして10年後、20年後──
この時間の“残像”だけを胸に抱えて、笑っていられたら、それでいい。
