手書きの魂と判読不能の危機
電子カルテがある。パソコンがある。キーボードがある。
それなのに新庄先輩は、筆ペンを取り出した。
「活字じゃ温もりが伝わらないから」と先輩は言った。「手書きにする」
「何を書くんですか」と僕は聞いた。
「〇〇さんへの退院メッセージ」
「電子カルテのメッセージ機能で、3秒で終わります」
「3秒で書いた文字に、魂は宿らない」
筆ペンが走り始めた。僕は横から覗き込んだ。読めなかった。
「先輩」
「なに」
「これ、なんて書いてあるんですか」
「『いつまでも元気でいてください』」
「どこにですか」
新庄先輩は少し間を置いた。「ここ」と言って、文字の真ん中あたりを指さした。
「先輩の字は、クセが強すぎてインシデントに繋がります」と僕は言った。「以前、先輩の手書き指示を別のスタッフが読み間違えて、ヒヤリハット報告書が上がりましたよね」
「あれは例外」
「2回ありましたよね」
「文字は心で感じるものだから」
「心で感じた結果、投薬ミスになります」
新庄先輩は筆ペンを置かなかった。むしろ丁寧に、一文字ずつ、さらに時間をかけて書き始めた。「読めるか読めないかじゃないんだよ」と先輩は言った。「この文字を書いている間、私はずっと〇〇さんのことを想ってる。その時間が大事なんだ」
「その時間は、業務時間内ですか」と僕は聞いた。
「……そういう話じゃない」
「そういう話です」
結局、メッセージカードは完成した。達筆すぎて、僕には最後まで読めなかった。
でも翌日、〇〇さんはそのカードを胸に当てて、「先生、字が上手ですね」と言って笑った。読めていなかった。
それでも〇〇さんは、一日中そのカードを枕元に置いていた。
