体温を測り忘れた日
バイタルサインを確認していると、星野が記録した体温欄だけが空白だった。
「星野、この患者さんの体温、測り忘れてるよ。測り直してきて」
ただの確認漏れの指摘だった。それ以上でも以下でもない。
「……すみません。僕、こういう抜けが多くて」
「今回だけの話だ。気にしなくていい」
「いや、今回だけじゃないんです。先月も血圧測り忘れてて、先輩に指摘されて」
「それも直したよな。それでいい」
「たぶん僕、看護師に向いてないんだと思います。何年やっても、こういう基本的なことが抜ける」
「いや、今回のことだけの話をしてる。向き不向きの話はしてない」
「先輩は完璧にこなせるのに、僕はいつまでも半人前で……」
「完璧じゃない。俺だって新人の頃はミスした」
「先輩がミスしてるとこ、想像できないです」
「想像しなくていい。今すぐ体温を測ってくることが、唯一必要な行動だ」
「今日の夜勤、代わってもらった方がいいですかね。僕がいると迷惑かけるので」
「迷惑とかの話じゃない。人手が減る方がよっぽど迷惑だ」
「でも、僕みたいなのがいると、先輩の負担が増えるだけで」
「増えてない。体温計を持って、302号室に行ってくれ。それだけでいい」
「……わかりました」
結局、星野は体温を測りに行く前に十分ほど反省の言葉を並べ、最終的に「気をつけます」とだけ言って病室へ向かった。
――あの十分間、僕は指導係なのか、それとも星野の情緒を安定させる役なのか、わからなくなっていた。ただ体温を測り直すだけの用事のはずだった。
