ペンの色と、遠すぎる親の話
書類を渡された瞬間、黒インクで書かれているのが目に入った。
「これ、黒じゃなくて青ボールペンで書いてね」
事実だけを伝えたつもりだった。ただそれだけの、業務連絡だ。
だが星野の表情が、みるみる曇っていった。
「……僕のような人間は、青のインクを使う資格もないんです」
意味がわからなかった。資格の話は一切していない。
「いや、資格とかじゃなくて、ペンの種類の話をしてるんだけど」
「小さい頃から、母に『お前は色の区別もつかない子だ』って言われて育ったので」
話が急速に、実家の方向へ飛んでいった。
「親は関係ない。青いペンを使ってほしいってだけだ」
「父は、そんな僕を見て見ぬふりをしていました」
もう誰も止められない領域に、星野は突入していた。目には薄っすらと涙まで浮かんでいる。
「頼むから戻ってきてくれ。インクの色の話だ」
気づけば星野は泣き崩れ、通りがかった主任が僕を睨んでいた。「また新人いじめてるの?」という視線だった。
説明する気力もなかった。ただ青いペンを一本渡した。
星野は涙を拭きながら、何事もなかったように青いペンで書類を書き始めた。
――結局、僕だけが「怖い先輩」として、その日を終えた。
