発言の芸術性が好きだと本好きなのではないか
はじめまして。
波里です。
はじめましてエントリは別のほうが良いかなと思ったのですが、
まずはまあ思ったことを書いてみよう、と思ったので書いてみます。
「人の思考や感情を整理するのが上手だよね」
きっと人生で何度も言われてきたセリフ。それを少し誇らしく思いつつも、今こうして書き出し始めて、そんなことはないなと下を向く。
この頭の中の、色にしたら青も赤も緑も全部混ざって真っ黒になりドロドロと音がしてきそうなモノを、どうしてきれいに整理できるだろうか。
話が整理されている、ともよく言われるけど、その実、自分のことを整理するのは苦手なのだ。
いつかほかの人がこんなことを言っていました。
「私の頭の中は、うるさい」
そしてその言葉に、とても共感した自分がいました。
皆さんは、自分の頭の中がうるさい、と思ったことはありますか?
私はなかったです。
その言葉と出会って初めて、そうか、これはうるさいのかも、と思いました。
”声”選びの芸術性
自分の中には、いろんな声があります。今、この瞬間も。
「考えを書くの楽しいね!」
「いやいや面倒くさい。なんでこんなお金にならないことするの」
「もっと役に立つこと書いたら」
「役に立つってなに?誰の役に立ちたいの」
「それよりLINE返信しなきゃ」
「あ、もうこんな時間!疲れた〜」
「明日はこれやんなきゃ」
こんな言葉がきゃあきゃあ頭の中で出てくる中で、自分は必要な言葉を引っ張り出してこないといけない。
毎日、毎日、毎分、毎秒。
人と話すとき、こうして埋もれてしまいそうなほどあふれる言葉たちの中から、辛抱強く自分の話すべき”声”をたった一つ選んで見つけている。
文化的な価値観との整合性。
自分の今までの発言との整合性。
相手との関係や相手の感情。
この言葉がどう発展するかのリスク。
そんなことを踏まえて瞬時に選ばれる、たった一つの”声”。
そんな奇跡のような”声”選びが終わったら、また相手から質問が帰ってきて同じことをする。
終わりが見えない、このルーチン作業を、生まれたときから重ねている。
(まあ、だから人と会話するのは疲れる)
みんなそうなのではないか?と言うと、
「人はそんなに考えて話してないよ笑」
と笑われる。
そうか、そうなんだ…。
とさみしく思う気持ちはあるけども、
どこか、自分はこの沢山の”声”の中から一つを選ぶ行為は一種の芸術だと思っており、そんな芸術を妄想することが、とても好きなんだと思う。
この人は、どうしてこの”声”を選んだのだろうか。
もしかしたら、こういう考えがあったからこの"声"を選んだのじゃないか。
そんなふうに、人それぞれの”声”選びの芸術の真髄を知ろうと思う結果、
話すのは苦手なのだけど、相手の深掘りが他の人より上手にできるのではないのかな、と思いました。
最近、「(パーソナルなときには)相手の言葉を決して否定しないで聞いてるよね」
と言うフィードバックをもらいました。
もちろん心理学的な知識スキルがあるのもそうなのですが、その人の”声”選びは大事にしたいな、と自然と思っているからかなとも思います。
(ビジネスや教育の場で相手の方向性を定める必要があるときは、きちっとコミュニケーションスタイルをわけます)
なんか本が好きな理由
「今どき本じゃなくてYoutubeでしょ」と言われて、うーんそれはそうだなあと思うけど、なんか本が好きな理由を考えると、突き詰めるとこの発話の芸術性が好きだかもしれません。
人との会話は、自分も大変な”声”選びをしないと相手の”声”選びの芸術を見ることはできないけれど、本はページをめくるだけでその芸術を楽しむことができますし、何よりその声選びにかけている時間が、普通の会話より長くてより高い芸術性を感じます。
Youtubeはその場で選ばれた”声”の中でどう編集して取捨選択するのですが、本は選ばれる段階から調整されるのが違うところなのかなあ。
初めてのnote
とりあえず、今日は初めてnoteにて発信する”声”を選ぼうと思ったので、こんなテーマで書いてみました。
とはいえ、たった1500文字強をかくのにこんなに時間をかけていたら何もできなくなってしまうので(恥)
次回はもっと哲学的な話よりはサクッと自分がやっていることとかを書いてみようと思います。
