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支配の親子関係を抜けて今、陽光の下へ

親の心が余りにも未成熟だと、子どもは、生きづらさ、を抱えてしまいます。

心が未成熟な状態とは平たく言うと、
見た目は立派な大人でも、
傍目にはちゃんとした親であっても、
心は3歳児や5歳児のまま、ということです。
情緒が未成熟なのです。

情緒未成熟な人は、親としての役割り、を果たすことが出来ません。

親になるに相応しい段階まで情緒が成熟した人、が親になったなら、
子どもを一人の人として、尊重、することが出来ます。

親子関係に限ったことでは無く、他者を尊重することは人間関係の、キホンのキ、です。

一人の人として尊重する為には先ず、心理的に、
自分は自分として、
他者は他者として、
明確に区別されていることが大前提です。

つまり、自分と他者の感情を分ける【心理的境界線】が明確に引かれて初めて、

自分という存在が確立し、
自分が確立するから、
他者という存在の輪郭がハッキリと浮かび上がります。

自分が在る、から、
他者が在る、訳です。


この世に生まれた時、
へその緒が切れた瞬間に私達人間は、物理的には個として在る、訳ですが、
心理的に個として確立するのは、ずっと後のことです。

人は言葉を発することも、自分の脚で立つことさえも出来ない、徹底的に無力な存在として、この世に生まれます。

生まれて来たその無力な存在は、無力であるが故に親を慕うことで生きる仕組みになっています。
それは自然の大いなるプログラムです。

そして本来ならば親は、慕う我が子を愛おしく感じ、無条件に受け容れます。

子どもは、乳児期から幼少期にかけて、親から無条件に受け容れられることで安心感に抱かれ、
心に、確かな【自分】という意識、を芽生えさせます。

確かな【自分】という意識と、
自他の感情を分ける【心理的境界線】は、ワンセットです。

【自分】が育つ程に、【心理的境界線】は明確さを増します。


情緒未成熟な親は、先に述べました様に、
見た目は大人ですが、心は幼児のまま、なのです。
心に【自分】が育っておらず、【心理的境界線】が曖昧です。

物理的には自分が居て、目の前には相手が居るのですが、
心理的には、自分と他者の輪郭はボヤけていて、言わば混ざり合った状態に在ります。

本人には自覚は無いのですが、混ざり合っているのですから、
相手を尊重する、という人間関係の基本が抜け落ちています。

尊重することが出来ない人が、その状態で親になると、
親子関係は、支配と従属、の関係性になってしまいます。

大いなるプログラムに沿って子は親を慕いますが、
本来ならば子を受け容れる筈の親は、自他の感情を分ける【心理的境界線】が曖昧で、
極めて独りよがりで幼児的な心理状態に在ります。

どんなに幼児的な心理状態に在ろうとも、
親子関係に於けるパワーバランスは圧倒的に親が優位であり、
子は徹底的に無力です。

圧倒的に優位な親が、尊重することを知らず、独りよがりな世界に生きていたならば、
徹底的に無力な子どもは抗うことも無く、親の支配下に収まります。

生まれて直ぐに親の支配下に置かれた子どもは、支配される在り方しか知りません。

親は支配しながら、その在り方はあたたかい、と言います。
これが愛だ、と言うのです。

だから生まれて直ぐに、一人の人として尊重されること無く、親の支配に呑み込まれた子は、
支配を愛だと錯覚したまま少年、少女になり、
重大な生きづらさを抱えた大人になり、
やがて親になって、生まれて来た我が子を支配し、
支配しながら、これが愛だ、と言うのです。


情緒未成熟な親は、支配を愛だと言いながら、情緒未成熟な子を育て、
情緒未成熟な子がまた、親になった時、子を支配します。

親でありながら心は幼児のまま、という系譜は、
親から子、子から孫へと世代間で連鎖します。


当事者である親も、子も、孫も、
支配と従属の親子関係しか知らずに育つので、
それが支配であり、それが生きづらさを造り出す原因であることには、仲々気がつくことが出来ません。

支配する側である親は、自分が子どもを支配しているなどとは思っておらず、愛情を注いでいる、と思っています。

支配される側の子どもは、一人の人として尊重されること無く、支配されているにも拘らず、愛された、と言います。

その家系の殆どの人が、支配しか知らず、尊重されたことが無いから、そうなります。


生まれてからずっと支配されていた子が、
この親子関係はおかしい、と気がついたとしても、
親は認めたり、理解したり、ましてや親子関係を健康的なものに築き直そうなどとは思いません。

子が疑念をぶつけたなら親は、
以前はそんな子じゃ無かった、と言うでしょう。
親不孝だ、と責めるかも知れません。
おかしくなった、と決めつけるかも知れません。

しかし、気がついたなら、

その真実から目を背けないこと、

それだけが、

支配から抜け出し、

生きづらさを手放す、

唯一の方法です。

愛されて然るべき季節に、

ついぞ愛されなかった真実を、

見据えることには痛みを伴います。

しかし気づいたことが、

既に尊いのだと私は思います。

生き抜いた人は、

本当は優しく強く、

そして尊い存在です。

信じて、

支配を抜けて、

陽光の下へと、

歩み出して欲しく思います。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム















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